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『ゴールデンカムイ』を読んで思うこと

初めてのちゃんとした投稿はどうしようかなと考えてみて、まずはnoteに慣れるためにも、あまり深く考えずに今読んでいる作品の感想を思うままに並べてみようかなと思いました。ではいきます!

予備知識ゼロで最近スタート

「ヤングジャンプのアプリをダウンロードするとゴールデンカムイが期間限定で全話無料で読める!」という情報を偶然知りまして。以前本屋さんで平積みになっていたけれど内容が全く見られなかったので、どんな話なんだろうと気になっていたのです。
空き時間にがんばって読み、ついに今週アップ予定の最終話で完走できそう。Amazon primeのドラマでも「最終シーズンは有料」とかよくあるパターンなのに、ずいぶん太っ腹なことに感謝感謝。

『ゴールデンカムイ』- 著者:野田サトルさん

ここが良かった

アイヌ文化へのリスペクトが終始感じられ、相当綿密な取材が成されたのであろう製作過程が想像できたこと。
私にとっては、これが読み進めて来れた唯一の理由でした。アイヌの歴史や文化を詳細まで知る機会はこれまでほとんど無かったので、まるで本当にコタンに滞在しているかのような臨場感と、物語の中で随所に紹介されるアイヌ的思想や動植物への畏敬の念、ひとつひとつの装飾品や儀式の意味など、とても興味深く知ることができて良かった。(その他のパートは描写が色々とエグいので辛かったですごめんなさいね。。。)

物語自体はフィクションながら、うまい塩梅で史実を織り交ぜて描いているため、当時のアイヌの人たちに実際はどんな出来事がありどんな影響を及ぼしたのかは想像するしかない。でも、独善的に検討外れな想像にならないためにも、この作品では触れられなかったようなアイヌの様々な歴史や生活や考え方を、史実に基づいた資料や歴史書で学んでみたいなと思うようになった。今度図書館に行った時は探してみよう。

私たちは、アイヌの何を知っている?

アイヌもしくはアイヌのルーツを持つ方たちは、今も日本、特に道内に蔓延る差別意識を感じているという話をルーツのある友人からきいた。昔のアパルトヘイトのような、例えば「和人専用席」「アイヌ専用トイレ」みたいなあからさまな差別はないであろう現在、どういった差別意識を感じるのかというと…?
「アイヌなんかいるの?」という、「いないものとされる」ネガティブな空気。いやむしろ、まるで空気のように扱われている、という、ネガティブどころか認知されていない存在、という何とも言えない空気感があるそう。

何を隠そう、もうそこそこ長い付き合いの友人にルーツがあることも、今回『ゴールデンカムイ』の話題をきっかけに初めて教えてもらった。「いまは存在しないもの」「よくわからない独自の生活をしていたもの」そんな認識を纏う空気感が、今の若い人でも「ルーツはわざわざ人に話すものではない」という気持ちにさせてしまっているケースがよくあるようだ。私もこれまで無意識にその一端を担っていたのかも知れない。

マジョリティーがマイノリティーとできること第一歩

知ること。知ろうとすること。まずはとにかくそこだ。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』- 著者 : ブレイディみかこさん

でも出てきた ”empathy” すなわち「他人の靴を履いてみる」こと。
それを試行錯誤でもいいからやっていくところから全て始まるんじゃなかろうか。
誰だって、何かのカテゴリーにおいてはマジョリティーの要素もマイノリティーの要素も持ち合わせている。性別、国籍、人種、身長、体重、言語、体の不調、好きな映画のジャンル、、、まずは小さなことからでも良い。相手の立場に立ってみるには、何かの分野でマジョリティーである人は、自分のマイノリティー分野を思いながら考え始めることが早道かも知れないと最近思う。

日本の民族的構成においては恐らく圧倒的マジョリティーに属する私は、『ゴールデンカムイ』の読後こんなことを思い、1回目の投稿をしてみようと思います。

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