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貫ける正義があるか?(海賊とよばれた男)

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

Audibleで小説を聴くことにハマっております。

少し前に、『海賊とよばれた男』を聴きました。

海賊とよばれた男(上・下)
著者:百田尚樹
ナレーター:井上和彦

「全てのビジネスパーソンにオススメ」という書評があったのですが、それも納得の内容でした。

聴き進める中で、主人公が信念を貫き続ける姿勢に感銘を受け続けていました。

一方で、「こんな馬鹿みたいなことを言う人がいたのか」と思わされる内容もありました。

本質的なことから目を背けて、「わかってるよな」みたいな雰囲気を醸し出す感じね。

それは別に、当時(戦時中が舞台で実話を元にした話)の世の中だけでなく、今でも耳にすることがある内容なので、時代が変わっても残る悪しき文化なのかなと感じます。

悪しき文化を感じてしまった具体的なシーンについて少し紹介します。

とある会議の場で、若手の議員が周囲のベテランビジネスパーソンを前にして、大多数の賛成を得て可決されそうな内容に反対しました。

「これが可決されたら日本の未来はない」と。

それに対して、その場にいたとある会社の重役が、「ベテラン議員の◯◯さんと深い仲でね、その方に君のことを良く言っておくよ」と一言。

それに対して若手議員が「それはどういう意味ですか?」と返す。

ベテラン議員は少し怯む。

・・・みたいなシーン。

「ベテラン議員の◯◯さんに君のことを良く言っておくから、この場は穏便にしてた方がいいよ。君も自身の経歴に傷をつけたくないだろ?」みたいなニュアンスがあったわけですね。

「それはどういう意味ですか?」という、皮肉混じりに返した若手議員、まじナイス!

結局この内容は可決されず、結果的に若手議員が主張した内容が通ったという結末に。

この話を聞いた主人公は、以下の発言を残しました。

たとえ99人の馬鹿がいても、正義を貫くひとりがいれば、けっして間違った世の中にはならない。そういう男がひとりもいなくなったときこそ、日本は終わる。

海賊とよばれた男(下)
著者:百田尚樹
ナレーター:井上和彦

激アツのシーンでした。

ここに至る背景とか、このシーンの詳細は上記に書けていないので、本を読む、もしくは聴いてほしいです。

権力に打ち負かされるな。

間違っていることを間違っていると言い、正しいことを正しいと主張して何が悪いのか。

だけど、自分の利益をチラつかせられて、「本当はこっちが正しいと思うのに」という方向に行けなくさせるような誘惑をさせる馬鹿が世の中にはいる。

何があっても信念を貫こうとする強い心がないと、誘惑に負けてしまうこともある。

自分の心と向き合っているからこそ、自分の正義を貫くことができる。

「いかなる場合も自分の正義を貫ける存在でありたい」と思えたシーンでした。

第二次世界大戦前後の話ですが、上記の内容は現代でも聞く話です。

むしろ現代こそ、そのような誘惑が多く、その誘惑に負けて、正義を貫けない人が多いのかもしれません。

ただ、そんな中でも、「正義や信念を貫いていい」という風潮が出てきたのも事実。

そんな時だからこそ、「自分の正義とはなんだ?」と問いを立て、自分と向き合うことが必要なのかもしれない。

生半可な正義は、貫こうにも貫けないから。

正義を貫くには、「自分は何を志しているのか?」という問いに自分なりの答えを持つ必要があります。

「志す」とは「心が目的に向かう」こと。

何かしらの目的を持って、僕らは日々を過ごしています(意識的にも無意識的にも)。

よく「目的なんてない」と言う人もいるんですけど、しっかり考えたら、1つ1つの言動に何かしらの目的は隠れています。

本当になんの目的もなく動いている人は、たぶんいないかなと(目的として言語化できてないだけ)。

同じ志を持つことの大切さは、僕がこれまでの仕事人生の中で体感していることですし、いろんな人との対話の中でも「やっぱり志の共有は大切だ」と実感させられることが多いです。

志を明確にしていることは、どんな状況になったとしても「ここで踏ん張るんだ」という主体的な意志を生みます。

志を言語化できていれば、誰かや何かに縛られている感覚ではなくて、自らの判断で「ここにいる」「これをやっている」という状態になっているということです。

今の会社に転職してからの違和感の1つに、「志の共有をしている人は少ない」ということがあります。

目標の確認はするけど、そもそもどんな志を持っているかという話が起こらない。

そこを大切にしている会社は多いはずなのに・・・(会社の経営理念とかミッションとかビジョンとかを大事にしているにも関わらず、個人の理念やミッションやビジョンに目を向けない)。

だから僕は、個人の理念やミッションやビジョンを言語化してわ会社のそれらとすり合わせを行い、「ここにいる意味は?」を言語化できるような個人を増やす取り組みをしています。

僕ら1人1人は、誰かに働かされているわけじゃないし、誰かにここに縛られているわけじゃありません。

自分自身で、「ここに居る」「ここで働く」と決めているんです。

自分の心がどこに向かっているのかを、まずは自分が認識しないと、「なんでここに居るんだ?」「なんでここで頑張っているんだ?」と問いを立てた時に、答えられなくなってしまいます。

「なんでここに居るんだ?」「なんでここで頑張っているんだ?」と問いに対して、答えられない人が多い組織は、表面的な集団にしかなりません(一枚岩になんてなれません)。

その状態では、グループになっているけどチームにはなれないでしょう。

目標は共有できているけど、目的の共有がない。

1人1人がなんでここで頑張っているのかを共有できていないと、いざという時に頑張りきれない、踏ん張れない、仲間を頼りきれない。

限られた人生の大切な『今』を、どんな人達と共に過ごすのか。

「仕事だからそんなのどうでもいい」と割り切る人もいますけど、本当にそれでいいのか。

心がどこに向かってるのかもわからない、自分では「理解もできない」「意味不明だ」と感じてしまう人たちが周りにいたとして、その人たちと共に過ごす時間は、あなたにとって何をもたらすのか。

ここに居る意味を自分で見出せないなら、自らの考えを持ってその環境から飛び出すのも立派な意思決定です。

一緒にいる人が「同じ志を持っている」と認識できれば、気持ちはラクになります。

ちょっとした意見の食い違いに、いちいち心を揺さぶられることもなくなります。

同じ志を持っていたとしても、そのゴールに到達する方法は無限にあるので、そこに至る方法を考え出したら意見の食い違いなんて当然生まれますから。

自分の人生を全力で生きるために、自分が志していることを明確にして、その志を共有することを大切にしてみましょう。

志が明確になれば、自分が正しいと思うことが言語化されて、自分の正義を貫けるようになるでしょう。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。


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