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アメリカ!-海の上のピアニスト-

毎日同じだった。
誰かが目を上げ彼女を見る。

理解できないことだ。
船には1000人を超える乗客が乗ってた。
金持ちの旅行者、移民たち、得体の知れぬ連中、おれたち。

それなのにいつもたった1人だけが、最初に『彼女』を見る。
何かを食ってたりデッキを歩いてたり、ズボンのベルトを締めてひょいと海のかなたに目をやった一瞬『彼女」を見るのだ。

彼はその場に立ち尽くす。
高鳴る胸の鼓動。
そして誓ってもいいが皆同じことをする。

皆のいる甲板に向き直って、声の限りに叫ぶ『アメリカだ!』

それは、最も敬うべき映画人の一人、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「海の上のピアニスト」における冒頭のシーンだ。
イタリア移民をごっそり乗せた巨大な客船が、アッパー・ニューヨーク・ベイに差しかかる朝、霧の先に姿を現す「彼女」。
最底辺の三等客室で長く辛い航海に絶えてきた移民たちが、たった一つの希望の光を遂に見出す。
憧れた自由の大地、全身を震わせて「アメリカ!」と叫ぶのは、彼だけではない。
そこに居合わせた全ての者が歓喜に湧き立つ。

スクリーンを見つめる、観客もまた。

アメリカは長きに渡って世界中の人々の憧れだ。
不健康で俗物的で偽善的であることも間違いないが、同時に、あの国が依然として誇る力強い何かは、意識するにせよせざるにせよ、誰の心も惹きつけてやまない。
そこから目を逸らして、この世界で生きていくことは難しい。

19世紀後半から20世紀初頭、自由と可能性を夢見た人々が、大挙をおして世界中からこの国を目指した。
その多くが自らの祖国で、決して浮かぶことができなかった者たちだ。
貧しさに飢え、屈辱に打たれ、這い上がることに夢ついえた果てに、荒削りな新世界に未知の幸福があるという、お伽噺にすがった者たちだ。

だから、人間になりたいピノキオや天竺に焦がれる孫悟空を、夢の国の入り口で松明を掲げて迎えいれる自由の女神の台座には、こう書かれている。
「つかれはて 困りはてた あわれなる人々よ 自由を求める人々よ さあ ここへ集まりなさい」

ニューヨークには面白いものが山ほどあるけれど、それだけはどうしても行かなければ後悔するよと、皆が言った。
初めてのニューヨークだから、やはり「彼女」には挨拶しなければならないだろう。

ガイドブックには、とにかく早朝一番に行け、と書いてあった。
私たちと同じ想いで世界中から訪れる観光客たちが、この場所を目指すからだ。
「彼女」の島に渡るためのフェリー乗り場には、例外なく毎日、長蛇の列ができる。

風の強い朝だった。
頬がぴりっとする、冷たい朝。
6時に起きて7時半にはホテルを出、月曜の通勤ラッシュに混じった。
映画よりずっと野暮ったいニューヨーカーたちが横断歩道を渡るのとすれ違って、コロンバスサークルの地下から一番線の列車に乗る。

船着場には8時過ぎに着いたが、既に列はでき始めていた。
風物詩かと思うほどニューヨーク中いたるところで出くわすセキュリティチェックがここでも行われているのだ。
吹きさらしのレーンで、海からの寒風を諸に受けながら、おそらく30分くらい待ってようやくプレハブの小屋に入る。
正直、救われたと息をつく。

上着を脱ぎ、時計とベルトをはずし、バッグとポケットの中のものを全部カゴに入れて、セキュリティゲートをくぐる。
まるで、ウルトラクイズのブーブーゲートみたいだ。
島に渡った後、女神像内部に入る前にも再び同じチェックがあって、さらに20分行列に並ぶことになる。
女神に逢うのに幾多の難関があるのはお決まりだ。

移民の大部分は、ニューヨークから入国した。
かつて、自由の女神が立つリバティ島の隣にあるエリス島に移民局があって、そこで入国審査を受けたのだ。
そこでもブーブーゲートが鳴れば、Uターンで強制送還となり、遥かな旅も骨折り損に終わる。
そうやって天国と地獄の裁きが繰り返されていた。

台座の上まで200段弱の階段を上り、そこにある展望台からはマンハッタンを一望できる。
摩天楼がそそり立つ「自由」の都が、晴れ上がった空の下で、書割りみたく、くっきりとした姿で輝いている。
ここから女神は、「つかれはて 困りはてた あわれなる人々」の乗った船を、何万隻も目撃しただろう。
そして彼らに目撃されたのだ。

「アメリカ!」
そう、彼女こそが、アメリカ。

私もまたその日、彼女を仰ぎ見た。
去来した想いは、そこへ来るまでは予想もしなかった、遥か海を越えて初めて感じ取ることができたものだった。
そうやって人は、地図を踏みしめる度、何か新しいものに出逢うのだ。


海の上のピアニスト The Legend of 1900(1999年・米)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:ティム・ロス、プルット・テイラー・ヴィンス、メラニー・ティエリー他

■2006/11/3投稿の記事
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