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『EAST SIDE VOICES』を聴こう、語ろう 〈その1:概要編〉

私が友人に"representation(表象)"という言葉の意味と、その大切さを教えてもらった頃、とってもタイムリーにこの本が出版されました。主にイギリスに住む18名のアジア系著名人が、それぞれのアイデンティティー形成に関わる自身の様々な経験や思いを綴ったエッセイ集です。執筆者の一員でもある、香港系イギリス人女優のGemma Chan(ジェンマ・チャン)さんが本書を紹介していたのを見て興味を持ち、読んでみました。

『EAST SIDE VOICES』- 編者・著者:Helena Leeさん

この本が出版された背景

編者のHelena Lee(ヘレナ・リー)さんによるIntroductionと第1章で始まるこの本。そこに、この本の出版への想いが凝縮されていました。

ほんの数年前まで、欧米社会の映画やドラマなどの物語に出てくるアジア人と言えば、ステレオタイプでレイシズムに塗れたキャラクター設定ばかりでした。

例えば。『Once Upon a Time in Hollywood(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)』では、ブルース・リーが何とやたらにベラベラ喋りながら奇妙な動きをする演出で白人男性に打ちのめされ、しかもそこが笑いポイントのシーンだったり。(これ2019年の作品ですよ。。。)

『Pitch Perfect(ピッチ・パーフェクト)』シリーズでは、奇妙な行動でブツブツ呟くおかしなアジア人の女の子が、明らかに嘲笑の対象として描かれていたり。

Helenaさんは他にも実例を複数挙げていますが、古典的な映画からずっと、こういったケースは掃いて捨てるほどあります。
アジア系が主役や重要な役どころを担うことはまずあり得ず、そもそも出演することすら少なかった。比較的まともな役があったとしても、極端な中国語訛りのある英語を要求されたり、コンピューターオタクだったり、というテンプレ的なものばかり。

実際は一言で「アジア系」と言っても、それぞれに多種多様な文化、思想、生き方があるのに、テレビでも映画でも本でもメジャーな媒体に本物の"representation(表象)"が存在しないことで、そのメジャー文化にとっては引っくるめて「無いもの」「取るに足らないもの」のようにされてしまっている。

Helenaさんはそういった状況を危惧し、ご自身も含めイギリスで生きるアジア系の人たちの声を集め、様々なアイデンティティーを持つ人たちの実際、故意や無意識下での差別、色々な葛藤を自身でも語り、他の著者たちにも語ってもらいました。そして、その存在を表明するべく本にし、世に出したのです。

コロナ禍で急激に変化した様々な境遇

ところが、当初はそんなコンセプトで作られ始めたこの本、制作途中でいきなりコロナ禍がやってきます。多くの著者が、このコロナ禍についても言及することに、というより、せざるを得ないことになりました。

I wasn't the only one experiencing this sudden shift in temperature. According to the Metropolitan Police, there was a 179 per cent increase in hate crimes towards East and Southeast Asian people in London around the start of the first UK lockdown compared to the previous year.

"Vector of Disease" by Zing Tsjeng, P.144-145

「この急激な(差別の)温度感の変化を経験したのは私だけではありませんでした。 ロンドン警視庁によれば、イギリスで最初のロックダウンが始まった頃において、東・東南アジアの人々に対するロンドンでのヘイトクライムの発生率は、前年と比較して179%増加しました。」

最も劇的な変化は、これでしょう。Zingさんの言うように、それまで嘲笑や軽視などの差別的待遇を受けた事のある人たちは多くとも(本書のほかの章にもあるように、「目を引っ張って細めて(slant-eyed gesture)バカにされた」とか「白人の親族に自身の絵で肌色を白く"修正"された」とか、それだけで十分大問題なのに)、差別の内容が、傷害や殺人などより直接的に身の危険を感じるような、攻撃性の高いものに一部急激にシフトしてしまったのです。
残念ながら現在も、欧米諸国でアジア人がヘイトクライムに遭っているというニュースが報道されることが、まだまだ珍しくありません。

影響はほかにも。

入国制限のために高齢の日本のおばあちゃんに突然会えなくなってしまったNaomi Shimadaさんのように、国際的・物理的な断絶も生じてしまいました。

イギリスではナースの25%が移民で、フィリピン系がその多くを占めるそうですが、同じくRomalyn Anteさんもイギリスに住む人たちの健康を守るため奮闘します。コロナ流行開始当時、ほんの数ヶ月の間に50名以上のフィリピン系医療従事者が亡くなるというとんでもない状況の中、医療現場は世界的なナース不足でそういった人たちに依存しているにも関わらず「”本国より高給な賃金”のためにイギリスにやってきている」と書かれた新聞記事を、Romalynさんは複雑な思いで眺めていました。

他文化や複数のルーツを持って生きる人たちは、ただでさえ成長の過程で多種多様なアイデンティティ・クライシスを感じたり葛藤する機会が多いのに、否が応でも、国籍って何だろう、人種って何だろう、と悩まざるを得ない要件が一気に増えたことが綴られていました。

マイノリティー要素は「アジア系」だけじゃない

18人の著者の皆さんやその近しい人たちの多くは、ただ「アジア系」というだけではありません。
セクシャル・マイノリティー。元難民。女性。などなど。
人種以外のカテゴリーにおけるマイノリティー要素を持った著者たちも、それぞれの経験、それぞれの想いを記していました。
夫婦別姓のこととか。多重国籍のこととか。同性婚のこととか。帰化のこととか。国によって制度も市民感情も異なる事象に翻弄される当事者の想いも、詳細にわたって綴られていました。

マイノリティーが声を上げる目的は、マジョリティーへの攻撃ではない

暴力や暴言、嘲笑など故意のものはもちろんあからさまな差別です。でも、当事者でないと気付くことすらできないケースも実は多々あります。例えば、「あなたは○○人だけど、普通の○○人と違って話しやすいわ!」と言われるとか。見た目だけで「あなたはどこから来たの?オリジナルの生まれはどこ?」と何十年住んでいても現地で生まれ育っていても質問され続けるとか。「アジア系女性は従順だからね〜」と認識され続けるとか。
本文では単語そのものはあまり出てこなかったけれど、いわゆる悪気のない”microaggression(小さな攻撃性)”の日常的な体験を書いている著者も大勢いました。

とは言え、大多数の一般市民は、敢えて人を差別しよう!という考えは持っておらず、基本的に善良なはず。だからこそ、本書のような本は、弱い立場の人たちの助けや心の支えに繋がるだけでなく、マジョリティーにとっての気付きにもなります。「何気ない一言で、こんな気持ちになっている人が実はたくさんいるんだ」とまずは自覚できるだけでも、世界はもっと優しくなれる、はず。

編者のHelena Leeさんは、Introductionでこう結んでいます。

The anthology is by no means meant to be exhaustive - I'm aware that there are ethnicities and subjects that I've not been able to include. There are many more experiences that need to be brought to light, and stories that need to be told. But my hope is that this book is the beginning of a conversation that will only grow bigger, and will enrich your lives as much as it has so far mine.

"Introduction" by Helena Lee P.7

「この作品集は、決して網羅的ではありません。まだまだたくさんの明らかにされるべき経験や、語られるべき物語があります。ここで全てを網羅することはできないけれど、この本が、あなたの人生をより豊かにする会話のきっかけになりますように願っています。」
意訳するとこんな感じでしょうか。

日本に住む人にも、海外に住む人にも

noteの仕様や色んな投稿を見るに、恐らく日本語を母語とする人が主に使っていると思いますが、どうでしょうか。今まさに海外在住で、この著者たちのようにアジア系マイノリティー(アジア人はアジア圏内ならマジョリティーだけど、文化はまたそれぞれですよね)として暮らしている人もいらっしゃると思います。そういった方にはもちろん、オススメです。また違った感想を持たれることもきっとあるでしょう。

でもこれ、日本国内に住む日本の方にも、誰にでもオススメです。なぜならこの本ではイギリスが舞台だけれど、日本でも類似のケースはたくさん見つけられるはずだからです。本書の「イギリス」のところを「日本」に、「アジア系」のところを他の様々なカテゴリーに入れ替えてみると、色々見えてくるものがあると思います。


また長くなりました!読んでくれた方ありがとうございます。
ちなみに…わからない単語はすっ飛ばしながら読み通したので、実は、読解が微妙なところ、多数です(照)。「あれ、ここ解釈違うよ〜!」なんてことがあれば、ご指摘頂けたら嬉しいです。

このエッセイを書かれた著者の皆さんは、私は今回初めて知った方ばかりでした。今度まとめて紹介してみようかなと構想中です。


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