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ひとの本棚をみる楽しみと、読めないコンプレックス。わたしの人生を変えた本10選

人の本棚を見るのが好きです。
本を読まない人、本棚が家に無いというひともいるかもしれませんが、
私は本棚が好きです。

人の家に入って、「本棚みせて~」と言って、許されれば本棚を見ます。

本棚は心の中を表していると思います。
それと、そのひとが積み上げてきたもの。
読んでいても、もしかしてそれを読んでいなくても、本棚に置いてあれば、それは心の中の表現のひとつ。

このひとって、こういうことを考えているんだ~
とか、
わたしと全然置いてる本が被らない、すごい、とか
いろいろ感じることができます。

人によっては、恥ずかしいから見ないで、というひとも。
どんな本なんだろう。と思いつつ、わたしには見せない心があるのだ、と思うだけでももう、アート。

本の種類や数に優劣は全くなく、本棚をみるだけでわたしはにやっとして、その人の心を少しわかった気になって、ちょっとだけ満足してその家を出ます。

わたしの人生を変えた本

どうやら人には、読める文章と、読めない文章があるようです。
好む文章、かんたんなはずなのになぜか読めない文章。
難しいけどなぜか読めちゃう文章。

わたしの場合、ほんとうになぜだかさっぱりわからないのだけど、ミヒャエル・エンデの本が、どうしても読めないのです…。

小学生の時、エンデの「果てしない物語」を読み切ると、「読書好き」の称号が得られるという謎の文化がありました。(あなたの小学校にもなかった?)

エンジ色の分厚い小説。小学校4年生のとき、急に「果てしない物語を読みきれば読書家認定文化」が、わたしの周りで沸き起こったんです。

わたしは本がとても好きでした。好きだと思っていました。

たぶんクラスで1.2位を争うくらいには読書していましたし、図書室へ行く回数も、人より多かった。

でも、どうしても、まずエンデの「モモ」が読めなかったのです。

なぜかわからない。でもどうしても読めない。星の王子さまは読めたのに。

モモが読めないのに、果てしない物語が読めるわけがなかろうと自分でも思えました。

しかし、周りの友達が、果てしない物語に手を付けていく。
「読めた!おもしろかった!」
「1週間で読めたよ」
などと、読めたことばかりか、感想を言い合ったり読む速度まで競っている…。

わたしは焦って、果てしない物語を借りました…。

しかし…
案の定、数ページで挫折してしまったのです。

そんなはずはない、と学期の間に何度も何度も読み直しました。
悔しくてたまらなかったから。

でも、何度読んでも数ページで内容が頭に入らなくなりました。

そして私は、嘘をつきました。「読めたよ、全部」と。

晴れて読書家の仲間入りになりました。
でも、次の瞬間、友人は当たり前のようにこう聞きました。
「どこが良かった?」
そう聞かれると、頭がまっしろになってしまいました。時間が無限のように感じて、きっとわたしは泡でも吹いていたかもしれない。
なんとかその場はやり過ごしたけれど、「ほんとうにあやみちゃん、果てしない物語を読んだのかなあ?」という友達の心の声が、直通で聞こえるような気がしました。

そんな果てしない物語コンプレックスを抱えたまま、私はそれでも読書をし続け、大人になって。

(大人になってから、庭文庫のみきちゃんに、「いやいや、読めない文章ってあるよう」と言われたときは、長年のコンプレックスは何だったのだろうと思いました…

そんなみきちゃんはエンデが大好きなのだから、それはそれで申し訳ないのです。エンデに非はない…。エンデごめん。)

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コンプレックスを抱えていたからこそ、本を読むときは真剣でした。
この本からなにを受け取ろう。と、果汁を搾り取るように、むさぼるように読みました。
わたしは本が好きなのに、人より文章が読めないんだから、真剣に読もう。そんな風に思っていたのかもしれません。

いわば本への片想いです。本にストーカーをしているのです。

だからこそ、人の本棚をみるときも、たぶん、いやらしい目で見ちゃっていると思います。


本って、自分自身の細胞になっていると思います。読んできた本で、からだが構成されている。わたしにはそんな感覚があります。
好きな本を10冊並べたら、自分自身の内臓をさらしているようなものです。

というわけで、じぶんの内臓を公開していこうと思います。


1.時の止まった赤ん坊/曽野綾子

(え、ちょっと待って。絶版なってる。ショック。
中古しかない。)

これまで数十回は読み返しているであろう、わたしのバイブルです。
マダガスカルの産院で助産師をしている修道女が主人公です。
異世界すぎるでしょう。自分と重なるところは日本人、というところくらい。ですがとても共感できる内容です。

20歳くらいのときから曽野綾子さんを作家買いしていて、最近の本はあんまり読んでませんが、昔の作品はほとんど読んでいます。

ほんとうの優しさとは何か、ということにいつでも曽野さんの本は着目しているように思います。
べたべたした共感でなく、役にちゃんと立つ、ということ。
自分を削っていくということ、見返りを求めないということ。

曽野さんは昨今は冷たい右派としていろいろ書いてますけれど、これを読めばとても不器用で優しいおばさんであるということがわかります。
誤解されることが多く、また、彼女も誤解されるように書いているので、もったいないな~とも思いつつ。
曽野さんの小説には、揺るぎない冷たさ、きりっとしたかっこいい女性が、たくさん出てきて好きです。

2.トットちゃんとトットちゃんたち/黒柳徹子

中二か中三のとき、音楽の先生が紹介してくれた本です。
はじめて南北問題、世界の貧困問題について考え始めたのは、この音楽の先生の授業ででした。

ユニセフ親善大使をしていた黒柳徹子さんのエッセイです。

いまでも、わたしの心の原点はここにあると思います。

3.観光コースでないアフリカ大陸西海岸 /桃井和馬

これは高校の図書室にあった本で、アフリカに興味があってなんとなく手に取ったら、ほんとうに観光コースでないアフリカ西海岸の旅でした。

戦場カメラマンなどもしていたフォトジャーナリストの桃井さんが、ディープなアフリカを旅するルポです。

この本に、桃井さんのメールアドレスがのっていたので、感動して、「将来あなたのようになりたい」みたいなメールを送ったんです…。
そしたらなんと、返事がきました。
「いまは、いろんなことを知って、勉強しなさい。それでいつか、アフリカに行くといいよ。」というようなことが書いてありました。

その後、私は東京で市民活動をしていたのですがその中で、なんと、桃井さんの講演会を開くことができました。ずっとお会いしたかったので、とても印象深い会でした。優しくてカッコイイ豪快なおじ様でした。

打合せでは桃井さんに怒られてばかりだったのに、
その後の打ち上げ飲み会で、「君は、おもしろい。いつか、なにかやるね。」と言われたのが本当にうれしくて、なにかやるぞ、絶対に、アフリカのためになることするぞ。と今でも宝物のようにその言葉を信じて、がんばっています。
いつか、ちゃんと何かを実現したら、桃井さんにまた会いたいなと思っている私です。


この本は、アフリカってほんとうはこうなんだ!と知れる本。
良い面も悪い面も、まるっと知れる一冊で、アフリカ=サファリと思っている人にとっては、びっくりするのではないでしょうか。


4.旅をする木/星野道夫

↑これも好き。

中二の国語の教科書にこの「旅をする木」のなかの「アラスカとの出会い」というエッセイが載っていて、一目惚れというか一読み惚れしまして、そこから今まで星野道夫さんまっしぐらです。

星野さんは、アラスカの動物写真を多く撮影した写真家でありエッセイストで、カムチャッカ半島で熊に襲われて亡くなっています。

星野さんが言われている、大きな自然と小さな自然(遠くの大きな自然と、身近な小さな自然ーたとえば公園の花とかーどちらも大切にして、いつでも心に自然を持っていなさいという星野さんの教え)、ということは、これから田舎の情報発信をしていくにあたっても大事にしていきたいものの一つです。

都会の人から見たら、わたしたちの暮らしってもしかして、アラスカほどではないけれど大きな自然と言えるかもしれないですね。
でも、都会にもやはり小さな自然というのはあるので、都会の方にも、小さな路地にはいってみたり、道端の花を愛でたり、そういった自然との関りをずっと保っていってほしいなと思います。


(ちなみに…わたしは基本的に一回その作家にハマると数年かけてすべての著作を読み切って、次のターンに行くという本の読み方をします。星野さんは高校生の時に2-3年かけてすべての著作を読み切りました。)


ちなみにこちら↓生まれて初めて、自分のお金で買った写真集。
高校生のとき、バイトをして貯めたお金で買ったのですが、
5000円以上もするので高校生としてはとっても高価。
うちは母子家庭だったので、せっかくのバイト代を散財した!と母親に怒られたくなくて、学生カバンにめちゃくちゃこそこそ隠して帰りました。学生カバンはパンパンになりました。懐かしい思い出。いまでも大事に本棚に仕舞ってあります。いまでは子供と一緒に眺めています。


5.母なる自然のおっぱい/池澤夏樹

これもたしか中学の教科書に出ていた本ですが、なんと授業日数の関係で、わたしのクラスはこれをスルーしました!勝手に読んで感動して、そこから池澤夏樹さんもまっしぐらに好き。

これも自然との関りを考えるエッセイというか、哲学というか。

人工的につくった自然を排除した社会の限界について論じています。

というか…国語の教科書からの影響すごくないか?わたし。
ここには入らないけど志村ふくみさんの文章に出会ったのも中二の国語の教科書だし。
教科書よ、ありがとう。


▶池澤さんならこちらもおすすめ


◆きみが住む星

写真家さんの文章に、みじかいストーリーをつけた、タペストリーのような物語。元気がない時に、大切な誰かから手紙をもらった気分になって、良い。
いままでに、プレゼント用に大切な人に贈り物としてあげています。写真も文章も美しいし、応援される気分になるのでプレゼントに良い、と勝手に思ってます。

◆パレオマニア

(え、ちょっとこれも絶版なの?本ってすぐに絶版になるのね…ショック。良著なのに)


大英博物館に置いてある古代の土偶などを、ひとつひとつ現地に旅してルーツをさぐるというエッセイに近い物語。韓国のお地蔵さんとか、エジプトの船とか…。古代好きにはたまらないです。

6.土とともに生きる/高見敏弘


18歳か19歳のときに、アジア学院へ合宿へ行きました。
アジア学院とは、いわゆる発展途上国の農村リーダーを育てるための学校で、毎年入れ替わり立ち代わりに世界から農村リーダーやリーダー候補たちが9か月の寮生活をしにやってくるのです。

この寮生活はめちゃくちゃおもしろくて、イスラム教のひとがいたり、キリスト教の牧師さんがいたり、肌の色も年齢もさまざま。
摩擦が起こりまくって、まさに小さな世界のような感じなのですが、彼らが一緒に有機農業を学んでいるのです。毎朝かならずみんなで集ってラジオ体操をしている姿も圧巻でした。


平和とは何か、持続可能とは何かを考えさせられる学校です。

このときに受けた衝撃がすごすぎて、笠置町にもこんな多様性を学べる農的な学校があったらいいな~と思って、いつか必ず実現したい私なのですが。

この土とともに生きるという本は創設者の高見先生の著書です。

校長だからといって奢ることは一切なく、一生をへりくだって人のため、土のために尽くしてきた素晴らしい先生だったんですね。

もう亡くなってしまいましたが、高見先生の創設時の精神はいまもアジア学院に引き継がれています。

7. マザー・テレサ来て、わたしの光になりなさい

マザーテレサは社会貢献的立場で語られることが多いですが、その生涯をひもとくとどこまでも修道女です。

すべての彼女のモチベーションは神からくるものであり、貧しい人への施しはキリストへ捧げるものです。

それなくして、マザーテレサの活動をほんとうに知ることはできません。

しかし、宗教のないひとには理解ができない部分もあるのかもしれません。

この本は、マザーテレサの書簡を読み解いていくという興味深い内容なのですが、生涯ずーっとマザーテレサはみじめさ・孤独・不快感・つらさを心に秘めていたといいます。

特別な相談役の人にだけ、手紙でその辛さを漏らすのですが、マザーテレサがまったく満たされていなかった、でも活動はとにかくつづけなければならなかったことを示唆しています。

ポジティブな発言が有名ですが、この書簡の中ではとにかく辛さを吐露しています。しかも心の中の辛さです。飢えとか、人間関係が、とかそういうものでなく、とにかくなにをやっても満たされない、つらい、というもの。
かわいそう、もう辞めたら?と言ってあげたくなります。

しかしその活動の積み重ねはまったく無駄になるどころか大成し、いまでも活動はつづいています。心の中のつらさと、活動の成功の有無というのは必ずしも一致しない、いや、一致しなくてもいいんだと思わせてくれた本です。


8.深い河/遠藤周作

この作品も、何度も何度も繰り返し読んでいます。毎回号泣してしまいます。

さまざまな背景をもった人たちが、日本からツアーに参加して、ガンジス河に集います。ガンジス河のほとりで癒されることを望んでいる、ある種滑稽にも見える人間たち。それが交わるとき、ストーリーが展開していきます。

最初読んだときはたしか高校生で、わたしはそのころはまさか自分がカトリックになるとは思いもしていませんでしたが。
遠藤周作さんは神に対する思いに揺れているのか?と高校生のわたしは思ったんですね。

でも、いろいろ勉強して、洗礼を受けて、大人になってから読んでみるとまったく違いました。

大人になるっていいことですね。積み重ねて、自分の中に深い河ができるのです。そして、こういう良い本を何度も読んで、毎度ちがった景色をみることができるのは。
良い。

9.コールドマウンテン/チャールズ・フレイジャー

これも高校生のとき読んで、生き生きとしたアメリカの農作業風景に感動しました。

これ、映画化されたんですが、全然この本の良さを伝えきれてなくてただのメロドラマになっていてびっくりしました。俳優さんたちは美しかったですけどね。

このお話のわたしがおもう醍醐味は!
お嬢様だった主人公が、実家が斜陽になってとにかく食っていくために農家の娘の力を借りて、女二人で農場を切り盛りしていく、その様子にあります。

これがまた、ほんとうにみずみずしい筆致で描かれておりましてそれもそのはず、この作者は現役農場長。
農作業の合間にすこしずつ書き溜めたのがこのコールドマウンテンなんだそう。そして処女作という。

自然の描写がほんとうにすばらしいです。鳥の鳴き声を農家娘が聞き分けるところとか、豚を何頭飼って何頭ハムにしようと考えるところとか。
うわ~、好き。これ好き。


10.沈黙/遠藤周作

こちらもスコセッシ監督の手で映画化されました。
沈黙。「踏み絵」時代に長崎に宣教に来たポルトガル人司祭が主人公です。

これも、高校生のとき国語の教科書に載っていて授業はスルーでしたが、気になって本屋さんで買って読みました。
特にサブ主人公ともいえる、卑怯な信者キチジローのダメっぷりを、自己投影してしまうくだりは、遠藤周作さんは眼力があります。
「わたしもキチジローだったら、裏切るかもなあ」という、諦めや自己否定、にも似たような非なるような自分の心のなかの悪を認めるかんじが、高校生には非常につらく…
はじめて読んだときは、「なんじゃこりゃ、救いようのない話だな。」という感想でした。

それから、何度も繰り返し読んでいますが、この本も深い河同様に、読む年代・自分の蓄積によって感じ方がまったく違います。

2か月間牧場に住み込みバイトをしにいっていたとき、寮の中で読んでいましたが、身体がつらいのもあいまってこの暗いトーンがずうううんと心に鉛のように沈殿し。

そして洗礼を受けた後読んだときは、「おや、これは紛れもなく救いの話なのだ。」と思いました。

現世での救いだけが救いではありませんから。

(0.聖書)

これはひっそりとランク外ですが書いておきます。
わたしはあまり教会にいかないカトリックですけれど、聖書を読むのは好きです。

20歳くらいのときは、生きるのがつらくて、思ったような人生にならなさ過ぎて、寝る前に必ず聖書を読んでいました。

哲学好きな兄がたまたま持っていた聖書をいまも借りパクして所持しています。
はじめて新約聖書を読んだとき、「うわ~すごい!頭いい」という感想でした。イエスのたとえ話や、問答での切り返しが落語のようでおもしろかったんです。

人生哲学としても、すぐに応用できるものばかり。なにかと便利な本です。落ち込んだ時や、忙しい時、頭を空っぽにしてリセットしたいとき、読みます。


映画でエクソシストが、悪霊退散するとき聖書でたたいたりしますけど、聖書ってやっぱり癒し作用があるんじゃないかな?
ヨブ記と、マタイによる福音書が好き。


まとめ

今回、ただただ私が影響を受けた本を並べておすすめしてみましたが、中学・高校のときに読んだ本がやはり未だに人生に影響を与えているなと。

本でなくても、10代で出会った音楽とか、アートとかって、「ハマる」し「かぶれる」から、もう人生そのものになってくるというか。価値観を形成してきます。

逆に、もう価値観が凝り固まってしまった30代のわたし、のこれから出会う本たちに期待大なのです。

こんなにがっしり基礎ができている私の人生をもっと根底から覆してくれるような本、出てこないか。おおい、本よ。待っているよ。












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