不可避ーDEATH NOTEー
「もしも死というものがなかったら、どんなにいいか」と思っていた。
そういう私にOさんは言った。
「死があるから、人は一生懸命生きられるんやと思うな」。
高校生だった私は、その意見に反対だった。
どこかで聞いたような安っぽい空言、そう思った。
死は、誰もに等しく訪れる。
人生を死への行進だと複数の人が言うのを聞いた。
子どもの頃、自分はもしかしたら永遠に大人にならないんじゃないかと考えることがあった。
確かに時間という概念は流れていくけれど、ただ生きている一日が増えていくだけで、それだから大人になるとは限らないと思った。
ともすれば、今でも、自分はもしかしたら永遠に死なないのではないかと考えることがある。
でもそれが、まるきりの妄想だということは知っている。
大人にならないかもしれなかった私は、否応もなく大人になった。
生きた日数分だけ体が成長し、生きた日数分だけ何かを身につけ何かをすり減らした。
一晩眠って目が覚めると、その分だけ自分が変化している。
それには決して、何があっても抗えない。
死なないかもしれない私は、ある日必ず死ぬだろう。
事実として老いは、既に始まっている。
生まれたときから、始まっている。
一晩眠って、もう二度と目が覚めない朝が、いつか必ず来る。
必ず。
その響きの下に、一瞬ひるむ。
まさに絶望的だ。
人生がその絶望を抱えるだけの時間だとしたら、一刻も早くそれを終わらせるのが利口だ。
けれど、人は生きようとする。
少しでも長く。少しでも若く。
それを本能と呼ぶなら、間違いでない。
いずれにせよ、生きる時間を延ばすということに躍起になるのが人間である。
「そのノートに名前を書かれたものは死ぬ」
「デスノート」は、ごく単純なルールで死を操る物語。
いずれ必ず死ぬ人の一生を早めたり遅らせたりする能力を手にした天才の話。
想像を超えた方程式を駆使して、主人公たちは対峙する。
必然。トラップ。法則。パターン。
それは難解だが爽快だ。
話が話だけに、次から次へと人が死にまくるわけだが、あまりにもそれが多いので悲壮感はない。
けれど、これが現実だとしたら、心底ぞっとする話だ。
ただ思うのだ。
今、この一瞬の死を偶然に逃れただけで、次の一瞬の死から逃れきれるかどうかについては、「デスノート」の世界と現実はそう違いがないのだと。
それを操っているのが意思あるものであろうとなかろうと、なんらかの法則の連続で成り立つこの世界では、あらかじめ私たちの足元には「運命」が隙もなく敷き詰められている。
私の人生がある瞬間に終わるという事実は、時として恐怖を与え、時として絶望を与え、場合によっては救済めいた安堵を与える。
なんにしろ逃れなれないなら、じたばたしてもしようがない。
できるならば、それをして生きていく方向性のベクトルに力を貸してやりたいと思う。
DEATH NOTE デスノート 前編(2006年・日)
監督:金子修介
出演:藤原竜也、松山ケンイチ、瀬戸朝香他
デスノート the Last name(2006年・日)
監督:金子修介
出演:藤原竜也、松山ケンイチ、戸田恵梨香他
■2006/12/15投稿の記事
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