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今夜の思い出-Atomic Heart-

こんな夜中に西郷さんが見たいなんて、突拍子もないことを平気で言う性格は相変わらずだと思った。
子どもみたいなところがある。

相手との相性や間柄によって、人のキャラクターというのは変わって当然だが、この人と一緒のときの私は、いつも少しだけお姉さんぽい役回りになる。
「しかたないなあ」とその思いつきやわがままに付き合ってやる・・・だなんて、いや、ほんとはきっと違う。
大人なようでいてまったく横柄なスタンス。
本当は、私の方がずっと気まぐれでわがままなのだ。

思いつきを提案するのは確かにいつでも彼の方だけれど、私は気分次第で、その提案に応えもするし、かわしもする。
イニシアチブはいつもこちらにあることを、私たちは無意識のうちに知っていて、だから私のスタンスはいつも「しかたないなあ」という受け身なそれなのだと思う。



受身は楽だ。
責任もないし、気持ちを踏みにじられることもない。
そういうふうにしておいてくれるのは、彼の優しさかもしれず、単なる相性の問題かもしれない。

一ヶ月余りの長期出張のために大阪から上京した友人は、分かりやすすぎる東京見物をリクエストした。
夕食を終えた直後に、上野の西郷さんが見たいと言うのだ。
なんでまた、今そんなことを言い出すのやら。

「えー」と私が眉をしかめると、「ええやん」と屈託なく歯を見せる。
子どものような無邪気さは、照れ隠しと言うよりは防衛線のようだった。
私が嫌だと拒否したら、「ケチやなあ」とでも「冷たいなあ」とでも言いながら、自分を道化にして笑うのだ。
そして実際、私には嫌だと断る権利があった。

私は西郷さんを見たことがなかった。
東京に暮らして通算8年、上野に立ち寄ること自体滅多になくて、西郷隆盛像を直に見たことがない。
午後9時を過ぎた公園にわざわざ足を運ぶなんて、と思ったが、特にこれから何かやることがあるわけでもないし、この機会を逃すと今度いつ行こうということになるか分からないので、またもや「受身」にその提案に応じてみることにした。
「しかたないなあ」と、いつものスタンスで。

上野駅の改札を出てから、夜の公園というのはもしかしてかなり物騒なのではないか、と思い当たった。
まずその入り口からして静まり返った暗がりで、その奥は、ただならぬ雰囲気がする。
誰もいないようでいて、草むらの陰だとか、電柱の脇だとか、ゴミ捨て場の裏だとかに、微妙に動く人影がある。
押し殺した声の聞き取れない会話や、腕をからめた年齢も国籍もバラバラなカップル。
明らかに異様だ。

友人は「なんかあったら、俺を置いて逃げてな」などと言うけれど、だったらそもそもやめようよという気が大いにする。
けれども、もはや、わざわざ上野まで来たから、とにかく西郷さんを見ないで帰れないという妙な使命感が生まれてしまい、私たちは張り詰めた気持ちで夜の公園に挑み進むことになった。
逃げてなと言われたけど、このヒールで走れるかなあ、いざとなったら靴を脱ごう、なんてことに頭を巡らせながら、目標の西郷さんを目指していく。

途中、ジョギングしている人に道を尋ね、10分足らず歩いたところでそれらしき偉大な後姿が見えた。
ちょっとした高台のような場所に立っている。
あらかじめよく知るとおり、着物を着て、下駄を履き、犬を連れている。
昼でも、夜でも、同じ場所で同じ姿勢で。

像を取り囲むようにベンチが7つほど並んでいて、それらは全部埋まっていた。
若いカップルもいれば、全身をベンチにあずけた酔っ払いもいれば、頭を抱えてたった一人でうずくまる若者もおり、水商売風の女性二人連れが少し真剣に人生談義をしている様子もあった。
ベンチの後ろに回りこんで高台から上野の繁華街を見下ろすと、下世話なネオンと連なるテールランプが溢れている。
いつも見ている東京とは、この街は、なんとなく違う気がする。

友人は言った。
「なんか西郷さん、かわいそうやなあ」
「なんで?」
「そやかて、立派な人やのに、ホームレスやら酔っ払いに囲まれてるねんで」

もちろんこの辺りは、昼間は家族連れや観光客で賑わっているはずで、これはあくまで夜の顔。
けれど、それもまた現実であり真実。
私たちの西郷さんとの初対面は、たまたまそういうかたちだった。
物事には、いろんな側面がある。

坂を下って不忍池の端まで歩いていくと、赤提灯に囲まれたビアガーデンが賑わしく盛り上がっていた。
その奥には賽銭箱や大鈴を備えた神社があって、人の往来も十分に多く、時折自転車に乗った駐在さんも横切っていく。
ようやく安心した私たちは、蓮が表面を敷き詰めた池のすぐ脇の椅子に腰を下ろし、13年も昔の思い出話を始めた。

と言っても、それを語れるのは私の方だけで、友人はただ懐かしがって聞いていただけだ。
時々人に気味悪がられるほど私は記憶力がよくて、何らかの出来事を相当の細かさと臨場感を持って、言葉によって再現することができる。

あのとき、あなたはこう言った。
こんな表情で。こんなトーンで。
私は、あのときこう言った。
こんな気持ちで。こんなふうに。
背景には、こんな音楽が流れていたよ。

私たちが初めて出逢ったときのこと。
ちょうどこういう季節だったねえ。

高校を卒業したての夏休みで、大学生だった私と予備校生だった彼は、互いの友だちに誘われるまま、ある夜、小さな公園で一緒に花火をした。
男の子が4人で女の子は2人。
コンビニでファミリー用花火と安いお酒を買ってきて、もてあます若さになんとなく戯れる一夜のことだった。

記憶する限り、それはとても長い夜だった。
実家暮らしの女友達が終電前に帰った後、残りの5人でちょっとドライブをして、それからファミレスに行っておしゃべりに興じた。
男の子たちが私に質問をする、他愛ないゲーム。
たとえば、「この中で誰と一番付き合ってみたいか?」というような質問をして、男の子たちは揃ってテーブルに顔を伏せる。
私はちょっといたずらをして、全員の頭を一通り叩き、彼らが顔を上げたとき満足そうに微笑むのを、内心こっそり可笑しがる。
その種明かしを13年ぶりにすると、友人は「なにぃ?」と今さら悔しがる。

ファミレスの後はそのうち一人の家に行き、めいめいにちょっとした打ち明け話をするゲーム。
ちょっとエッチな話をして、妙に盛り上がる。
少々騒ぎすぎて、その家の親に怒られる。

明け方まで遊んで爽やかに別れて、目が覚めた頃に、今目の前にいる、この友人から電話があった。
あのとき一緒に遊んだ他の男の子たちとは、その後一度も会っていない。
逆に言えば、なんということのない夜だったのに、13年経ってもつながっているこの友人だけは、不思議な縁だと思う。

私がした思い出話の前で、友人はその懐かしさに感嘆していた。
私たち、たった18か19の頃で、その先に起きるどんなことも想像しなかった。
あの頃、流行っていた音楽はミスチルだった。

私はちょっと苦しい恋をしていて、いくつかのミスチルの曲を聴くと、その頃の気持ちが蘇って胸がちくりとする。
大阪の夜を走る、チェイサーの助手席。

そして今夜のことも、たとえばコブクロなんかを、聴けば思い出すんだろう。
上野公園にどんな夜風が吹いていたか、また何年か経った頃、彼に教えてあげることにしよう。

今、あなたがどんな表情をしたか。
今、私がどんな気持ちでいたか。


Atomic Heart(1994年・日)
音楽:Mr.Children

■2007/7/30投稿の記事
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