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「あなたのため」という呪いについて

「あなたのためを想って言っている」
こんな言葉を吐く人のことを見る度に、不思議に思っていた。その言葉に従って行動した人が、幸福そうに生きているのを見たことがないからだ。
僕自身も、何度も「あなたのため」という言葉を言われたことがある。

「部活は続けたほうがいい」
「文学部なんて入ってもしょうがない」
「習い事はやっておいた方がいい」

こんな言葉の前にはいつも、「あなたのために言っている」という文言が付け加えられていた。そして、その言葉に従って行動する度に、ひとつ、またひとつと後悔した。
なんであの時好きなようにしなかったんだ、と。

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「あなたのため」という言葉は恐ろしい力を持つ。その言葉に従って行動すると、成功しても失敗しても後味の悪さが残る。

成功した時には、自分の道を突き進まなかったことへの後悔に囚われる。「もしかしたらあの時頑張っていれば、望んだ道に進めたのかも」という気持ちを抱えて生きていくことになる。

失敗した時には、無責任な言葉で自分の気持ちを押さえつけた人への恨みが湧いてくる。「あいつのせいで、先輩のせいで、親のせいで」という負の感情に囚われる。
どちらにしてもろくなものではない。不健全で、病んでいて、絶望ばかりだ。

そんな暗い気持ちを抱えて生きていくぐらいなら、自分の道を突き進んだほうが良いと僕は思う。その道を進めば、後ろ指を指されるかもしれないし、笑われるかもしれない。「ほら見ろ、言った通りだ」と、クソみたいな言葉をなげつけられるかもしれない。
それでも、人の言葉に従って、どう転んでも後悔し続ける暗い気持ちに囚われるぐらいなら、僕は自分の好きにする道を選びたい。

僕がここで言っている「好きにする」というのは、好きなことだけをして生きる、という意味ではない。
「家族の幸せのために仕事を頑張る」
「趣味を追いかける」
「自由に放浪して生きる」
色々な価値観がある中で、自分が歩みたい道を選び取っていくということだ。誰かに勝手に道を決められたり、塞がれたくない。

シンゴジラで矢口蘭堂や総理大臣が最後は「好きにやった」ように、僕も自分の人生を、好きにやる。

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