biography-0 : before workaholic
こんばんは、workaholic syndrome Gtのheです。
GW後、まるでやる気が出ませんね(笑)
仙台では青葉祭りがあったようで、でも駅の近くでなかなかの煙が上がっていたり、なかなかに騒がしい週末。
個人としては、別バンドの練習と本バンドの練習と、
結果として休みの無い週末になりましたが充実はしている方かもしれませんね。。。
折角なので今回はworkaholic syndromeのHPには載っていないBiographyを
少しだけ紹介します。
1.結成のいきさつ
HPにあるのでメンバー詳細については割愛しますが、
とりあえずパートと名前だけ、、、
牛乳以外は大学のバンドサークルが同じで、
Rewとわたくしheは同期になります。
(先生が1個先輩)
Rewと一年ほど濃密な時間を過ごし、卒業後もバンドをやろうと意気込み、
お互い就職してから早6年。
Rewの激務と度重なる転勤からなかなか動きが無かった中、
私の転職をきっかけにバンドが動き始めました。
先生は宮城の方で教職についており、
卒業後のRewとも交流があったことからすんなりベーシスト加入。
バンド掲示板にてドラマーを集い、各メンバーが聴くジャンルバラバラで
テキトーな勧誘に引っかかったドラマーが加入して晴れてバンド結成に至りました。
牛乳はまだいません。
2.workaholic syndrome始動
前身ドラマーが少し天然気味で意味不明な言動することが多く、
Rewが次第に不信感を募らせます。
突然、北海道に飛行機で行ってストラト買ってきたり、
ライブ中にビーターが吹っ飛んだり、練習すっぽかしたりと。
「そろそろ潮時かな。」
そんなタイミングで現れたのが牛乳でした。
彼はRewが東京に転勤していた時、BLANKEY JET CITYのセッション企画の
際にたまたま出会ったそうです。
そんな彼が、何の因果か、仙台へ転勤になり、
運命の歯車が回り始めます。
前身ドラマーの彼も、察したのかどうなのかは今となっては分かりませんが、自らバンド脱退を告げ、今の職を捨ててカレー屋を開くというまた荒唐無稽な言葉だけ残して去っていきました。
もし出会うことがあれば彼についての記事も書いてみます。
出会わなければ書きません。
3.バンド再始動からのコロナショック
新たなドラマーを迎え、再始動。
バンド名をworkaholic syndromeに変更しライブを二回ほど行い、
色々とあった2019年に別れを告げました。
来る2020年、さらなる飛躍をというタイミングで
コロナウイルスの大流行となりました。
もちろんコロナショックを機に世に出て名声を得たバンドも沢山いるかと思います。
我々は本職の方で罵声を浴びながら果たして意味が有るのか無いのか分からない仕事をこなしながら練習だけひたすら行っていました。
2021年、終わる兆しの見えないコロナ禍。
workaholic syndromeとしてこのままでいるわけにはいかず、
初のレコーディング・サブスク配信、MVの制作を進め、
2022年になりようやくライブが出来ました。
いろいろと壁にぶち当たりながらにはなりましたが、
少しづつ活動しやすくなってまいりましたので、
もう少し露出を増やしていきたいと思います。
今後も各メンバーの紹介等、
小話を織り交ぜながら投稿していこうと思います。
牛乳が牛乳足る所以も気になっていることだと思います。
但し、全然面白くないので次回以降で。。。
それではまた。
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