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ペーパードライバー【ショートショート】

 目の前に広がる白紙は、まさにおれの頭の中を投影していた。
 これだ、という漫画のイメージが思い浮かばず、むしゃくしゃしては、紙をくしゃくしゃに丸めて投げを繰り返し、午前中が過ぎていく。
「仮眠して、リフレッシュするかぁ」
 もはや、お馴染みとなったセリフをつぶやくと、どこまでもおれを甘やかしてくれる万年床へと倒れこみ、目を閉じた。
 こんな風にして、いつもおれの一日の大半は過ぎていく。

 はずだった。
 布団にダイブし、目を閉じて数秒もせず、漫画のアイデアではないものの、自分への素晴らしい提案がふと浮かんだ。
「たまには、ドライブにでも行くかぁ。気分転換に」
 久しく車を運転していなかったが、不思議と車で遠くまで出かけたい気持ちが湧きおこった。
 そうと決まれば、布団から起き上がり、特に着がえもせずに、スマホと財布をポケットに突っ込んだ。
 そこで、違和感を覚えた。
 手にしたスマホと財布がやけに軽過ぎる。
 ポケットから取りだして、目を凝らしてみて、その理由がわかった。
「これ、ペーパークラフトだ」
 ぱっと見ではわからないほど、精巧に作られたペーパークラフトだった。スマホと財布だけじゃない。さっきまで寝転がっていた万年床も、趣味のギターも、玄関の履き古した靴も、この部屋にある何から何までが紙でできている。
 誰かのいたずらにしては大掛かり過ぎる。まさか、神様のいたずら? それをいうならきっと紙様のいたずらに違いない。
 とにかく、外へ出ようとドアノブを握ると、その内部にも空洞があるようで、どうやらこのアパートごと巨大なペーパークラフトになったのだと悟った。
 世界中がそうなったに違いない。
 自分でも驚くほど冷静だった。
 アパートの駐車場に行くと、愛車の真っ赤な軽自動車がいつもの場所にあった。もちろん、ペーパークラフトだった。ポケットから取りだした車の鍵も紙だ。
 車に乗りこみ、鍵を差すと、本物のエンジン音のような音を立てて、動きだした。
 どうしてこんなことになったのかはわからないが、この紙の世界はアイデアの宝庫のような気がしてならなかった。
 好奇心に背中を押され、カーナビをオンにする。
「どこに行こうかぁ」
「この車はエコカー」
 ナビが韻を踏んで、返してきた。
「そうなの?」
「再生紙を利用しております」
 ペラペラと喋るナビだった。

 アクセルを踏み、車を発進させる。
 しばらく走ってみても、人の気配はまったくなかった。もしかしたら、おれ以外の人々はいなくなったのかもしれないし、紙の人間になったのかもしれない。
 大通りへと抜けると、車の交通量が増えた。
 それでも、運転しているのは紙の人間だろうなと思った。実際、信号待ちをしている隣の車の運転手は、とんとん相撲の力士のようなタイプの紙人間だった。
 街の様子も気になったおれは車を駐車場に置き、繁華街を散策することにした。
 当たり前のように、すれ違う人々は紙人間だった。とんとん相撲のような紙人間もいれば、紙から型通りに切り取られただけの紙人間もいれば、立体的な紙人間もいて、多様な紙人間が混在していた。
 試しに買い物でもしようと思い、近くの服屋へと入店してみた。
「いらっしゃいませ。当店はお客様の体に合った洋服を、オーダーメイドでお作りいたします。お時間もあっという間ですよ」
 紙の髪がきちんと整えられた、お洒落な着こなしの紙人間に声をかけられた。
「それじゃ、上下のセットアップをお任せでお願いしようかな」
「はい、かしこまりました。それでは採寸のほうをさせていただきますので、失礼いたします」
 慣れた手つきで体中を測られると、紙人間は何百種類もあると思われる紙の中から、生地にふさわしい紙を選んだ。それをハサミでちょきちょきと切り取り、折ったり、わざとしわをつけたり、ホチキスで止めたりして、あっという間にモスグリーンの上下のセットアップが完成した。胸元には赤色の千代紙がワンポイントであしらわれている。
 試着室で早速、着てみると紙っぽさもなく、とても着心地がよくて驚いた。
 会計は現金で支払うことができた。紙幣は、この世界でも使用できるらしい。

 買い物を楽しんだ後は、ドライブインシアターで映画を鑑賞した。
 巨大なスクリーンにパラパラ漫画風の映画が映し出された。水中を移動したり、ビルが派手に燃えたりと、紙人間が描くとてもシュールかつ大迫力のアクション映画だった。
 映画を堪能し、いよいよ高速道路で遠くまでドライブしようと考えていると、渋滞に巻き込まれてしまった。
 ここは別のルートがないか、ナビに頼ってみよう。
「ただいま五キロの渋滞です。モードチェンジを推奨します」
「モードチェンジ?」
「ディスプレイ下の赤いボタンを押してください」
 ナビの指示通りにボタンを押してみる。
 するとサンルーフが開いたかと思うと、車体は折り紙のように形を変えて、カエルの乗り物に変形した。
 カエルは、渋滞中の車のボンネットやルーフをぴょんぴょんと飛び跳ねていき、あっという間に渋滞を抜けることに成功した。
「この先、トイレットペーパー高速の入口です」
「なんだって?」
 聞きなれない言葉にとまどいながらも、ナビの言う通り、高速道路に入った。
 びゅんびゅんと流れていく車線に合流すると、おれも車の速度を上げた。
 なるほど。しばらく走って、トイレットペーパー高速の意味がわかった。この道路自体が大きなトイレットペーパーで、車が走りながら、ロールを回転させ道を進んでいくというわけか。なんだかハムスターの回し車を思いだす。バックミラーで後方を確認すると、通り過ぎた紙の道がひらひらと宙を舞っていた。

「そこの赤色の軽自動車、止まりなさい!」
 快適にドライブを楽しんでいると、けたたましいサイレンとともにスピーカーで警告をされた。
 バックミラーで確認すると、パトカーがおれの車を追いかけてくる。
「停車したほうがいい?」
「後方の車はペーパーレス警察です。スピードを上げ、逃げてください」
 この紙の世界において、ペーパーレス警察という響きは、とても不穏な存在のように感じられた。
 再び、後ろを見ると、パトカーのバンパーからハサミが飛びだして、道を切り裂きながら追いかけてくる。ハサミの刃は薄い紙で作られていて、切れ味は抜群だ。
「次のインターチェンジで下りてください」
 ナビのサポートもあり、道路ごと車をまっぷたつにされる前に、なんとか高速道路を下りて、ダンボール山へと逃げこむ。
 足場の不安定な茶色い地面には、うっすらと雪のように白い紙吹雪が積もっていた。
 険しい山道を右へ左へと曲がる。運転をあやまれば、まっ逆さまに落ちるであろうダンボールの山道に、ハンドルを握る手の汗はすごかった。
 吊り橋にさしかかる。もうすぐ、橋を渡りきると思った瞬間、車体が急に宙に浮いた。
 追いかけてきたペーパーレス警察に、吊り橋のロープを切られたようだ。
「うわぁぁぁぁぁ」
 叫び声を上げて落下していくと、車体ごとクッションのようなものに支えられた。橋の下には、紙吹雪の降り積もった川が流れていた。
「た、助かったのか?」
 これ以上、追いかけられることもない、と安心したのも束の間、前方から聞き覚えのある嫌な音が聞こえてきた。
「この先、行き止まりです。モードチェンジを推奨します」
 慌ててボタンを押すと、車は紙飛行機へと変身し、大空を飛んだ。
 本当にギリギリだった。眼下には、シュレッダーの滝が見える。飲みこまれた紙吹雪はさらに細かく切り刻まれて、空中をひらひらと舞い落ち、滝壺には紙屑の山ができていた。

 危険を回避した紙飛行機は、海からの風に乗り、高く高く上昇した。
 まさか、空中ドライブまでできるなんて思ってもみなかった。
 途中、越冬のため旅をする色とりどりの千羽の折り鶴にも遭遇した。
 いつもにらめっこばかりしていた紙の中にも、こんな世界が広がっていたなんて……。
「元の世界に戻れたら、紙を無駄にすることなく、漫画に熱中できますように」
 千羽鶴を見ていたら、なんだか祈りたい気持ちになって、なんだか無性に漫画を描きたくなっていた。

 陽もすっかり落ちて、街の上空へ戻ってくると、金色の折り紙をちぎって、ちりばめたような街の夜景が出迎えてくれた。
「目的地周辺です。お疲れ様でした」
 ここでナビが終了するが、紙の満月が光っているだけだった。
「なんだか、月に近づいているような気が……」
 さっきまで金ぴかに輝いていた満月は、いつの間にかまっ黒い穴になっていた。
「これは、ブラックホール?」
 そう思った瞬間に、紙飛行機はくしゃくしゃに丸められて、穴の中に吸い込まれてしまった。
 
 慌てて起き上がると、自分の部屋だった。
 机の上のスマホを手にとってみる。すべてのものにふさわしいだけの重量があり、おれは紙の世界から帰ってこれたことがわかった。
 それとも、あれは夢だったのか?
机には、くしゃくしゃに丸めて捨てたはずの白紙が置いてあった。
 おれはその日から、白紙に浮かんだ世界と、自分が体験した冒険をひとつの漫画に描くことに熱中した。

 月日は流れて、おれが完成させた読み切り漫画『ペーパードライバー』は某出版社の新人賞を受賞した。
 今は連載へ向けて、さらなる構想を紙に描いているところだ。
 紙の世界を旅したことも大きかったが、ペーパードライバーだったおれの運転の腕が上達していったように、漫画を描くことに対してもペーパードライバーだったということに気がつけたことがとても大きかった。
 あの日から、おれは誰よりも漫画のことを考えて、誰よりも漫画を描くことを決めたから。
 それを忘れないように、おれは紙の世界から唯一、持ち帰ってこれた車の鍵を時々、握りしめる。
 何がきっかけになるかなんて、本当にわからない。
 それに気がつけるのかは、まさに紙一重の話なのかもしれない。

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