家族留学がコロナでめちゃくちゃ 第3話 IELTSの壁(前編)
前話までのまとめ
「夫の留学=学生ビザで夫婦両方の夢を叶える」というプランがはっきりと形を成し、数か月かけて大学調べに取り組んだ。ニューサウスウェールズ州のいくつかの大学がリストに名を連ねたが、どこかに合格できないことには学生ビザは申請できないし計画は一向に進まない。最終学歴の英文証明や資金面はいずれ都合がつけられるとしても、IELTSだけは自分の英語力を地道に上げていくしか方法がない。
IELTSの壁の破り方
このシリーズで繰り返し触れてきたが、スピーキングとリスニングで8.0以上、ライティングとリーディングで7.0以上という厳然たるハードルが、教育系修士(学問としての教育学研究は別)の前には立ちはだかっている。後々になって州によってはより低い基準の大学もあることが分かるのだが、お目当てのNSW州の大学は全て前述のバンドスコアを基準としているし、実際に非英語圏の外国人が教師として働く際にはオーストラリア全土共通で例外なくこの点数が必要なのだ。何より留学の意欲に火をつけた張本人である例の知人は、帰国子女でもなんでもないのに手加減なしの「SL8/WR7」基準を満たして進学している。そもそもスタート時点では「SL8/WR7」しか知らないのだから、絶対にこの点数を目指すと決意するほかなかった。
今話から二回にわたって、ほぼ二年間かけてどんなIELTS対策をし、何が有効で何が無駄だったか、そして最終結果がどうなったかについてちょっと濃厚な記事を書こうと思う。IELTSの壁をどうやってぶち壊し突破していくべきか散々苦労してきたが、同じ道を目指す人々の参考に多少でもなれば幸いだ。
思い込みの壁
まずスタート地点をはっきりさせておかねばなるまい。以前述べたように筆者(この記事では夫のほう)は10年以上前に英検一級を取っている。筆記をクリアしたのち、2度目か3度目のスピーキングテストで合格したように記憶している。このときの合格体験で、IELTSの受験に悪い影響を与えた点が一つあった。それは、「話せたから合格できた」という成功体験だった。周知のように、英検一級のスピーキングは扱われるトピックそのものが高度で抽象的な内容になっており、例えば年金制度とか国際関係といった広く社会的な、若干の専門知識も求められるような問いにきちんと答えられることが合格基準の大きなウェイトを占める。そして、英検一級スピーキングで不合格だった回は、端的に言ってまともに返答できなかったので不合格になっていたと記憶している。つまり、言葉が出てこなかったり、非常に稚拙な語彙で何とか政治経済に関する意見を述べ立てようとしたりしていた。「日本語なら喋れる内容が英語では出てこない、悔しい!」という状況をいかに克服するかが、すなわち筆者にとっての英検一級チャレンジだった。
もちろん「レベルの高い語彙を使うべき」という情報も仕入れていたので、belligentとかbellicoseとかpolarizationとかといった(多分旺文社の単語集から急ごしらえで仕入れた)単語を無理やり使った記憶があるが、今から考えると正しい文脈で使えていなかったり、発音が微妙だったり、無理やり使おうとしているのが見え見えだったりした。しかしながら、それでも何度目かの受験で「一通り無難に話し通すことができた」と感じる回があり、そののち合格通知が届いたのだ。これで、「どんな問いに対してもちゃんと一通り返答できる能力」こそが高度なスピーキング能力なのだ、という一面的な見方が自分にしみついてしまった気がする。
間違ったIELTS戦略
この過去の、しかも10年以上も昔の成功体験を引きずったまま受験したIELTSは、筆者にとってとんでもない大きな落とし穴となった。英検一級の難しさとIELTSの難しさはまったく別のところにある。英検一級では初球から平気で「皆保険制度はなぜ全世界に浸透しないか」みたいな話をさせられるのに対して、IELTSでは「最近映画を見たのはいつ?」みたいな質問が来て肩透かしを食らうのだ。ここで「質問にちゃんと一通り答えられる」ことがスピーキング力だと思っていると、なんだそんな簡単な質問、と思いながら余裕綽々でペラペラと喋って14分後の退室時間を迎え、たっぷり話せたぞと満足感に浸って結果通知を待っていると、二週間後に予想外の低い点数が届いて愕然とすることになる。
IELTSでは、「高度で幅広い語彙・文法・結束・発音」を意識的にアウトプットし自分からアピールしていくことが大前提となっている。英検のように級が分かれておらず、受験者が日本人中学生であっても諸事情で受験しているネイティブであってもまったく同じ手順で会話力を測定するのだから、これはある意味当然である。ランドルト環を使った視力検査が、最初は間違えようがないくらい大きな環から始めるのと一緒だ。英検一級のように「こんなに難しい問いにまともに返答できるなら、その時点で自動的に素晴らしいスピーキング力が証明される」という仕組みにはなっていない。
だから、「喋れた」ではだめなのだ。端的に言って、「止まらず淀まずたいていのトピックについて喋れる」というのはバンドスコア6.0~6.5に相当する能力なのだそうだ。「喋れる」を目指していては当然そこから上の点数は取れっこない。
「中学校英語で何でも伝わる」は正しいが……
仕事などで実際に英語を使う機会がある人は大いに実感していることだと思うが、中学校レベル(中学生レベルではなく)の文法と語彙があれば、ほとんどのトピックは確実に意思疎通できる。例えば民主主義とか選挙みたいな話題があったとして、「普通選挙」を中学校英語で表せば the system that gives everyone a chance to vote とでも言える。voteが難しければchoose politiciansと言ってもいい。変な英語だとしても、間違いなく言いたいことは伝わる。英検一級にこの戦略だけで合格できるとはさすがに言わないが、このタイプのコミュニケーション戦略が語学力の骨格となっている人が英検一級に合格するということは大いにありえよう。その一方で、IELTSのスピーキングでこのような調子で14分間たいていの質問に答えていくならば、おそらく6.0前後の点数が得られることになるだろう。もし受験者がより高い点数を求めているのであれば、ここでuniversal suffrageというフレーズが出てくるか暗に試されているのだと知っていなければならない。そうでなければそもそも勝負にならない。筆者の最初の1~2回の挑戦は、この原則が分かっていないまま受験して玉砕したのだった。
もちろん、IELTSの特徴について何の下調べもしないで2万5千円も払って受験したわけではない。以下はバンドディスクリプタと呼ばれる採点表(厳密にはこれで採点しているわけではないが)のうちライティングのタスク1・2それぞれの抜粋だが、これにスピーキングの表も合わせて自分の一冊目のIELTSノートの最後のページに貼付し、綿密に分析した(つもりだった)。
他にも様々な情報源に当たった。しかし、結局のところ例えば「高度で幅広い語彙力が試されます」と書いてあるのを読んだところで、それを自分流に「様々なことを喋れるという意味だな」と解釈してしまえば意味がない。二度ほど受験して、「ペラペラ喋っているつもりなのに欲しい点数がもらえない、おかしい、ひょっとして何か大きく考え違いをしているのかもしれない」と思い当るまでは、思い込みが邪魔をして正しい道を進めずにいた。「おかしいな」と思って初めて、「高度で幅広い語彙力が試されます」というアドバイスの意味が変わって見えてくる。ひとたび意味が分かると、「なんだよ、最初からそう書いてあるんじゃないか」と自分の愚かさに呆れる。
今回はIELTSに関する大きな勘違いから脱却し、何を目指して勉強すべきか正しく照準を定めるまでの過程をお伝えした。筆者のような勘違いを起こさず最初から正しい戦略に時間を投資できた人は幸いであるが、そうでない人を一人でも減らすことができればこの間抜けな失敗談をシェアする甲斐もあるということになる。次回は「後編」と題して、実際に点数を伸ばして目標に届くまでの過程を記していきたい。
現況アップデート
最近の主なニュースの一つはNSWへの留学生入国についてワクチン接種を条件に隔離不要と改めて確認されたことだろう。この点は国籍者・永住者の帰国と同等の条件となったが、一方で連邦政府側が課す250人の上限は変わっておらず、ネット上ではこれに何の意味があるのかという厳しい見方が多くみられるように思う。というのも、チャーター便などの上限付きの入国ではなく商用便での自由な入国とセットにして初めて隔離撤廃の意味があるからだ。前回のモリソン首相の動きではっきりしているように、NSW州政府がどんどん国境正常化に向けてオープンしていきたい思惑を、連邦政府側が入国条件などの権限をいじり回して潰している。4段階計画で政府が約束したいくつものプランのうち、対内政策と対外政策とでいよいよコミットメントの差が顕著になってきている。オーストラリア全体の話、そして留学生全体の話としてみたとき、多くの入国不能状態の留学生が差別だと声を上げているのも無理からぬ話に思える。
一方で、日本居住の日本国籍者である私たち家族にとってはひときわ明るい光が見えてきた。4段階計画によれば、完全な国境正常化の前に留学生が渡豪できる方法は「留学生の入国上限の拡充」と「トラベルバブルによる往来再開」の二通りだったのだが、韓国・日本とのトラベルバブルに関してモリソン首相から発言があったのだ。この件に関してメディアでは年内にトラベルバブル確定かのような記事さえみられるが、この一年近く状況をウォッチしてきた感覚だとどうしても慎重に受け止めてしまう。冷静に発言のソースだけを読んでどのような印象を受けるか、ここで個人的な見方を記したい。
発言は11月10日付、ビクトリア州のChamber of Commerce and Industory(商工会議所)での質疑応答でのやりとりだ。このnoteを読んでくださる奇特な方々(特に筆者同様に国境再開の情報を待ちわびている方々)は、きっと原文の微妙なニュアンスをご自身で読みたいだろうから、原文引用と拙訳を両方掲載することにする。
豪州の政治経済を深くは知らないが、「商工会議所」という日本語から受ける印象より、立場的には経団連のような強いスタンスで首相とやりとりしているようだ。留学生と同様に専門職移住者の入国について後手後手に回ってきた痛いところを質疑でつつかれ、いい返事ができないでしどろもどろしている首相の脳裏にとっさに浮かんだ材料がトラベルバブルだったのではなかろうかと思わせる流れだ。専門職移住者の話とトラベルバブルの話とは本来的には別物だと思うのだが、政府の前向きな取り組みを強調しようとしてポロっと韓国・日本という国名を出したのかな、と文章だけ読んでいると感じてしまう。前後でやたら関係ない話を繰り広げている点もその印象を強める。いずれにしてもさすがに口から出まかせでこれら二か国を名指ししたわけではなかろうから、情報としては吉報と言える。何より朗報なのは、その続きの一文「年末までにはさらに多くの国々と……」という部分だ。こう言うからには、普通に考えれば、韓国・日本とのトラベルバブルは年末以前に実現する見通しと捉えることができる。どうせ足元を見ているのであろう留学生や教育機関サイドからの要求ではなく、ビジネスセクターからの追及に対して発した言葉だという点もまたプラス要因に感じる。
願わくは、このトラベルバブルが遅くとも12月中旬の日豪間カンタス航空再開に合わせて開始されてほしいものだ。日本にも大勢オーストラリア国籍者がいて(2020年末で9,758名)、英国や米国ほどの規模ではないようだが彼らの一部も帰還不能の状態に陥っており、オーストラリアに帰れる日を待ちわびている。トラベルバブルによって商用便の運航が正常化すれば彼らもまともな値段のチケットで直前キャンセルを恐れずようやく帰国できることだろう。私たち家族もそこでようやく、めちゃくちゃになった家族留学を本来の軌道に戻せるかもしれない。
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