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(後編)カバと、ちいさな家族【旅のエッセイ/ザンビア/シヤボンガ】

文芸やまなみ|山並みのあいまから。 恵那市笠置町に暮らす佐藤亜弥美のエッセイ・紀行文を不定期にアップしていきます。 日々の暮らしのこと、里山のこと、アフリカ旅のことなど。

今日の物語は、2010年にザンビアで出会った家族のお話です。

前編はこちら


カバとの対峙

  次の日の夕食の後、昨晩と同じに流しで皿洗いをしていた。流しのそばには勝手口があって、外のたたきでは猫が数匹餌を食べていた。ふと猫を見に勝手口から顔を出すと、ショーンが勝手口の外側にいた。
「こっち、静かにおいで」
とショーンが手招きしている。

勝手口を出てみると、なんと数メートル先の草地に、カバが草を食んでいるのが見えたのである。本当に手に届くほどの近さであった。カバはキッチンの電灯に照らされ、皮膚の水分をてからせていた。まだ水から出て来て間もないのだろう。猫は気にかけることなく餌に食らいついている。カバが草を求めてだんだんと勝手口に近づいてきた。わたしは急いで久美子さんを呼び、久美子さんが子供たちを呼んできた。

 三歳の翔はカバの恐ろしさを知らずに、挑発的にちかづこうとしていた。
「Hippo! Come closer!!!(カバ、近くにきてみろ!)」
わたしはそれを必死で止めた。
 主人のショーンによると、満月になると夜でも草が見えやすいのでカバが上陸する傾向にある、という。このカバは若いカバらしかった。それでも一トンはゆうに越しそうな巨体であったから、成熟したオスのカバなど見たら自分など立ちすくんでうごけないだろうと思った。
 長男と二男は見馴れているのか、思ったほど興奮してはいなかった。またカバか、というような表情である。この兄弟の未開さというか、自然との近さというのか、凄まじいものがあった。息子らは昼間はオレンジの木に登って実を取って木の枝に腰かけて食べているし、いずれ巨大になるであろう野良の亀を捕まえて餌をやったりしていた。彼らは森の中で遊び、湖に住むカバやワニの隣人となっていた。彼らは文明らしいものにほとんど触れることなく成長したのだった。

 カバが勝手口から離れ、湖の岸辺に近いところへ遠ざかったのを見て、ショーンがもっと近くで見てごらん、と言って家の脇の草地の近くまで来た。ショーンが安全を確認してから、わたしを一人にしてくれた。
 わたしは数メートル先のカバを見ていた。この世界に、わたしとこのカバしかいないような世界であった。いまは月に照らされながらゆっくりと芝生を食べているカバの口から、意外なほど大きい音で「むしゃむしゃ」と聞こえるのがわかった。草を食べながら、カバは少しずつ足をどさっ、どさっ、と前に出して移動している。カバの生きている軸と、わたしの生きている軸が、ほんの数分間だけ交わった。いや、実際には交わっていないかもしれない。カバはこちらのことなど何も気にしていないように見える。カバはわたしよりも生きるのが上手そうに見えた。ゆったりとしていて、尊厳に満ちている。どうやって生きていくべきか、明確にわかっている。美味しい草をとにかく食べる。なるべくたくさん、食べる。次の動作をどうしたら問題なさそうに見えるか、考えながら足を踏み出すことも無い。

 昼間カリバ湖を眺めると、だいぶ先にかすんでジンバブエ側の山々がなだらかに見えた。その大きな容積の水は一見して静寂であるのに、水中でカバの命が育まれているというのは驚くべきことだった。
 
 久美子さんが違う折に話してくれた。
「ここに来た時に、土地の人からとても古いビデオを見せてもらったの。それは砂嵐だらけの映像だったけど、どうやら中国がカリバダムを造るときだか、その前の調査だかで作った映像みたいだったけど、もともとここはサバンナだったらしいね。ザンベジ川がサバンナの中にあるだけで、あとは草原なのよ。そこで、水が押し寄せてきてサイが逃げまどっているのよね。すさまじいと思った。そのなかにもちろん村の集落もあったけれど、それはどこかに移して。また違うおじいさんに聞いた話だと、おじいさんは若いころそのサバンナに住んでいて、高台からはライオンが狩りをするのが見えたんですって。」
ライオンは水底に沈み、カバとワニは数を増やし繁栄したということか。
 後で帰国してからわたしはこのカリバ湖をつくるときのビデオを発見した。カリバ湖が出来る前のサバンナから、貴重な動物たちを捕獲してどこか別のサバンナへ移す、という計画が当時のローデシア政府で立ち上がった。そして政府はバッファローやサイ、ライオンなどを捕獲した。この計画はノアの箱舟計画と呼ばれたそうだ。当時の政府は記録として一連の計画をビデオを撮影していた。
 ノアの箱舟計画といってもサバンナにいた全頭数を捕獲したわけではないだろうから、水底に沈んだライオンやバッファローもいたかもしれない。澱んだ湖の底に、ライオンの骨が朽ちている。それを小魚がつつく。 

三兄弟の祈り

  3日目の朝、6時ごろ眼を覚ましてしまったのはわたしの泊っている棟の外が、子供のはしゃぐ声と犬の鳴き声でかなり騒々しかったからである。少し身づくろいをして玄関を開けると、このうちで飼っている大きい犬たちがドアのすぐ先におり、入ろうとしてきた。追い払おうとすると三兄弟が姿を現して、犬を制止した。
「おはようございまーす」
日本語がやや片言な3人は口々に挨拶をした。彼らはいつも走り回ったり高い所に登ったりして落ち着かないけれど、久美子さんが躾けているから、挨拶や言葉遣いはかなり折り目正しいのだった。
「どうしたの、こんな早くから」
とわたしが問うと、きらきらした目をして
「遊びましょ」
次男の海斗が言った。他の二人もうなずいた。

 まず彼らは木登りをした。林の中に、彼らが名付けた木がたくさんあって、そのなかにピクニックツリーというのがあった。それは、百日紅の一種であるような、こぶりで木肌が滑らかなものだったが、枝ぶりがちょうど人がふたりくらい並んで座れるようになっているのでそう名付けたらしい。3人にけしかけられてわたしはその木に登り、座れる枝までいき、腰掛けた。下を見下ろすと三兄弟が無垢の笑顔で、
「どうですか、眺めは」
とわたしを仰いでいた。ピクニックツリーは湖に面していて、まばらな林の向こうにおおきな湖面がきらきらと輝いていた。
「うん、いい気持ち」
わたしは答えた。
「ねえ、あれは何」
湖に浮かぶ巨大な船と、装置を見つけた。

「あれはカペンタを獲る船。カペンタは、カリバ湖で獲れる小魚。いっぱい獲れますよ。カペンタ漁はイギリスのひとがやってます。いっぱい獲って売りますからお金持ちです。」
啓治が少し妬むように答えた。
 カペンタはザンベジ川に住むニシン科の在来の小魚で、ザンビアでは貴重なたんぱく源である。ザンビア人は乾燥させたカペンタを煮て主食のシマとともに食べる。このカペンタをカリバ湖で殖やして売るという事業が持ちあがったのが1980年ごろ。エンジン付きの巨大な船を使った敷き網漁のため初期投資がかなり必要だ。そのため参入するのは主にイギリス人。ザンビア人は雇用され漁に携わってきた。カペンタ漁をするイギリス人はシヤボンガに何人かおり、オーナー業だけで本人は漁をすることがない。啓治曰くカペンタ漁のオーナーは「座ってみているだけ」で、楽にお金を稼いでいるように見えるそうだ。

 現在では、船の単価が安くなったことからザンビア人の独立が相次ぎ、楽に稼げる事業ということではないようだ。時代は刻一刻と変わってきている。あらゆるものがチャンスを得られるように変化してきているのだ。
 
 しばらく森の中の「名所」を案内してくれた三兄弟は、やがて走り回るのに疲れてしまったのか、座って休もうと提案した。ショーンの大工仕事用の小屋が庭にあったのだが、その裏の林の中に低くて平らな二メートル四方の岩があった。森の「名所」にはそれぞれ名が付いていた。玄関、とか山姥のトイレ、とかいうふうに(なぜ彼らが山姥を知っていたのだろう?)。感心したことに、彼らはこの平らな岩さえ、「ミーティングロック」と名付けていた。三人はなにか話し合いをするときは家の中のテーブルではなくって庭の林のこの岩に体育座りをし、答えを出すようである。

 わたしは「名前を付ける」ということの意味を考えていた。小さい頃、学校の裏庭の切株や置いてある岩に名前を付けていたことを、わたしはこのカリバ湖を前にぼんやりと思いだしていた。友人たちも皆、思い思いに「自分の岩」に命名し、そこに座り、岩に親しんだ。木陰の岩は夏は涼しくさせてくれ、日向の岩は冬の日に温まる。命名は、まさに命を与える儀式だった。わたしたちは命名によって自然とつながった。
 名前を付けられた自然物は、意味を持つ。名前を与えられると岩も木も少し人間寄りの顔を持つようになる。自分が名前を付けた木は、森の中でそれだけが光を放つように見える。

「今日の会議のテーマを決めよう」
長男の啓治は議長になりきっていた。突然会議ごっこがはじまったのだ。皆が黙ってしまい、テーマが決まりかねていると、実は言いたくてたまらなかったのか、啓治本人が言った。
「神様について、にしよう」
わたしは少々驚いた。しかし次男の海斗も、三歳の翔でさえ、少しも驚いていないのだ。
「あやみちゃんは神様はいると思う?」
啓治が聞くと、いっぺんに三人の視線はわたしに集まった。林の朝の涼しさが身にしみた。わたしはさて、どうしようと考えていたが、それは彼らが何を期待しているのか分かりかねたからであった。試されているようでもあったし、計られているようでもあった。無言の圧力に負けてわたしは率直に答えた。
「いるとは、思う」
わたしは超自然的な意味での神について、あやふやに答えてみたのである。
「皆はいると思うの?」
今度は三人に聞いてみた。早くわたしへの注視を止めてほしかった。
「僕はいると思う」
啓治が答えると、他の二人も賛同した。
「この岩の中にも、神様はいる」
海斗がミーティングロックを叩いた。黒い大きい岩はくぐもった音を慣らした。
「この林にも、土にも、水にも。草や虫、鳥とか、風のなかにも」
「僕たちを守っているんだよ」
三男の翔までもが発言した。
「でもね、」
啓治が長男らしく付け加えた。
「神様は人間の作ったもの―例えば機械とかビニールとか、釘とか―のなかにはいないんだよ。人間は神様が作ったものだけど、その人間が作ったものは、ちょっと違うものなんですよ。」
「そう、石とか木だけなの」
海斗も同意した。聞いたことない南国の鳥の声がそこらじゅうで響いた。鳥だけではない、わたしたちを取り囲むすべての自然物がやかましくさえずり、鳴り響いているかのようだった。
 
 わたしはこの時、ある考えをもってこの話を聞いていた。それは、ショーンが宗教家なのではないかということである。この一家の食事の前の祈りはキリスト教らしくはなかったが―日本のみなさん、イギリスのみなさん、ザンビアのみなさん、おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうございます。いただきます。というのだった―なにかしらの宗教に裏付けされた信念を持って息子たちを教育していることはおおいに考えられることだったのだ。
 しかしそれにしても啓治がいま言っているこれは、日本の神道的というか、つまりアニミズム的観念である。

後で確認したところ、ショーンは一応カトリックではあるけれど教徒として熱心なほうではないという。これは子どもたちが(主に啓治が)自分で考えてやっているものだということだ。

 しばらく沈黙が続いた後、
「あやみちゃん、秘密を守れますか」
啓治が尋ねた。真剣な眼差しだった。
「あやみちゃんは神様信じてますね」
そして念を押した。わたしはうなづいた。まるで信仰告白のような緊張感である。
「海斗、翔、あやみちゃんにあのこと話してもいいですか」
啓治は他のふたりに、わたしにこれから三人の秘密を漏らすことについて多数決を取り、三人が賛成して可決したようだった。(わたしはこうして三人の秘密をここに書いてしまっているが)
 この三人はバランスのとれた関係性なのだと感心していた。奇数というのはある種の爽快さを持っている。
 三人が立ち上がり、さらに森の奥へわたしを案内した。
 
 案内してくれた場所は、森の中の少し落ちくぼんだ部分だった。貝塚にでもなりそうな部分である。
 「これから僕たちは神様とお話をする儀式をします」
三人は、この儀式はよくやっているようで、慣れたふうな顔をしていた。等間隔に空いて生えている木から漏れ出た光がわたしたちを包んだ。湖が岩礁を湿らす音が聞こえる。
「みんな、何か捧げものをしてください」
「捧げものは、人間が作ったものでもいいのです。海斗はビールの王冠とかをよく出します。ぼくは綺麗な石とか。」
子どもたちは窪みに次々に捧げものを置いた。啓治はつるつるした綺麗な石、海斗はポッケにあったビー玉、翔は花束。わたしはえんぴつを置いた。
「その神様って、どんななの?」
とわたしが聞くと、
「いまから祈るのは、いちばん大きな神様です。神様は、なにもしませんけど、僕たちを見ています。でも祈ると聞いてくれることがあります。聞いてくれて、イエスというときもあるしノーのときもあります。でも基本的には、なにもしないです。でもあんまり人間が勝手なことをすると怒りますよ。だから僕たちはオネストでなければなりませんよ。よし、じゃあみんなで輪になって手をつなぎましょう」
と祭司の啓治が英語混じりに仰々しく言った。
捧げものを囲んで皆と手を取る。
啓治が咳払いをし、うやうやしく声を出した。英語の祈祷文だった。
「母なる大地と、父なる空に感謝します。
ザンビアのひとたちに感謝します。
日本のおじいちゃんおばあちゃんに感謝します。
イギリスのおじいちゃんおばあちゃんに感謝します。
神様、いつも感謝します。
ぼくたちをいつも守ってください」
このようなことを言った。

 わたしたちは頭を垂れて沈黙した。マルーラの木やアカシアが頭上でざわざわとおしゃべりをしている。それ以外はまったくの静寂。薄く目を開けると、子どもたちはそれぞれに真剣な表情で祈っている。この兄弟は、いつもこうして森の中で遊びながら、気が向いた時に森の妖精かあるいは天使か、神と、仲良くしているのだと思った。

 どれくらい祈っただろうか、皆は目を開けた。
「神様とお話できましたか、なにを言ってましたか」
と啓治がわたしに訊ねた。
 なんと答えるべきかわからず、また、まごついていると
「あやみちゃんの旅が安全であるように、と言っているんじゃない」と海斗が助け船を出してくれた。そうそう。とわたしは言った。
「僕も、あやみちゃんの旅がよいものになるように祈りました」
「僕も」
と啓治と翔が言った。
 兄弟たちはそれぞれに祈りを捧げ、日々の生活の安寧をとわたしの旅の安全を願い、神はそれを承諾したと言った。
 
 なんとなくむずがゆいような雰囲気になって、わたしたちはさっきのことを忘れたように水辺で遊んだ。はじめての打ち明け話をした後の、なんでもなかったような気まずさ。わたしは、この子たちの父母にはこのことは言うまい、と誓っていた。わたしたちは約束したのだから。
 一方で、文明で暮らしたことのない三人兄弟が、アニミズムを創り出したという事実に打ちのめされていた。儀式はこの小さい兄弟たちに何をもたらすのだろうか。あるいはなにももたらさないものが必要なのだろうか。
 
 
 わたしたちが森から住居に帰ると久美子さんは、相変わらず家事で忙しくしていた。ショーンは難しい顔でパソコンとにらめっこしている。
「ずっと森で一緒に遊びたいなあ」
と子どもたちは言ってくれたし、とても心地よいところだけれど、そろそろここを出なければならなかった。
「なぜ行かなければいけないの?」
 ビザのこともあるし、わたしは次の地に行く予定になっているから…と答えるものの、なぜ?なぜ?と子どもたちは繰り返す。わたしもなぜだかわからないけど、ここにずっといるわけにはいかない。
 いまのところ、教育のほうは家庭学習でなんとかなっているけれど、高学年の授業はわたしでは教えられないし、この子たちはこの小さい半径数十メートルで暮らしているのよね。そろそろ日本に帰ろうと思っているの。やり残したことはたくさんあるけれど、このままおさるさんたちのままじゃあいられないからね…と久美子さんが言った。なぜおさるさんのまま、木登りしていられないんだろう。なぜずっと走り回って遊んでいられないんだろう。ここは木の実が成り、湖で魚が採れて、温暖で、アダムとイヴの楽園があるならこんなのんきさだろうと思われた。しかし、このちいさな家族は、楽園に一生いるわけにはいかないのだった。わたしがずっと森で遊んでいるわけにいかないのと同じで。
 
 ショーンがルサカに用事があるというのでその便に乗せてもらい、シヤボンガから旅立つことにしたが、便利に使っているトヨタのサーフは古くて何度も壊れ、煙を出し、うなった。ルサカに行くまでに何度もエンジニアに来てもらってやっとのことで動き出した。ちいさな家族はいつまでも手を振った。ダートを走っていくとカバのいる湖と塔のある家が、森に埋まっていくように遠ざかった。
 きっと、あの兄弟たちは幸せに暮らすだろう、いろいろと苦いことも日本であるかもしれないけれど、きっとのんきに暮らすだろう、とシヤボンガの森の神様がささやいていた。

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