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旅の思い出

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旅の記録のつめあわせ
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#シチリア

新婚旅行の鉄則-ジャスト・マリッジ-

その巨大な建築物はいかにも見晴らしの良い爽やかな場所に立っていて、ギリシア人たちがなぜここを選んだか、説明など訊かなくたってすぐ分かる。 この丘に立った者は、穏やかに広がる地中海の先に、きっと等しい想いを馳せることだろう。 日が落ちた後、ライトアップされたコンコルディア神殿の姿は、もくもくと空を覆うビロードのひだのような夜を背景に孤高の神々しさばかりでなく不気味ささえ誇示していた。 ガラス窓を挟んで眺めれば、丘の上にたちはだかるホーンテッドマンションみたいだな、と感じた。

アグリジェントにつくまで-西の魔女が死んだ-

Hotel Baglio Conca D'oroを発ったのは、Natale(イタリア語でクリスマス)の朝だった。 朝食室でカプチーノを飲んでいると、ジョジョとルイージが現れて「Buon Natale」と声をかけてくれた。 「私は今日チェックアウトするんです」と言うと、「日本に帰るんですか?」と尋ねるので、「アグリジェントへ行くんです。それからカターニアに行って、ミラノに寄って、それから日本に帰ります」と今後の行程を説明する。 ああ、シチリアの見どころをまわるんだね、といった

シチリアの結婚式-ゴッドファーザー-

モンレアーレは、盆地の肌にはりつくように築かれた、小ぢんまりとした田舎町である。 この町のハイライトは12世紀に建てられたというノルマン様式のドゥオーモ。 「回廊付き中庭」と訳されるキオストロは静まり返って柱の影を落とし、一組の熟年夫婦が寄り添って歩く姿が絵になっていた。 ガイドブックによれば、モンレアーレのもう一つの見どころはクローチフィッソという名の巨大なマヨルカ焼の壁画。 本には正式な名前さえも載らない、教会の外壁に描かれているらしい。 もてあますほど時間があったの

マンジャーレ!-シェフとギャルソン、リストランテの夜-

午前中の散歩から帰って、キーボードを叩いた。 もう少し経ったらランチに行こう。 今日は街には出ないと決めたから、ホテルの中で済ますつもり・・・ とロビーにて、ランチは予約のみとの表示が目に入る。 なんということだろう、しかたがない。 確か少し歩けば、幾つかレストランがあったはずだ。 本とデジカメと財布を持って、再度、外に出た。 あいかわらず眩しい光。 今度は坂道をしばし下る。 オレンジの車体の路線バスとすれ違う。 道いっぱいを走るので、ぎりぎりまで身をよける。 右側に

含み笑いを介して-あのころ-

ここ数日、パレルモは冴えない天気が続いていたが、今日は朝からすこぶる機嫌のいい空の色だ。 天気予報によれば、本日のパレルモは最高気温17度。 北イタリアはBIANCO NATALE(ホワイトクリスマス)と報じられているのだから、その差たるや大きい。 朝食を済ませた後、本を一冊持って散歩がてら坂道を上ってみることにした。 CONCA D'ORO盆地の山肌に、オレンジ色の屋根の家々が連なっている。 開放感に満ちた空と大地の様相に、自然と心も足取りも軽くなる。 双方向の車がすれ

サバ読む年頃-25年目のキス-

どこのどんな街に行っても、必ず出くわすのが校外学習中の子どもたちだ。 数えると16カ国になったが、過去に行ったあらゆる国のあらゆる街で、この類の一行に出くわした。 今回もご多分に漏れず、である。 パレルモの旧市街に雄然と構えるカテドラルで、私は、この建築物にまつわる「歴史的説明」をガイドブックの記述に求めようとしていた。 音のよく響く、遥か高い天井の下で、さきほどから金切り声さえ混じった賑やかさを示すのは、やんちゃざかりの小学生たちである。 3、4年生くらいだろうか。 どう

Hotel Baglio Conca D'oro殺人事件-8人の女たち-

私が滞在しているホテルは、パレルモ市街から車で20分ほど行った、心細くなるほどの山の中にある。 細くうねった坂道に面して、存在感のある立派な門構えは唐突ながら由緒正しさも醸し出す。 すっかり陽の落ちた丘の道を登るバスの中から温かいホテルの灯りが見えたとき、ゆるやかな安堵が湧いてきた。 こんなオフシーズンに、どんな物好きが訪れるのか、全部で28室のこのホテル、私の他にもあと数組が泊まっているようだ。 それでもおそらく半分も埋まっていないだろう。 ホテルの外も中も、ひっそりと静