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【私たちのまちの自慢人@仙台】『東日本大震災を機に始まった活動の芽にある“東北を盛り上げたい、なんとかしなきゃ”という想い』株式会社epi&company代表取締役 松橋穂波さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る私たちのまちの自慢人』。

東京メンバーとzoomを繋ぎながら、オンラインコミュニティメンバー大和田日向子(山形)藤田花奈子(宮城)の初取材(2019年12月21日)にお迎えさせて頂いたのは、株式会社epi&company代表取締役の松橋穂波さん

大学2年の時に経験した東日本大震災。女性の美しさや健康の大切さに気付き、「東北の女性が輝ける場づくりをする」をミッションに、学生団体「東北女子学生コミュニティepi」を設立。
その後、法人化し、学生コミュニティと提携。企業とタイアップとして商品開発・イベントを企画。その他、学生モデルのキャスティングや、商品のプロモーションを手掛けられています。今後は、ライフステージに合わせ若手社会人や子育て世代の女性たちの抱えている課題を解決するような事業展開も考えられているという穂波さん。

大学時代に始めた穂波会を含めて、今のお仕事に繋がるまでたっぷり伺いました!

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取材日:2019年12月21日

松橋穂波さん:宮城教育大学卒業。「東北の女性が輝ける場づくりをする」をミッションに、学生時代に東北女子学生コミュニティepiを設立。現在、株式会社epi&company代表取締役。東北の女性コミュニティを運営し、女性×企業のコラボで、イベントの企画や商品開発、プロモーション活動などを行っている。東北という地域の課題を解決しながら「美しい⼥性を増やし、⼥性の笑顔溢れる世の中を作る」ため、日々奮闘している。

『高校生の時、限られた選択肢の中から選んだ教育学部への道』

WI大山:宮城教育大学を卒業されたとのご経歴を拝見しました。“教育”に関心を抱いたきっかけはありますか?

穂波さん:高校生の頃は、正直職業選択できるほどの知識がありませんでした。例えば、「コンサルティングファーム」とか「広告代理店」とか具体的に何をやるのか分からず、自分の中で「これをやってみたい!」という仕事が分からなかった。

仕事の内容がわかるのは、両親の仕事か学校の先生、お医者さんでした。その中でも1番身近で関心を抱いていたのが教育者だったので、宮城教育大に進学しました。

『穂波会のきっかけは東日本大震災』

WI大和田:他メディアの記事を拝見し、教育を学ばれていた大学時代のキーワードの1つが「穂波会」だと思いました。穂波さんご自身がコミュニティの軸として、みんなの帰る場所を作られていたような印象を抱いていて。

穂波さん:穂波会は、食べ物や電気、ガス、水道などのライフラインに問題が生じていた東日本大震災を機に、出来ました。みんなが不安な中で、食料を分け合ってたり、ろうそくのあかりを分け合ったりと、周りの人たちと支え合って震災を乗り越えようとしていました。

その名残か、震災が落ちついてからも私の家に人が集まるいわゆる“宅飲み”が続き、穂波会という名前がつきました。穂波会のモットーは「今を全力で生きる」「アイディアを形にする」こと。そこで話した様々なアイディアの芽をみんなで育て、本当に実現してきました。それが私の原点になっています。

私がやりたいと言ったことは挑戦させてくれて、小さなことでも何か成し遂げると褒めてくれた家族の影響も大きいですね。

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『始まりは、“東北を盛り上げたい、なんとかしなきゃ”という想い』

WI大和田:目の前にいる1人1人に寄り添い、集う場所を作るという穂波会が、「多種多様な女性のロールモデルを世に広める」事業を、東北で展開するというアイデアに繋がっているのでしょうか?

穂波さん:もともとは自分自身が、“周りに影響力を与えられるようなロールモデル“になりたかったんです。そうはいっても最初の芽はもっともっと小さくて、「東北を盛り上げたい、なんとかしなきゃ。」という想い。

震災直後、化粧もできない、おしゃれもできない、そんな中で生きてきた女性たち。もちろん当時は、まず「生きること」が第1優先。化粧しなくてもおしゃれしなくても人は死なない。でも復旧から復興へと進んでいく中で、いつまでも支援を受け続けるのではなく、現地にいる自分たちが志を新たに、自ら行動を起こしていかないといけないと感じました。

ずっと落ち込んでいるわけにはいかない、前を向いて進んでいかないといけないのです。そんな中で女性にとって化粧やおしゃれは、前向きになれる・ワクワクする・ちょっと自分に自信が持てる。そんな魔法。女性にとって“美しくあること”、その美しさが背中を押してくれるんです。女性が美しく魅力的で、生き生きと輝く東北にしたい。そう考えて私のチャレンジは始まりました。

当時大学生だった私に出来ることは少なかったけれど、自分の周りの友達を巻き込んで何かやりたいという想いだけが膨らんでいきました。ただ同世代を巻き込むためには、堅苦しくて意識が高く見える活動だと共感が得られにくい。

より多くの人を巻き込みたいと考えた時に、自分と同世代の女の子たちが興味を持つ分野でムーブメントを起こそうと考えました。それが活動のファーストステップとしてのファッションショーです。やっていく中で見えた世界があり、やりたい方向性が見えてきました。

私は「美しい⼥性」を、「⾃信のある⼥性」と定義づけています。⼥性が⾃信を持つためには、⾃分⾃⾝のことを認め、好きになることが必要です。ファッションショーをする中で、“自分なんて”、“自分なんかが”と諦めてしまう女の子がとても多いことに気付きました。その一方でショーを通じて、自信をつけ、新しい挑戦に挑む女の子も増えてきました。それを見て女の子たちが活躍できる機会、自信をつけて一歩踏み出す勇気を与えられる場をたくさん作りたいと思うようになりました。

私自身も表に出させてもらえる機会が増えたことで、イキイキと輝いている女性たちと出会う機会に恵まれました。段々と“生き方や沢山の選択肢を広めていきたい”という想いも生まれ、成長を実感できるようになりました。“美しい女性を増やしたい”というベースが強くあるので、「辞めたい」と思ったことがなく、日々楽しく仕事をしています。私は今のこの仕事ができていて、とても幸せです。

WI藤田:こんなふうに今の仕事を派生していきたいという、今後のイメージはありますか? 

穂波さん:私の活動は想いがベースになっているので、今目の前で困っている人や、自分自身が困った経験のある身近な課題を解決することにモチベーションが湧くんです。

学生以外にも、幅広い層の女性たちにそれぞれの課題がいっぱいあるのは分かっていたけれど、大学卒業後して間もなかった頃は自分ゴトとして捉えられなかった。100%の愛情ややる気を持てないと思ったので、学生のための活動に絞っていました。

ただ学生の間だけでなく、卒業後までサポートしたいと思い、昨年からキャリア系の新規事業をスタートさせました。ゆくゆくは、女性のキャリアアップのお手伝いや独立の支援もやっていきたいと考えています。

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『軸の1つは、自分の感情が動いたかどうか』

WI大山:私は「1人1人を応援したい」を軸にしていて幅が広く、選択する過程で迷いがちです。穂波さんは、ご自身の軸を一言で表すとしたらどんな言葉になりますか?

穂波さん:選択の軸は「迷ったら全部やる」。私も迷ってばかりいます(笑)。でも、最後の決め手は理論や数値ではなく「自分の感情が動いたかどうか」ですね。

WI大山:自分の気持ちの振れ幅は、選択にどう反映されていますか?

穂波さん:好き嫌いは意外と直感的に分かるので、自分の心の声はよく聞くようにしています。数値や将来性など様々な基準がある中で、最終的に自分の心の中で「私はやっぱりこれが好き」とか「いちばん最初に選んだもの」を選ぶようにしています。

私、周りからは“突っ走っている”ように見えるみたいなんですけど、意外と石橋を叩いて渡るタイプで(笑)。事業は何度も仮説検証をして実績を重ねて反応を見た上で、これを仕事にしても生きていけると思えたから、起業しました。不安はゼロではなかったけれど、失敗しても大丈夫だと自分に言い聞かせながら、やってみようと決心して踏み出しました。その過程を歩んできて、今があります。

『選んだ選択は、結果として全て正解になる』

WI大山:穂波さんにとって自分を活かす選択というのは、震災がきっかけで今の事業を展開されていることになりますか?

穂波さん:それが自分を活かす選択なのかどうかは正直私もわかりません。ただ自分の中では震災をきっかけに、死に意識が向くようになりました。

「後悔の残る人生だったな」と思って終わるのか、「いい人生だったな」と思って最後を迎えるのか。私は後者の生き方をしたいので、そう思えるように自分の中で後悔しない選択を続けています。

選ばなかった方の答えは、選んでいないから分からないし、選んだ選択は結果として全て正解になる。というよりも自らで正解にしていく。これをいかに自分の中で納得できるようにするか意識しています。

WI大山:1つ1つの選択において、自分が後悔しない方を選び続けてきた先で、今の穂波さんの姿があるんですね。

東北は精神的に温かい』

WI大和田:地元のここ東北で事業を展開されていて、穂波さんが感じる東北の魅力を聞きたいです。

穂波さん:東北にはいっぱい魅力があるけれど、私は中でも東北の人の温かさが好き。つい先日青森に行ってきたのですが、郵便局で印鑑を忘れちゃって、そしたら「忘れてきたの。じゃ待っているから取っておいで」と。心に余裕がある場所だなと思います。

WI大山:私も宮城生まれで長いこと過ごしていたので、会話に言葉のキャッチボールがある東北が大好きです。私たちのこれからにヒントを見出せた気がします。ありがとうございました!

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(取材:大山友理大和田日向子藤田花奈子、構成・編集:大山友理)


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