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日記をつけるのは1日を報告すること

ティーポットです。明日は東京都知事選ですね。一昨日まで港区に通勤していましたので、駅前では候補者の方のお顔を拝見しましたよ。

さて、2024年も半年が終わりました。

元旦から日記をつけ始めた人、毎年つけている人、色々いらっしゃるかと思います。日記は続いていますか?

私は、手帳に書いていた3行日記から始めると約9年、日記を書いています。

なんで日記を書き始めたか?

以前の記事でも書いた通り、私には障害があります。(障がい者手帳を取得できるのを知ったのは、ついこの間でした。)障害と言っても、ちゃんとケアしていれば健常者と変わらなかったのですね。

障害自体は、20年以上前からあります。

伴走してくれる専門職の人、つまり医師に月に1〜2回、日常生活をレポートする必要があり、そのメモがわりに手帳を書き、日記に発展したと言うのがその始まりです。

日記を書くようになって日常で変わったこと

日々の出来事を医師にどう報告しようか、と考えるようになったのが始まりです。丁寧に診てくださる医師だったので、最初は1ヶ月の概要を伝えたり、日々のニュースの感想を伝えたりしていました。

体調ももちろん、日々の出来事、思ったことなどですね。手帳にささっとメモしたのが始まりで、5年くらい前に仕事を辞めたのをきっかけに、日記を書く時間ができたので、日記に発展しました。

とても真摯な医師だったので、その真摯さに応えるようにいつしかなっていきました。

その医師も昨年引退されました。

その後の日記は・・・

若い医師に担当が変わりました。報告は単調です。また、以前の医師のように真摯さに深みがない、というのでしょうか?私の方が年齢が上になってしまったので、仕方がないのかも知れません。

ただ、以前の担当医ならこの場合、どうおっしゃるだろう?と思いながら、以前の医師に報告するつもりで、日記を書いています。

するとこんな効果がありました。

今日という1日にどんな意味があったか?を自分で意味付けするようになりました。以前の担当医は正論ばかり吐く方ではなかったし、時には嘘も方便、負けるが勝ち、という老獪なところも持ち合わせた方でした。

そして、私の行動が人間的結果に繋がったか、途中で諦めていないか、など「真摯に物事に対応できているかどうか?」について点検する意味合いで日記を書く、という習慣になっています。

自分に自分を報告する、というスタイル

ググると日記の効果が出てきますが、日記を書く効果として、自分を客観的に観ることができる、というのが一つあると思います。それは、具体的には自分の行動を客観的にまとめ、自分にレポートする、ということで私は成立しています。

手帳でも、日記でも、もし自分を正そうとしたら、上のように「報告する」、という意識で書かれてみたらいかがでしょうか?過去の自分からのレポートに目を通すのは悪くない習慣だと思います。

そして、日記は私はデジタルをお勧めします。見直すのに早くできるからです。私はDayoneというMacのアプリを使っていますが、最近iPhoneに標準搭載された「ジャーナル」というアプリも結構楽しそうですね。



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