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非日常の真夏日における徒然-ダイヤルMを廻せ!-

日差しが強く、とびきり暑い土曜日。
自宅を出て駅まで歩くだけで、じりじりと肌が焼かれる。

燃え尽きそうな夏の盛り。

西新宿の摩天楼は威圧的に整然と立ち並ぶ。
東京の象徴が夏空を上昇方向に指し示す。

1階のエントランスで長身の若いドアマンが近づいてきて、「ご宿泊ですか」とにこやかに声をかける。
「上品」の定義をめいっぱい考え巡らせながら、普段は作らないような笑みを作って「そうです」と答えてみる。

声をかける側も、かけられる側も、身ぐるみをはげば小さな存在だけれど、人間のイマジネーションは日常を脱出する舞台を作り上げることができる。
その舞台においては、「上等な人間」になった錯覚を楽しむことがルールというもの。
自らを役者と思えば、なんら気恥ずかしいことはない。

私の荷物は、中から現れた女性のポーターにあずけられて、彼女が私を先導する。
「ロビーは41階になっております」
彼女の笑顔はとてもチャーミングだ。

エレベーターを降りると高いガラス天井の吹き抜けの下、明るいコーヒーショップのテーブルがちりばめられている。
昼間にここに来たのは初めてだったので、こんなに明るい場所があるのだとは思わなかった。
パークハイアットの照明には、至るところ、ぐっと落とした艶っぽいゆらめきがある。

明るいスペースの奥の通路を進んだ先にフロントがある。
こちらは落とした灯り。
8つほどのテーブルが並びゆったりとチェックインができる。
もらった鍵は、最近久しく見なかった気がするけれど、アナログな真ちゅう製だった。

その鍵で、非日常のドアを開ける。

後から到着した友人は、大学時代のクラスメイトであるHちゃん。
付き合いは既に10年。

彼女は10年前に望んだとおり弁護士となり、私は10年前には想像もしなかった職業に就いている。
私たちの距離は、年に数回会い、月に1度ほどメールか電話をやりとりするくらい。
ただし、共通の知人は多いので、噂話で彼女の近況は耳に入る。

最近はゆっくりとふたりで会うというより、パーティや飲み会など第三者がいる中で顔をあわせることの方が多かったので、じっくりと時間を過ごすのは久しぶりかもしれない。
まして女ふたりでお泊りというのも、過去10年で例がない気がする。(彼女のうちに泊めてもらったことはあるけど)
春くらいに「今年は夏休みとれたら遊ぼうよ」というメールを交わし、かなり乗り気になっていたのを半ば意地になるように実現まで漕ぎつけた。
どんな思いつきも、たいてい「やっぱり忙しい・・・」という言葉で実現しないことが多いのだ。
人のことは言えないけど、彼女は本当に忙しい。

その日も彼女は、職場から直接やってきた。

「わー。いいねー。ひろーい」

堅苦しい職業に似合わず、彼女は非常にフレンドリー。
むしろ少し心配になるほど、雰囲気自体はギャルっぽいというか、「ふわふわ」しているというか。

でも、仕事は相当できるらしい。
狭い世の中で、そういう評判を方々から耳にする。
彼女は国内トップクラスの法律事務所に勤める、敏腕のやり手弁護士なのだ。

そんな意外性の賜物である彼女は、「仕事が好き」と断言する。
今回の滞在中にも、「私の生きがいは仕事と睡眠」と発言していたけれど、実際、何の強がりも誇張もなく、それは正しい言葉なのだと思う。
「睡眠」っていうのがやっぱり変わっているけど。

一方で、限りなく本能的な感覚を重視する人でもある。
彼女曰く、悪い癖は興味のあることにはトコトンのめり込むけど、興味のないことは本当にどうでもいいと感じること。
けれど、悪びれたりしない。
その「どうでもいい」ことに対する割り切り方があまりにさっぱりしているので、端の人間は度々驚かされてしまう。

それができるのは、彼女が自分のことをよく知っているからだと思う。
素敵だなと感じる人というのは男女を問わず、何よりも自分を一番よく知っている人。
そうして、自分が求めるているものをきちんと感じ取り、それに素直に動くことができる人。

本能に従って飄々と突き進めば、必然的に様々な経験にはちあわせる。
彼女は、病気が理由で高校を中退し大検を経て大学受験をしたというさらりと書くにはなかなか壮絶な経験をしていて、それが背骨になって、今は何一つ恐れないし、苦にも感じないのだと言う。
高校を辞め、社会から自分は落伍してしまったのではないかと思うような、あのときの孤独や恐怖感に比べたら、どんなことも怖くない。
誰にも会いたくなくて、3年間、家族以外とは顔を合わせない引きこもり生活だった。
予備校にも行かず、通信教育だけで大学に合格してしまう精神力をもってすれば、完全に独学だった司法試験だって彼女にとっては大きな問題ではない。
引きこもりから明けたばかりだったはずの頃に私たちは出逢ったのだけれど、そんな暗さは微塵もなかった彼女を、私は心から尊敬する。

大学に入った後も、卒業した後も、奔放な性格の彼女は常に刺激的な話題を提供してくれた。
20代は色んなことがあったけど、一通り経験して少し落ち着きたい気分にあり、その結果として「今の自分に自信を持てる」と力強く言い放つ姿は、とても格好いい。

ああ、私の周りにはどうしてこんなに素敵な女性が多いのだろう。
そんな女性たちに「yukoが男だったら結婚したかった」ともったいない言葉をいただくこともあるのだけれど、もし自分が男だったら、どの人も魅力的すぎて私はひどく優柔不断になっているに違いない。

女でよかった、と無意味に胸をなでおろす。
そのおかげで、素敵な人たちと末永いお付き合いができるのだから。

そんなHちゃんとのパークハイアット・スイートルームステイ。
まったくもって、ありがたき幸せ。

新宿と東京を一望できる45階のスパでは、専用の個室を用意してもらい、ゆったりじっくり3時間の全身トリートメント。
アロマオイルの香りと心地好いマッサージで、うっとりと夢心地になる。

目を閉じる前には明るかった窓の外が、次に目を開けるとき暗くなっているんじゃないかという、かすかな不安がよぎる。
大切な夏の日が、傾いて失われていく寂しい気持ち。

そして目を開けたとき、果たして陽は落ちていた。
東京の街は暗闇に包まれ、まばゆい光をちりばめて広がった。
同時に宝物を見つけたような気持ちも、いっぺんに胸に広がった。

或る夏の陽が落ちていくという、それだけのことが、特別なことのような気がするのは非日常のシチュエーションのせいだろうか。
それとも、胸に宿る別の感情と、情景が無意識に呼応するからだろうか。

ルームサービスでディナーをいただき、残りの夜をどんなふうに過ごそうかと思案して、人気のニューヨークバーの席が空くまで映画を観て過ごそうということになった。
50近くあるDVDリストを眺めてHちゃんと相談する。

ホテルのセレクションはなかなか素敵なのだけれど、それだけに私もHちゃんも8割方それらを観ていて、二人が観ていないものの中で興味を惹かれたのは「アイアム・サム」と「ダイヤルM」。

「アイアム・サム」はいいんだけど、女ふたりでこんなホテルで親子ものを観るのもねえ・・・ということで、「ダイヤルM」を選ぶ。
オリジナルのヒッチコックムービー「ダイヤルMを廻せ!」はサスペンスとしては最高峰に近い傑作だけに、そのリメイクであればそこそこ楽しめるのではないかと思った。
グウィネス・バルトロウ主演のクラシックのリメイクと言えば、「大いなる遺産」などを思い出したからだ。

「ダイヤルMを廻せ!」は、夫が妻の浮気を知り、人を雇って暴漢を装わせて妻を殺そうと企むのだが、計画が狂って逆に妻が暴漢を殺してしまうことから始まるサスペンス。
妻は罪を着せられ逮捕されるばかりか死刑判決を受けるのだが、妻を陥れた夫の謀略を、妻の愛人であるミステリー作家が間一髪で暴いていくというのが大きな醍醐味。
スリリングさと巧妙さが卓抜していて、製作年の古さなど微塵も感じさせない。
ヒッチコックをあまり知らない方がいらしたら、ぜひこの作品を導入とすることをおすすめする。

けれど残念なことに、「ダイヤルM」は期待はずれだった。
オリジナルのような鮮やかなトリックや心理的駆け引きなどが薄く、要素を盛り込みすぎて焦点がぼやけてしまったのか、何を伝えたいのか分からない。
スタイリッシュな映像と雰囲気だけが、まやかしのような色彩を放つ。
Hちゃんも作品の出来については同意見だったけれど、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのヴィーゴ・モーテンセンがグウィネスの愛人役で登場することには妙に嬉しそうだった。

「あ、ヴィーゴだ。ヴィーゴが出てるよ」と、いつものふわふわ感で楽しげ。
観終わった後も、ヴィーゴがね~、と繰り返し言っていた。

Hちゃんが映画好きであることは、実は最近知った。
今まで特に趣味の話をしたことがなかったのだけれど、どうやら結構たくさん観ているみたい。
忙しい生活をしていると、結局、自分の好きなときにひとりで楽しめるものとして映画に行き着いちゃうのかもしれない。

バーでも、「最近観た映画では何が良かった?」という話題になる。
ジャズ演奏が包むように響く、艶っぽくてとびきり大人っぽい、52階ニューヨークバー。
いつも混んでいて、予約ができないのが珠に瑕なのだけれど、今回は席が空いたら部屋に連絡をくれるように頼んだので、待つことはない。
こここそ、まさに日常を忘れるような特別な空間。
東京の灯りのすべてを、手に入れたような気分になる。

Hちゃんがが挙げた映画は「モンスター」。
シャーリーズ・セロン主演のシリアスドラマだけれど、私は観たい観たいと思いながらまだ観ていない。

「思わず夜中にひとりで泣いちゃったよ。
どんなにきついことがあっても、罪を犯しても、死刑になっちゃっても、何より一番辛いのは愛している人に裏切られちゃうことなの。
それがもう、ほんとに切なくてさー」
「ああ、分かる。絶対、私、その映画泣くなあ。
私が一番弱いタイプの映画だ」

私のおすすめは、「エターナル・サンシャイン」と「モーターサイクル・ダイアリーズ」。

「エターナル・サンシャイン」は最高に練りこまれた奥深く軽妙なプロット、どこにでもあるけれどそれだからこそ、そのエッセンスが誰もの心に等しく沁みる切ない切ない愛のお話。

「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、チェ・ゲバラがチェ・ゲバラになるまでの話。

「私、ゲバラ大好きだよ。もしかしたら、一番尊敬する人かもしれないな」
「そうなんだ?私、ゲバラの顔って素晴らしいと思うんだけど」
「彼の顔は革命家の顔じゃないんだよね。優しさが滲み出てる。カストロとかギラギラしちゃってるからさ。私、ゲバラの写真集まで持ってるもん」
「映画でも、彼は、旅をする中で人の痛みを繊細にとらえて、それで自分はこの人たちのために何かしたいっていう気持ちになっていくの。優しくて繊細な青年としてよく描かれているよ」
「へー。ベルナル君ってチャラい役やってるイメージあるから、私のゲバラのイメージが壊れるかと思って避けてた」
「大丈夫だよ。結構ベルナル君はいい感じだと思う」
「そっかー、観てみよう~。ゲバラはさー、キューバで革命やった後、ボリビアで殺されるっていうその生き様もいいのよねー。人柄が生き方に出てるよ、ほんとに」

ゲバラに彼女がそう反応するのも意外だったけれど、相変わらずしゃべり方のトーンがHちゃんらしくて、私はそれを聴いているだけでなんだか楽しくなる。
「あー、好きだなあ、このコ」としみじみ思ってしまったりする。
毎日のように人に会って、わりと度々そう感じるんだから、私は随分気が多いんだろう。
ほんとに、私が男でなくてよかった。

夜がますます更けて、朝が来て、非日常の鍵を返すときが来ても、Hちゃんだけは変わらない。
「私たち、本当に人生を楽しんでいるよね」と彼女に会うと確認する。
きっとこれからも楽しいだろうなあと、なんというか、生きている実感みたいなものを、彼女に会うともらえるのだ。

それが一番の夏の思い出かもしれない。


ダイヤルMを廻せ! dial M for Murder(1954年・米)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:レイ・ミランド、グレース・ケリー、ロバート・カミングス他


ダイヤルM A Perfect Murder(1998年・米)
監督:アンドリュー・デイヴィス
出演:マイケル・ダグラス、グウィネス・バルトロウ、ヴィーゴ・モーテンセン他

■2005/8/23投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

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