ことばをテーマに③
年を重ねると、
いいか悪いか別として
あらゆる面で耐性がつく。
そうであっても、人から受け取った
話し言葉、あるいは書き言葉が、
その人の心と一致していないなと
気づいてしまうと、一方的に
ちょこっと傷つくこともまだまだある。
しかし、私自身もそこに気づかぬ
ふりをしてやりとりを続けたり
笑って会話をしたりするのだから、
結局のところ根っこの部分は同じだ。
どちらも、言葉と心が一致して
いないのだから。
「本当のことを言えば
いいってものじゃない」
とも思っているし、
そもそも
「本当のことってなんだろうか」
とも思っている。
とにもかくにも、自ら放つ言葉と
心の一致・不一致ぐらい、自分で
ある程度理解していたいものだ。
リフレクションを学ぶ
過程で出会った
「自分の価値にアクセスする」
という言葉が好きだ。
自分の心と一致する言葉は
影響力があるという。
誰に対して影響力があるかと
いう点では、私は
「自分自身、そして他者」
だと解釈している。
会話ややりとりにおいて、
自分がどの部分に一番心を
動かしたのか?
なぜ、あの言葉を聞いたときに
そこまで動揺したのか?
そんなことを振り返っては、
ノートにつらつらと
書き留めている。
続けていると、自分の感情の
アップダウンのパターンが
わかってくるし、
感情を揺さぶるトリガーとなる
シチュエーションや言葉に対して、
ある程度「心の準備」ができてくる。
傷ついてしまうことに変わりは
なくても、whyがわかり、
thenが続き、心の変化や流れが
予想できるようになると、
いくぶん心は軽くもなる。
このプロセスは自分のために
なっているし、心の安定や回復に
有効ではあるのだけど、たまに
すごく疲れちゃったりもする。
これもまた、私の心と言葉
が一致した状態の言語化なのだ。
(疲れたら、寝るまでだ。)
子どもたちと接していると、
「言葉と心が一致」している
瞬間によく出会う。
ものすごく嬉しいんだな。
めちゃくちゃ楽しいんだな。
あー、心底いやなんだな。
なんか企んでいるな(笑)。
なとなど。
彼らのようなあの表情、
今の自分には果たして
できるのだろうか?
年を重ねると、心の在り方が
そのまま自分の顔になることが
よくわかる。表情がすべてを
物語る。
今日もまた、
「言葉と心の一致・不一致」
にこだわって生きていく。