ハシビロネコ

還暦を過ぎて断捨離を始めたが、いまだにさっぱり片付かない人生を送っているバツ2のGG。…

ハシビロネコ

還暦を過ぎて断捨離を始めたが、いまだにさっぱり片付かない人生を送っているバツ2のGG。 Favorite: 猫、鳥、川、神社仏閣、旧道、鉄道、本、音楽、ビール・・・ noteでは、感じたままを自身の記憶の備忘録として記していきます。よろしくお願いします。

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そろそろ飛び続けてみようかなぁ

noteに登録して3年も経ちました(;'∀') その間、プロフィール設定も中途半端、 もちろん記事はゼロ・・・ 究極の飽き性で無精な老人が 人生の断捨離の意味で一念発起しました まずは鳥を見習って羽をバタバタしてみます 昭和のにおいがプンプンしたらすいません 経験した職業:飲食業、建設業、自由業、他 ※ここ10年ほどは建設業界の企業内研修講師 面白い体験や妄想をテキトーに記していきます 基本は自身の備忘録という立ち位置です GGBBR(GGの備忘録)と思ってご笑覧ください

    • トイレの記憶①

      幼少期 いままで色んな土地に住んで、色んな『自宅』でトイレを使った。 …のではあるのだが、記憶を辿るのはなかなか難しく、 とりわけ生れてからの時系列で書くことが一番しんどい。 なぜなら、物心がつく前の住処がはっきりしないからである。それでも、朧げな記憶としては昭和30年代後半(小学校低学年)から残っている。  当時のまわりの大人が「二丁目」とよぶ、今の『東品川1-35』辺りに住んでいた。 まだ埋め立てられる前の目黒川添いの、コールタールを塗ったトタン屋根で出来た四軒の貧乏

      • ぬこの記憶☆8-②

        あの日の事  あとからお父さんから何度も訊かれたけど、あの時のことは僕にもよくわからないんだ。 強く記憶に残っているのは、高い所からふわっと飛んで水のなかに落ちたということと、 苦しくて苦しくて、このままではいけないと思って必死にもがいたことだ。  お父さんと会う前、雨が続いていた日、僕らはいつもお腹を空かしていて、雨が降っていても朝方にご飯を探してゴミ置き場を漁りに行っていた。 何日かに一度の割合で近所の人がガサガサ音をさせてビニール袋をゴミ置き場に捨てに来るんだ。 僕

        • 暴走する「させていただきます」

          間違っているのに不思議と使われ続けるのは何故か? それでは会議を始めさせていただきます ・・・会議がこの一言でスタートするケースがよくある きょうは何回出てくるかな、と思わずニヤリとしてしまう それさ、「それでは会議を始めます」じゃだめなんですかね? ご紹介させていただきます ご挨拶をさせていただきます ・・・はあ? 画面を共有させていただきます ご説明させていただきます ご覧になっていただきました通り~ ご理解いただけましたでしょうか ご意見をいただけますと幸いです

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        そろそろ飛び続けてみようかなぁ

          ぬこの記憶☆8-①

          次男坊はちとの出会い その白黒はとつぜん目の前に現れた。 といっても動いて私の前に来たわけではない。 渋滞中の前のトラックがようやく少し前進した為、その車の下にいた白黒が私の視界に入ったと言ったほうが正しい。 緑色の眼をしたその子猫は運転席の私と目を合わせた。 反射的に助けなければと思った私はハザードランプを点けて車から降り、後続に手を挙げて自分の車の前に回った。 が、もうそこに猫はいなかった。 慌てて車の下や反対車線を探したが、いない。 え、消えた?? ここは橋の上

          ぬこの記憶☆8-①

          日本語のモヤみ【ビジネス文書01】

          某企業主催のウェビナーを受講したあと、このようなメールが届いた。 何となく日本語がモヤッとするんだよね(;'∀') (以下、引用) AAAAA様 いつも大変お世話になっております。 ○○○○からセミナー アンケートのご連絡となります。 この度は、【2024年○○○○○○ Webセミナー】にお申込みいただき、誠にありがとうございました。 事後アンケートの案内のため、ご連絡させていただきました。 既にご対応いただいた方はご放念ください。 所要時間【2-3分程度】のアンケート

          日本語のモヤみ【ビジネス文書01】

          記憶のつづれ織り☆橋と幼稚園

           昭和37年の春から一年間だけ幼稚園に通った。 宿の通り(しゅくのとおり…旧東海道をそう呼んでいた)を渡った文房具屋の脇を入った路地の奥、左にL字で曲がる角地に、私が通った荻野幼稚園はあった。 当時住んでいた目黒川の東側にある長屋から、どこを通って幼稚園まで歩いて行ったのか定かではないが、おそらく母親に手をつながれて目黒川に架かる橋を渡り、聖蹟公園を抜けて行ったのだろう。 そう、橋は確か土台部分を除いて木で出来ているような造作で、たしか近所にふたつあったような気がする。 一つ

          記憶のつづれ織り☆橋と幼稚園