見出し画像

言葉と音

まとめ記事を読んで、へえーそういう人って多いんだ、とちょっと驚いた。

本を読んでる時、ふと「脳内で読み上げた音」で文章を認識していることに気付いて、はて、完全に耳の聞こえないひとは文章をどう読むのだろうと気になった。

https://twitter.com/u_vf3/status/1586888078848770048

私も文字を読むとき必ず脳内で文章を読んでる声が聞こえてて、その声が聞こえないとちゃんと読めたって認識できないから英文読むのにめっちゃ時間かかる

https://twitter.com/_rinpippi_/status/1587029623556427776

わたしが本も漫画も読むの遅いの、全部頭の中で音読して読んでるからだ、、ちなみにツイートするときも音読してる、、

https://twitter.com/____118m/status/1587020320912789504

当方は文章って、目で見て「記号」として理解するだけなので、いちいち脳内に音声を流すことができるなんて逆に凄い、と感心してしまう。たとえばイントネーションや発音のわからない文字は、どう脳内で読み上げているのだろうか。

とはいえ言葉って、ゆっくり声に出して音で鳴らした方が、いろんな深い意味が伝わってくるし、腹の底からわかってくるのだろうとは思う。当方みたいに黙読速読しちゃう方が「邪道」なのだ。

なぜなら、そもそも「文字」という視覚記号の文化が生まれたのは、つい最近にすぎない。それまで人類は長い間、ずっと「音声言語」だけでコミュニケートしてきたのだから。

というか、そもそも「言葉」が発生する以前に、まずは「音楽」があった。その「音楽」から過剰なエモーションを削ぎ落とし、抽象的に整形することで、「言葉」という人工的な記号が作られてきたのではないか。

そう推測するのは、自分自身の育児経験が根拠だ。

乳児は最初ウワーとかウーとかうなったり手近な物を叩いたりしてるが、成長するにつれて次第に単語を発明し、いつしかまとまった言葉をしゃべるようになる。

人類もまた、長い時間かけてそのように「成長」してきたのだと思う。(ちなみに音楽は、理路整然とした言葉よりも、乳児のウワーという衝動的な叫びの方に近い表現だ。どんなに洗練されようと)

思うに、人は生まれた瞬間、自分を取り囲む光も音も温度も、全情報をまるごとそのまま受け止めているのだろう。音で言えば、全周波数帯が鳴り響くホワイトノイズのように。

だがそれでは全てがカオスすぎるので、フィルタリングすることをおぼえ、情報を遮断して絞りこんで、なんとか状況を把握できるよう「成長」していく。

だが、このフィルタリングはあくまで人為的なものなので、常に「なんか、ちがう」感がつきまとう。

フィルターを通して見えている「この世界」だけが本当の世界じゃないのではないか。そんなうっすらとした違和感を抱えて、人は生きていかざるをえない。

だから、絵やダンスや音楽のように「非言語的」な表現に触れると、フィルタリングする前の、いわば赤子として世界を肌で受け止めていた時の感覚が、つかの間よみがえってくる。この「懐かしさ」が、人を惹きつけるのではないだろうか。

小説や演劇や映画などの「物語」表現や、「歌詞」を伴う楽曲の情報量には、確かに圧倒されるし、素直に楽しく感じる。

だが一方で、そういった「言葉の世界」を経由しない絵やダンスや、「詞」を伴わない音楽にも、説明のつかない不思議な魅力を感じることがある。それには、こういった理由もあるのかもしれない。

(2022.11.3)

https://www.wonosatoru.com


サポートありがとうございます! 応援していただけたら記事を書くモチベーションがグッと上がる単純な人間です。