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次男がテニスをはじめて1年が経ちました

 次男がテニスをはじめて1年が経ちました。もう二度と訪れない「1年目」なので備忘録としてNOTEに1年の活動とテニス転向のきっかけみたいなものを書いてみます。

 次男は2010年の1月2日生まれです。テニスには有利とされる早生まれですが、4月生まれが有利な野球の道を、お兄ちゃんの背中を追って小学1年生からはじめました。野球では右投げ左打ちで、これは私や、野球の指導者が強制させたものではありませんでした。長男は主にピッチャーをしていましたが、次男はピッチャー、キャッチャー、ショート、サード、とほぼ全てのポジションができるユーティリティなプレーヤでした。小学6年のときは所属するチームのリーグ選抜に選ばれました。
 中学に進学するにあたり、長男のいる強豪の硬式野球チームに入るのかと思っていましたが、部活動の軟式野球か軟式テニスにと考えはじめていました。私は中学に入ってから取り組むスポーツが野球であれテニスであれ何でもよかったのですが、部活動というのに引っかかっていました。現在の部活どいうは水曜日と土日のどちらかがお休みで、自分の頃と比べると明らかにお遊び的なもので、どのクラブも先生、環境ともに真剣さがないように感じました。そこで、あるとき「テニスやってみんか」と聞くと、「やってみようかな」という感じだったので、通うのに電車で1時間足らずかかりますが、私の務めるテニススクールに週2で通うことになりました。

 まず最初に入ったのは、私が2017年に立ち上げたステップアップジュニアというチームに新設した「中学デビュー」とういうクラスです。公立中学の多くが硬式テニス部というものがないため、中学でも、中学から硬式テニスを続けたい、はじめたい子を対象にしたクラスを新設しました。担当コーチは私自身で、最初から実験的な意味も含めて、ずっとスペインドリルだけをしてきました。この頃の練習記録動画があるのでご覧ください。

 次男のテニス挑戦と同時に私自身も新たな挑戦をしていました。それは「怒らない」「怖くない」指導でした。テニスコーチ駆け出しの私は、よく怒鳴り、怖いので子供が軍隊のように動くようなレッスンでした。毎回誰かが泣いてしまったり、「帰れっ」と怒鳴って本当に子供が勝手に帰ってしまい、スタッフ総出で探し回ったりという失敗談が数多くありました。そんな何をやっても上手くいかない日々の中で、実際に我が子が生まれ、実際の子供をテニスコート以外でもみていると、間違いや現実を直視することになり、子供の発育発達論、心理学を学び、なぜ上手くいかなかったのかがぼんやりとわかるようになってきました。

 そんな中で、二人の子供たちはテニスを選ばず野球の道へ進むことになったのですが、そこで見る子供への指導は、至るところで私のような間違えた指導が横行していることを目の当たりにしました。そこで、子供たちの所属する野球チームの指導者になりました。指導者になってから、学んでいたことを生かそうと色々と挑戦しましたが、野球というのは監督が絶対的な指揮権を持っているため、なかなか理想通りのことが行えませんでした。そこで、やりたい指導の前に監督にならないと実現できないことが多いとわかったために、裏方の仕事(リーグとの試合調整、グランド管理、チームスケジュール)に専念して実績を作り、次男が4年生のときの監督に就任しました。この少年野球の監督という経験は、これはこれで長文の記事が数記事書けてしまうので、本記事では割愛します。

 そんなこんなで次男と一緒に新たな挑戦を始めたのですが、夏には初めて大会に出場しました。ジュニアフェスティバルと県の夏季ジュニアに出場しました。結果は1ゲームも取れずに1回戦敗退でした。続いて12月にはウィンタージュニアに挑戦しましたが、ここでも1ゲームも取れずに1回戦敗退でした。このウィンタージュニアで負けた後に次男は車の中で一人号泣しました。私の計画すればとくに遅れているわけでもなく、試合も実際に見ましたが、次男の実力では到底勝てる相手ではありませんでした。ただ、野球でも試合に負けて泣いたことがなかったので、その意外な姿が一番の収穫でした。

 一方で負けることは想定内でも、ずっと1ゲームも取れずに負け続けていると、子供も親もモチベーションが続かないこともわかってきました。県のジュニアなんかで勝てるという結果の出る子は、そもそもその過程に違いがあります。例えば練習時間ですがテニスエナジー白川さんの記事によれば関西レベルで勝つなら3000時間以上の練習が必要だと。関西優勝を目指していないにしても、それを目指しているような子が含まれる県の大会ですから、週2〜3回の練習(これでおそらく年間300時間足らず)では勝てるはずがありません。ちなみに2022年の練習時間は次の通りです。

だからといって「そんな努力じゃ勝てない」と導くのではなく、小さな子供の変化、成長とともに、徐々にその取り組み姿勢が失敗しながらいい方向に変わっていくのを、親子二人三脚で体験してもらいたいという仕組みを、現在のステップジュニアというところで試行錯誤しながら動かしています。

 ステップアップジュニアの指導は大きく2つに分けています。

 『現実的、展開的指導チーム』と『スペインドリル採用チーム』です。

『現実的、展開的指導チーム』とは、論理的な思考に優れており、客観的な分析に優れた子が取り組むプログラムです。メニューは特段変わったものではないのですが、取り組み内容を体系化して、徐々に難易度、展開度を上げていきます。

『スペインドリル採用チーム』とは、身体的なスペックに優れており、主観的な発想が優れた子が取り組むプログラムです。稲本さんが留学していたサンチェスカサルアカデミーのドリルをひたすら行います。細かな声掛けや指導はあまり行わず、大量のボールを打たせます。

 次男は『スペインドリル採用チーム』です。親子ですから、オンコート以外でも接する時間が多いのですが、全くテニスの詳しい解説や技術論を話したことはありません。たまにテニスコーチの息子さんだからと言われるのですが、現在も土日は少年野球部の監督をしていますし、平日は毎日ステップジュニアの指導で帰りが遅いため、一緒に練習するのは月に2〜3回くらいです。当然その練習はプライベートレッスンになるのですが、ずっとスペインドリルだけです。


  今年の県春季ジュニアは単複ともに予選の1回戦を勝つことができました。シングルスは内容もよく、夏に何度か練習にいったビーンズドームのジュニアチームの子と対戦でした。最初は頑張れば勝てるかもと思ったのですが、どんどん打ち込み、ネットプレーなどを組み込んでとにかく攻めまくっての圧勝でした。2回戦はトップランの上シード選手でしたが、ラリーは互角に打ち合う場面もありましたが、ここぞで絶対にミスしない相手選手はさすがでした。

 春は芦屋市長杯にも出場して1回戦を勝ち、2回戦で敗退しました。次男は発育が遅く、14歳以下で発育の早い子のボールは、その種類が少し次男と数階級上のため難しそうです。ただ、1〜2回勝てるようになっても、早かれ遅かれシード選手と当たります。まだこのシード選手には、どう転んでも勝てる力はありません。とくに野球出身の割に、サーブ力が乏しいので何とかしないといけないと思っています。

 父親として、次男と取り組むテニスは、当たり前ですが一生に一度しかありません。しかも中学からはじめるので時間もありません。他の家庭では受験など様々なことでの紆余曲折を楽しみながら、一緒に進んでいくようなチームにステップジュニアとともに成長できたら幸いです。

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