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編み込まれたセーターは
私がその言葉を見つけたとき、物語は水色をしていた。別の物語を読んだとき、それは薄い黄色だった。そこには、登場人物たちの感情があったのだ。それを覗いた私という存在は、彼らに色を感じたのだ。
物語を覗くというのは、私が彼らの一つ上の階層にいる存在とも考えることができるのかもしれない。それは難しい話ではなく、水槽を眺めているようなものである。隔たりがあって、その外側から内側に目を向けている存在がいて。
そうすると、今の私は何色だろうか。一つ上の階層にいる存在がこちらを覗いたとき、何色をしているのだろうか。
それは、緑であってほしいと思う。
誰かに色を教えてもらうためにも、私は人生を歩まなければならない。そうして、連続した短い衝動を一つのまとまりとして時間を過ごし、物語を編み込む。多少のほつれは目をつむらなければいけないものの、大切なことは、そのとき物語はどんな色をしているかということだ。
編み込まれた物語は、まとわりついてきて、ちょっとした髪飾りか、外套か、セーターなんかになって自分を着飾ってくれる。そのとき物語が緑色をしてくれていたら。ただそのことを祈るばかりだ。
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