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ファン心理-松本人志のシネマ坊主-
好きな有名人を挙げるとするなら、私がはっきり言える人は二人だけだ。
イチローと松本人志。
この二人に関しては、好きというか憧れというか、シンパシーというかジェラシーというか。
表現しがたい、何かしらスペシャルな感情を抱く。
いわゆるファンというのとは、ちょっと違う。
ファンはファンだが、別に追っかけでもないし、彼らの試合やライブに足を運ぶだとか、カレンダーを買うだとかするわけじゃない。
愛用のバットにも、ホームランボールにも、コントの台本にも、直筆サインにも興味はない。
そういうんじゃない。
たまたま彼らは私にとっての異性だが、異性としての魅力を感じているわけでもない(松本人志はともかくイチローは異性としても十分魅力的なのだが、同時に、そういう感覚とはまた別の要素が両立している)。
友達になりたいか、近い位置に行きたいかというと、そういうわけでもない。
きっと直に会っても、何の話をすればいいか分からないだろう。
私なんかの話は、彼らの前ではあまりにくだらなく、つまらなく、意味もないから、話なんかできるわけがない。
ただ、彼らの生き様が好きだ。
その佇まい、その存在が好きだ。
そもそも私が、映画にまつわるブログを書こうと思った理由の一つは、「松本人志のシネマ坊主」というエッセイを読んだことにあった。
それは、松本人志が日経エンタテイメントに連載していた映画批評エッセイを書籍にまとめたものなのだが、切り口や視点が独特で、時に小気味よく、時に読み応えがある。
評論家などが書いた一般的な映画批評は、能書きが多くて個人的にはあまり好きでないのだが、松本人志のそれは、言葉のセンスや比喩の面白さ、一本貫かれた「表現者としてのこだわり」みたいなものに強く引き付けられる。
もっと読みたい。
もっとこの人の話を聞きたい。
そういうふうに思わせる。
松本人志がこの世界に生きて、この世界で何かを感じ、何かを生み出し、何かを築き上げることが、ただ嬉しい。
それを私たちに見せて、聞かせてくれることが、ただ嬉しい。
そういうふうに思わせる。
「Number」4/12発売号でイチローは、松本人志について絶賛している。
元々、イチローは松本のファンで、飛行機での移動中にダウンタウンのDVDを観ることも多いのだそうだが、「人志松本のすべらない話」を挙げ、あれこそ計算され尽くした笑いであると、そこにプロの話芸を感じると言う。
イチローもまた計算され尽くしたプレー、計算され尽くしたキャリアを作り上げる人。
バッターボックスに立つ彼を見たい。
一直線に言い切る力強い言葉が聞きたい。
そういうふうに思わせる。
イチローがこの世界に生きて、この世界に何かを見出し、何かに向けて挑み、何かに到達することが、ただ嬉しい。
それを私たちに見せつけてくれることが、ただ嬉しい。
そういうふうに思わせる。
今日、晴れ上がった空に夕立が降った。
誰かが窓の外を見て、「夏みたいだ」と言った。
その胸を空く感覚。
雲の切れ間から差し込む光。
そこに人が「奇跡」を感じるとしたら、なんとなく、彼らの存在に近いような気がする。
松本人志のシネマ坊主(2002年・日)
著:松本人志
■2007/4/26投稿の記事
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