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浅草キッドから感じた大事にしたい泥臭さ

浅草キッド…ビートたけしの小説。ビートたけしの師匠である深見千三郎と過ごした青春時代を描いた自伝
出典:Wikipedia

昨年NETFLIX制作で映画化された話題の「浅草キッド」。私自身お笑いが大好きな為ビートたけしさん(以下たけしさん)を知ると共に昭和のお笑いを勉強したい一心で小説、、映画を漁った。ざっと内容を紹介すると、たけしさんが下積み時代に出会う師匠をはじめとした様々な人物に影響されながら芸能界のトップに上り詰める姿を描いたストーリーである。
そこで私自身が感じた事をこのnoteにつづりたいと思う。

そもそも私たちの世代になると、たけしさんがツービートという漫才コンビを組み、浅草期待のルーキーとして80年代の漫才ブームのリーダーとして『THE MANZAI』や『オレたちひょうきん族』で大ブレイクした事を知らない人が多い。いつもコスプレしてピコピコハンマーを持っているおじさんor映画監督としか認識していない人からしたら驚くかもしれない。人気は爆発的で今のジャニーズと変わらない程の黄色い声援を浴びていたようだ。

そんなたけしさんは下積み時代、浅草にあったストリップ劇場『フランス座(現浅草東洋館)』にてショーの合間に漫才を披露していた。ストリップショー目的のお客様相手に披露する漫才だから誰も聞いていないのは当たり前。トイレ休憩と同じ様な扱いで、お客が2人だけの時もあったようだ。それでも漫才が好きだからという理由だけで板に立ち続といける姿は泥臭くそれだけでもカッコよく感じる。さらにたけしさんは師匠深見千三郎に認められる為にとタップダンスを学び、磨きに磨きをかけ芸を自分のモノにしてしまう。このタップダンスで培ったリズム感が後々ツービート人気の理由であるテンポ良い毒舌漫才に繋がるようだ。まぁ勝手に考察しているのだが…

と、タラタラ文をかいているが前述した文の中でも個人的に二つ学びがあった。
一つ目に挙げるのが自分達が面白い・やりたいと感じた事を続ける泥臭さだ。人を笑わせるという正解が一切無い世界の中、人に認められる為に泥臭くやり抜く力と自分の考えを根気強く押し通す力は学ぶべき姿勢だと考えている。相手に合わせて認められる雰囲気を作るのではなく自己意思を貫いて認めてもらう努力を惜しまないようにコツコツと積み立てる大切さを学んだ。俗に言う「時代が追い付いた」と言わせる為に諦めず自分に芯持つ人間になりたい。
もう一つ学んだ事は、努力している姿は誰か必ず見ているという点だ。たけしさんが小屋で切磋琢磨努力をしている姿は沢山の人が目撃して沢山の人が支えようと奮闘してくれている。これもたけしさんが本気で漫才に向かい合おうとする姿があるからだ。私自身「自分だけ辛い思いをして誰も見てくれていない。誰も興味を持ってくれない。」と思っていたのだが、改めて思い返すと本気で取り組んでいる事柄では、誰かしらサポートしてくれたのを思い出した。そして、サポートしてくれた人との繋がりは濃く一生携わっていきたいと思える人々である。ここからは個人的な意見になるのだが、少数で良いからこのような人々を大切にして相手の存在を感謝できる人間になりたいと感じた。というか“なる”と宣言する。

ということで個人的に浅草キッドから学んだ泥臭さのカッコ良さをnoteに記してみた。この作品は至るところにクールを求められる令和の今だからこそ重要だし必要な泥臭さを学ぶことが出来る。是非とも原作本・映画を観て泥臭さを共有出来たら嬉しい。

それではまた、Grazie!!


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