見出し画像

『先にあるものを信じて、リスクテーキングをする』JSIE代表 村上博美さん

株式会社Will Lab代表取締役 小安美和さんとのご縁を通じて、出会ったJSIE代表 村上博美さん。

角度を変えながらも、チャレンジすることで拓けた先の道で生きる村上さんのエネルギーを感じる時間でした。

画像1

村上博美さん:上智大学理工学部卒業。ワシントンDC経済戦略研究所(ESI)上席研究員、アジア部門バイスプレジデント、日本医療政策機構理事、等を経て、経済戦略研究所シニアフェロー、米国戦略国際問題研究所(CSIS)グローバルヘルスポリシーセンター非常勤フェロー。米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)や政策研究大学院大学でも教鞭をとった後、2015年にJapan Institute for Social Innovation and Entrepreneurship (JSIE)を創設。米国際経営学修士、米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)国際関係論博士。

「理工学部から方向転換し、フィールドにした国際関係学」

WI大山:大学は理工学部を卒業されたとのことですが、フィールドの違う国際関係学に携わろうという想いはどこから来たのでしょうか?

村上さん:中学2年間をアメリカで過ごし、帰国後は編入でICU高校に入学しました。そこで物理の先生の授業に出会い、面白い!とトキめいたんです。将来就きたい職業もなかったので、今面白いと思っている分野をもっと勉強したいと思い、上智大学に進学しました。

卒業研究のテーマはレーザー関係で、毎日実験が楽しくて仕方なかった。私が入りたいと思っていた研究室は人気で、くじ引きを引いたら外れてしまって。「他の研究室だけど行く?」と教授から誘って頂いた先は、他大学の物理学科でした。

担当して下さっていた教授の旦那さんが他大学の教授でいらして、そこなら研究にきていいよ、と言われ、1年間だけ卒業研究の実験で通いました。

画像2

村上さん:女性が働きやすい会社特集が組まれていて、今まで女性社員が何年働いているか統計を見て決めた会社は、通信関係でした。そこでは4年間、システムエンジニアとして働きました。

実用化研究チームに配属されたのですが、100人中女子は2人という環境。会社として男女問わず、MBA留学させてもらえる仕組みがあると聞き、行きたいと上司に言ったんです。「出張はいかせてあげられるけれど、留学は‥と」と言われ、行かせてもらえなかった。そこで自分で勉強し、会社を辞めてアメリカのカリフォルニアの大学院にMBAを学びに行きました。

その後進学した先の大学院でタイミング良く、フランスの交換留学プログラムが始まったので、フランスの商科大学院に半年間留学に行きました。

楽しくて仕方なかったけれどお金が尽きてしまったので、そろそろ働かなくてはいけないと思い、声をかけてもらえたドイツの会社で1年半働きました。出社前に毎朝ドイツ語を勉強し、必死でしたね。その時に海外に視野を向けて暮らしてきたものの、日本の政治や経済を説明できない自分に気付きました。

そんなこともあって、もう少し勉強したいと思いアメリカのワシントンDCの大学院で国際関係学を2年間勉強しました。その後は空きがあったシンクタンクで日米関係や通商関係の研究員として長いこと働きましたね。

「溢れている可能性を発信したい」

中間:お話を伺い始めて間もないですが、好奇心に溢れているからこそのエネルギーを感じます。「誰もが自分らしい生き方のできる社会の実現」をテーマに掲げ、JSIEを創設されたと伺いました。このテーマに至ったきっかけや原点はありますでしょうか?

村上さん:仕事しながら博士論文を書いていた頃、ワシントンで新聞記者の夫と出会いました。ワシントンで生まれた子どもが1歳ぐらいになった頃、夫の仕事の関係で日本に帰ってみたら保育園問題の深刻さを目の当たりにしたんです。当事者として経験することで、問題意識を持つようになりましたね。

JSIEは、再び夫がワシントンに赴任することになったので、それをきっかけにに立ち上げました。ワシントンでは財団を立ち上げて社会起業家を育てるプログラムを実施している素敵な日本人女性に出会ったことで刺激を受けました。また同じ大学院を卒業してNYの大学で教えていた友人にも偶然バッタリ会い、ワシントンを拠点に集まった有志の女子たちで、活動し始めました。

私たちのように日本と外国を行き来していると、雑誌やテレビなどから「女の子なんだから!」と伝統的な女性の役割を無意識に刷り込まれている気がします。「私は出来ない」とか「結婚しなきゃ」という価値観に飲み込まれて、本来なら無限に溢れている可能性が失われてしまわないようにしたいという想いがJSIEの原点です。

ウーマンズの皆さんがテーマにされているロールモデル発信と同じように、ゲストと話せて、どんな質問でもできるシンポジウムも開催しています。日本では「女の子」というバイアスで選択肢を狭めてしまう瞬間があると感じるので、『世界に出ちゃっていいんだ!』とメッセージを提示してくれるグローバルな女子をお呼びしています。「彼女が出来ているんだから私もやってみよう」という種を広げていきたいですね。

画像3

「先にあるものを信じて、リスクテーキングをする」

WI大山:流れに身を任せながらも1つ1つの選択を楽しまれてきたんですね。飽きっぽいと仰られていましたが、常に変わる環境で生きてこられたからのようにも思いました。村上さんの中で、分岐点に立たされた時の選択基準や軸はありますか?

村上さん:これまで生きてきた中で妥協した選択は1つもありません。例えば、女の子だから留学に行かせられないって会社に言われたら、他のところに行ければいいと考えを切り替えていました。

自分の中で正しいと思ったことは、その時にやらないと二度と出来ない。そう信じて行きたいと思う先は、躊躇せず意志に従ってきました。何か選ばないといけない時には、どっちが楽しいだろう、何が自分にとって成長できることかどうかを考えるようにしています。

今あるものをキープするのではなく、先にあるもののためには捨てていいというスタンス。アメリカだと攻めないと守れない感覚があって、守っていたら後退するだけ。流れに向かって攻めていってやっと、自分の位置をキープできる。

アメリカで価値観は1つではないと知って、他にも世界があることが分かっていたから、リスクを取ることは怖くなかった。MBAを学びに行って日本に帰ってきたのは15年後ですよ(笑)

「失敗はサバイブ力に繋がる」

WI大山:後悔しない選択を意識されている村上さんからWI読者にメッセージを頂けたら嬉しいです。

村上さん:大学院時代は宿題やレポートの準備などに労力を割いてしまって、ハッピーアワーなど行かなかったのですが、あそこでもっとネットワーキングをしておけば良かったと思います。

若い時に人脈を作っていれば、何かあった時無条件でみんな助けてくれる。若い時の友達は大人になったら貸し借りなしの関係性になるので、一生の友達になると思います。出来るだけ色々な場所に出掛けて、億劫がらないで友達の輪を広げてほしいですね。

選択については、守りに入らないでほしい。世代によって転がってくる機会が違うので、その時しかできないことをやるべき。若い時にしかできないインターンや、国際機関で働きたいと思っている人は若いときに現場でフィールドワークをする。

たとえ困難な道で、リスクがあっても、今しかいけないところを選んで行くべきですね。失敗しても大丈夫。やり直せるし、サバイブ力に繋がる。簡単な道を選ばずに、コンフォートゾーンから出てチャレンジしてみる。

最終的に決めるのは自分なので、信じている道は、他人から何と言われようと曲げずに、あとで自分に対して納得いくように進んでほしいですね。

(文:鈴木メリエム、構成・編集:大山友理)


いつも沢山の方々の応援ありきで活動できています、ありがとうございます^^サポートは活動費(イベント開催)に使わせて頂きます🥺サポートという形でも応援頂けたら嬉しいです!