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終わりを思い描くことから始めよう

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

僕の人生にキッカケを与えてくれた本の1つである『7つの習慣』より、第2の習慣に該当する話を書いていきます。

「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」は想像力をベースとしています。それは、今は目に見えていないビジョンを心の中で思い描く能力です。
これは、すべてのものは二度つくられるという原則に基づいています。「知的創造」と「物的創造」です。物的創造の前には知的創造があります。設計図があって、その後に、建物ができることと同じです。意識的に、自分自身のあり方や、人生に何を望むかを思い描く努力をしなければ、あなた自身の人生のありかたや行方を他の人たちやあなたをとりまく状況や環境に委ねてしまうことになります。ですから自分という唯一無二の存在を見つめ直して、最も幸せに自分自身を表現し、満たすことができる、個人的、道徳的、倫理的なガイドラインを定義することが重要です。
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「終わりを思い描くことから始める」とは、一日や1つの仕事、1つのプロジェクトを始めるときに、まず、自分が望む方向性と目的地を明確に思い描き、その後、主体性を発揮して臨機応変に対応することで物事を成し遂げることです。

※引用記事はこちら

人々はかつてないほど必死に働いているが、明確な方向性とビジョンがないがゆえに、働いただけの成果を得ることができていない。
by スティーブン R. コヴィー

※引用記事はこちら

今を生きることはとても大切です。

「生きてるだけで丸儲け」という言葉は僕の気に入っている言葉の1つで、いつどうなってもいいと思えるくらい、日々を全力で生きることは常に意識しています(まだ足りないけど)。

一方で、未来に向けた投資をする側面もあります。

それは、「なんのためにこれやってるの?」という自分なりの意志がないと、やってる意味を感じないからです。

「今に夢中になる」というのは、今だけを考えているからできることではなく、「ここに向かう」とゴール設定をしているからこそ、周りを気にせず意志を持って全力を注げるんだと思うんです。

今を大切にしながら、未来に向けて何かを投資する。

これは「どっちか」じゃなくて「どっちも」やっていく必要があります。

その塩梅は難しいけど、それも自分の意志で決めないといけない。

だあら、「どんな未来に向かっていて、今何を積み重ねる必要があるのか?」ということを考え続ける必要があります。

結局のところ、自分の意志が大切というのが僕の結論です。

「今何をするか?」という意思決定に、正解はありません。

後になって「あれをやっておけば良かった」と思っても、それは結果論に過ぎず、誰も意思決定をしたタイミングで「これが正解だ」なんてことはわからない。

だからこそ、「自分が決めた」ということさえ明確にしておけば、結果的にその意思決定が正解になっていくように自分で努力するはずなんです。

誰かが決めたことよりも、自分で決めたことの方が想いが乗りますから。

自分の可能性を広げるのは自分。

でも、可能性が広がったか狭まったかなんてことも、今の自分がわかることではない。

可能性を広げる努力はできても、その結果は今わかることではない。

自分の可能性を広げたくない人はあまりいないと思いますし、どちらかと言えば可能性を広げたいなと思う人の方が多いはず。

自分の可能性を広がるために、今の自分に何が必要なのかを考えて今を積み重ねられるかが重要です。

ただ、可能性を広げることは目的ではなく、理想を叶えるための手段であり、理想を追い求め続けて貪欲に日々を積み重ねた結果として可能性が広がったという状態が良いのかなって思います。

可能性が広がったと実感できるのは、何に向かっているかが自分の中で明確になっている時であり、何に向かっているかもわからないままに「可能性が広がった」と実感することはないと思うので。

掴みたいものがいくつもあって、「全てを掴みたい」と思う気持ちはわかります。

でも、「今の自分では全てを掴めない」と思うなら、全てを掴むために何をすることが必要なのかを考えないといけません。

「全てを掴めないのは環境が悪いからだ」と他責になっていたら、いつまで経っても何も掴めない人生を送り続けることになるかもしれません。

それだけは避けたいですよね。

1つずつピースを揃えていく。

その過程を過ごす中で、もしかしたら掲げる理想も変化するかもしれない。

視座も高くなるし、視野も広くなるので、それはそれで良いことです。

未来に向かって今を全力で過ごすことができたら、『未来のために投資している今』ですらも、全力で楽しめるはずだし、「今を犠牲にしている」という感覚は生まれないはず。

誰かと話したり、誰かから話を聞くというのは、自分に何かしらのキッカケを与えてくれる可能性があります。

人との対話が持つ可能性というのは、無限の可能性を秘めていると思ってます。

ただ、人との対話が絶対に必要かというと、そうではないとも思ってます。

実際に僕も、誰かとの対話を主体的に設けてきたかというとそうではないし、どちらかと言えば、自分と向き合って、自分が積み重ねるべきことを見出してきました。

あとは、『誰か』という存在を『本』から見出してきたタイプでもあります。

誰かとの対話からでもいいし、自分と向き合うことからでもいい。

大切なのは、そこから成長の原動力を見出すことだと思います。

誰かとの対話を通して、「良かった」「良い時間だった」で終わる人もたくさんいます。

過去に何回も同じようなことを聞いたことがあるのに、その度に「良い時間だった」という感想を口にする。

前に同じようなことをインプットしたことさえ忘れて、初めて聞いたかのような反応を示す。

それは、自分が過去の自分から成長していないことを示しているのに、そんなことにも気づかない。

誰かとの対話は、それ自体が目的じゃないはずなのに、それ自体が目的になってしまっている人も多いのかもしれない・・・そんなことを感じることが多々あります。

対話を通して何を感じ、その感じたことを今日からの自身の日々にどのように繋げるのかを考えないと、今あるステージから次のステージに行くことはできません。

対話の場を設けている人の多くは、「成長したい」と思っているはずなので、その対話を自身の成長に繋げないと。

誰かと対話したり、自分と向き合ったり、本を読んでみたり。

それらを通して得られる成長の原動力の1つに、『悔しさ』や『足りなさ』という要素があると思います。

自分が目指すものがあって、現在の自分とのギャップを埋めることを意識して日々を過ごしており、その中に、誰かとの対話、自分との向き合い、読書などの要素を織り交ぜていく。

そうすると、「今やってることじゃ全然足りない」とか、「そういうやり方があったのか」とか、「そもそも意志の強さが足りない」とか、「やり切れていないことがたくさんあったんだ」とか、いろいろなことに気づくはず。

理想を掲げて、精一杯に日々を過ごしているからこそ、そういう気づきを得た時には「悔しい」という感情が生まれます。

そして、自分の『足りなさ』にも気づき、「もっとやるぞ」という意志が生まれ、自分の心が燃えていきます。

そうすれば、何かしらの新しい行動が生まれて、新しい習慣ができ、それは結果的に自分の人生を人生を変えていきます。

誰かと対話することは良いことですが、繰り返しますけど、対話することが目的にならないように意識していきましょう。

今を全力で過ごすためにも、終わりを思い描くことから始めてみましょう。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。


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