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#2 ひつじとものがたりのたびだち

「早く済ませてくれませんか。こっちは羽を休めているわけじゃなくて、待たされているんだから」

窓辺にとまったハトは苛立たしい口調で急かす。次の集荷がつかえているが、のんびり屋のひつじがいつまでも準備を終えないために待ちぼうけをくらっているせいだった。いつも通りのことではあるが、それをひつじがゆるされていることにも納得できていなかった。

「どうして上司に、いやそれどころかこの街の人たちにあなたは許されているのか」
「相手が迎えに来れないから、ものがたりがみずから会いに行こうと旅にでる決意をしたのです。この健気な思いを無下にあつかうことなどできません」
「言っている意味はわかりますがね。困るのですよ」
「もう少しですから」

草紙を刷毛で撫でつけ、ものがたりがよりなじみやすくなるように調整を続ける。ひつじの手の形からして、工程に合わせて刷毛を持ちかえるところに難儀することが遅れる一番の要因であった。

「そんなに準備が大変ならば、他の者に頼めばいいでしょう。指定された集荷時刻までに準備が間に合ったことなどないのだから、いい加減学ぶべきですよ」
「ものがたりがわたしを止まり木として選ぶ以上、他の方には頼めません。それに、旅にでる決意をしても、やはりものがたりとしても不安なわけです。申し訳ないとは思うのですが、どうか汲んでやってください」

草紙の仕上げが済むと、ひつじの毛から小さな光が姿を見せた。光は別れを惜しむようにひつじの頭上をとびまわると、頬ずりをかわす。

「相手の方と出会えるのは、いつになるかは分かりません。それに、ここにはもう帰ってはこれないでしょう。それでも会いに行くと決めたあなたの思いをわたしは尊重します。勇気あるあなたの止まり木であったことを、わたしは誇りに思います」

さしものハトもひつじがものがたりに別れのことばをつげているときは口を出す気になれなかった。これから先、ものがたりの決意がはたして報われるのかもわからない。しかし、ものがたりとしての性質上、生まれたからには誰かに読まれねばならない。惹かれあう相手がいて、相手から会いに来れないのであれば行くしかない。ものがたりがどれだけ長く世を漂っていかなければならないのか、想像するだけでもハトは胸が締め付けられる思いだった。

「さあ、あまりハトさんを待たせてはいけません。お別れの時です」

ひつじの声にこたえるように、ものがたりは草紙にインクが紙上に垂れるがごとくしみ込んだ。紙上に落ちたものがたりは幾筋もの細い光に裂けていき、それぞれが適当な場所を見つけると黒いインクに姿を変えて文字となり、物語として生まれた。

ひつじは草紙を丸め、ビンに詰め込む。草紙がビン底にふれたときに涼しい音がした。ビンの口をコルクで閉めると、ひつじはようやく準備を終えたからとハトにビンを手渡した。

「まったく、ずいぶん待たされたものだ」
「では、よろしくお願いします」
「任せろ」

ハトは窓辺から飛び出して、強く羽ばたき徐々に高度を上げていく。ひつじは一筋の涙を流しながら、後ろ姿が見えなくなるまで見送った。


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