ショートショート前夜
『泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます。』
これは、ドラマ『カルテット』の第3話に登場する名言だ。
9月末が締切だった坊っちゃん文学賞(4000字以内のショートショート作品)に、2本の作品を無事に応募し終えたとき、この言葉がふと頭に浮かんだ。
今年で4回目の応募となったが、今までの中でも、いち早く初稿を書き上げ、余裕をもって推敲を重ね、時間をかけて作品の精度を高めることができた。
どういう結果になるかはわからないが、自分が今描きたい読みたいショートショートを形にできたことに、なんとも清々しい気分だった。
それと同時によみがえった記憶。
ショートショートを書くよりも前、そのきっかけとなった夜のこと。
正直、そのきっかけというのは劇的でもなく、奇跡的な出来事なんて一切起こらない、他愛もないことだと思う。
ただの情けない話ですが、ふと思いだしたので少しばかりお話を。
2014年3月。
その頃のぼくはといえば、中編くらいの小説を書いていた。
かれこれ3年くらいは、この長さの小説を書いていたと思う。
このとき、執筆していた作品は3月末締切の文学賞に応募するつもりでいた。
当時、付き合っていた彼女にも「なんとか原稿は送れそうだよ」と余裕をぶっこいていた。
これは小説を書いたことがある方なら経験したことがあると思うが、小説は書き始めることはとても簡単だが、それを書き終えるとなるとぐんと難しくなる。
小説が長くなればなるほどそうかもしれない。
いつも書き始めは調子良く進むも、中盤あたりで中だるみをし、締切のギリギリになってなんとか書ききるタイプだったが、このときは締切当日になって、完成できないような気持ちになっていた。
今回は諦めよう。
次回の公募に、より精度をあげた原稿を送ろう。
そんな気持ちが半分くらいわきあがっていた。
そういう気持ちが、少しでも芽生えだせば最後。
一気にそういうモード突入だ。
色々な言い訳を頭の中で製造しだす。
そう簡単に諦めない人もいるが、このとき、自分がそういうモードとやらにすんなりと入れた理由はひとつ。
締切日に諦めて、先延ばしにするということがこれが最初ではなかったからだ。
「諦める」という選択肢がもうプログラムされていた。
そんなわけで、そういうモードのまま、地元の郵便局の窓口はしまり、「次の公募に応募だな」と思っていたとき、ふと彼女の顔が思い浮かんだ。
小説を書くことを応援してくれた彼女を、こんなにも簡単に裏切ってよいのだろうか?
そう思いだすと、今度はさっきまでのそういうモードを押し返す勢いで、だんだんと落ち着かなくなってきた。
プログラムされた頭がパニックを起こす。
「諦める」という選択肢に慣れていたのに、突然の「諦めない」という選択肢に負荷を感じて、処理が追いつかない。
頭の中でせめぎ合う。
もう郵便局はしまった。
無理だ。
いや、今日の消印まで有効だ。
無理だ。
いや、可能性はある。
そう思うと、ぼくは未完成の原稿データの入ったUSBと原稿を送るために必要なものをバッグにつめて、小田急線へと飛びのっていた。
新宿駅に着いた。
新宿郵便局(当時)の窓口は24時間受け付けだ。
ぼくは、西新宿にある新宿郵便局近くのネカフェを探した。
その周辺は飲み屋も多く、時間帯的にもだいぶ騒がしかった。
なんとかネカフェを発見し、入店。
とはいえ、すでに20時は過ぎている。
利用するためのカードを作成し、パソコンデスクの席に入り、すぐさま最終調整に入った。
当日消印有効とはいえ、24時ギリギリの提出は危険すぎる。
ネカフェのプリンターで印刷し、穴あけパンチで穴をあけ、紐とじし、封筒にいれる時間を考慮しても、23時には印刷したいところ。
時間との勝負だ。
ネカフェのパソコンにはりつき、最後の集中力で原稿を仕上げる。
ここまでくると、もう自分のためというよりは、彼女との約束のためになんとしてでも仕上げる、ただそれだけの気持ちだった。
だいぶ粗さは目立つが、なんとかラストシーンまでバトンを繋ぎ、読める形に仕上がった原稿をプリントアウトする。
焦るな。
落ち着け、時間はあるんだ。
ひたすら自分に言い聞かせる。
穴あきパンチで穴をあける。少しズレて
いる。大丈夫、紐はとおる。
必要事項をかいた封筒に原稿を入れた。
よしっ!
部屋に忘れ物がないか確認し、料金を支払い、ネカフェを後にする。
時刻は23:30過ぎだ。
郵便局は目と鼻の先。
以前、新宿郵便局の24時直前に窓口付近でギリギリまで書いている人の姿を見たことがあった。
この日も人が出入りしているのが見えた。
みんなギリギリまで自分の書いた作品に向き合い、祈るような気持ちで原稿を送りだすのだろう。
もしかすると、同じ文学賞に送るライバルかもしれないけど、お互いの健闘をたたえたい気持ちでいっぱいだった。
そんな気持ちで郵便局へ入ったところ、警備員だったか局員から話しかけられる。
「窓口のご利用ですか?」
「はい」
「明日から増税の関係で、本日は23時までです」
一瞬でかたまった。
少しして、
「わっかりましたー」
といったかいわないか、滞在わずか10秒ほどで、ぼくは郵便局を後にした。
落ち度は自分にしかない。
そんなことはだいぶ前から決まっていたこと。
一度は諦めかけたものの、何が何でもこの公募にだすんだぁーと、勢いのまま飛びだし、勢いだけの情報を更新せずにいた。
そもそも、もっと余裕をもって、地元の郵便局の窓口の時間に出せていればこんなことにはなっていなかった。
それもこれも、誰のせいでもなく、すべて自分だった。
なんとか懇願して通るということではない。
きっと自分と同じように出せなかった人もいただろう。
ふぅ。
力が抜けたように一息つき、誰にも届けることのできなかった原稿在中の封筒をかかえ、駅へと歩いた。
ふと、新宿の空を見上げこう切り替えた。
「それでも、まぁ、よくやったよ」
すべて自分のせいとはいえ、いつもならしれっと諦めていたことだろう。
ここまで来て、最後まで諦めなかった。
よくやったよ!と。
西新宿の街はあいかわらず騒がしい。
空にだって星なんか見えなかった。
特にかわりばえのない空だった。
それでも駅へと続く道を歩きながら、空をずっと見ていた。
どうして、今日はこんなにも空を見上げたいのだろうと不思議だったが、前を向こうとして、すぐにわかった。
上を向いていないと、涙がこぼれてしまうからだった。
自分で自分を励まさないとどうにかなってしまいそうで、情けなくて、悔しくて、惨めでしかたなかった。
西新宿の騒がしさに優しさすら覚えた。
もっともっと騒がしくなって、こんな自分の存在を消し去ってくれと願った。
帰りの小田急線は混んでいて、座ることはできなかった。
それでよかった。
車内でも、ひたすら興味のない中吊り広告をずっと見ていた。
まだまだ涙はとまる気配がなかった。
ギリギリまで溜まったところで気がつかれないように、一瞬で袖で涙を拭った。
最寄り駅に着く頃には、やっと涙はとまっていた。
その後、駅まで迎えにきてくれた彼女とご飯を食べた。
電車の中で泣き尽くしていた自分は、泣きながらご飯を食べることはなかった。
事情を知って、特に責めることなく迎えてくれた彼女にはとても救われた気がした。
その夜、この原稿をブラッシュアップして、次の文学賞に出して供養をしたら、中編小説からもっと短い小説を書こうと決めた。
前々から、長めの小説の中にある小さいエピソードを考えることが好きだった。
長い小説を書く体力はないが、アイデアの瞬発力を活かせるほうが、自分には向いているのではないか。
思ってはいたけど、なんとなく動けないでいた。
あの日、ここで諦めたくないと何も考えずに走りだして、見事に自分の情けなさを痛感できた夜があったからこそ、新たな場所にシフトしようと決心できたのだと思う。
その原稿はというと、そこからさらに校正を重ね、夏締切の文学賞に応募し、かすることなく散った。
その後、短い話を書き、最初に応募した賞で優秀作品に選ばれたときはとても嬉しかった。
彼女と一緒にお祝いできたことも嬉しかった。
その一年後くらいに、お別れをした。
自分にとっては今に繋がるとても大切な記憶だが、誰かにとってみれば本当に他愛もない話だろう。
それでも、日常の、日々の暮らしの些細なことや、ことばだったりが何かのきっかけになり得るとも思う。
ぼくはそこからショートストーリー、ショートショートの海へと舵をきったものの、そこからもどういう作品や方向性に行こうと長いこと摸索するわけだが。
だから、
『泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけます。』
という名言に、自分の実体験を付け加えると、
『泣きながら電車に揺られて、ご飯食べる頃には涙がかれていた人も、生きていけます。』
となる。
きっとこんなドラマは企画案の段階でボツだろうし、迷言にすらならないだろうけど、この記事のオチにはちょうど良いかもしれない。
こんなことを書いている夜もとても他愛もないなぁと思う。
けど、そんな他愛もない今夜も、きっとどこかの誰かにとっての前夜なんだなと思う。
そう思うと、
まだまだ自分にもやりたいことや目標はあるし、今夜だってどこかに繋がる長い長い前夜なんだって前を向ける。
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