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ほのぼの生きる  010_20230110

親友との時間

現在、実家に帰省中。
12月末に退職し自由な時間を得た私が最初にしたことは2週間の帰省。
仕事人間の私は、数年前から転職を計画し、ゆっくりと自分と向き合う時間をつくった。ちなみに心身ともに健康である。

1月5日に帰省し、早くも6日目を迎える。早い!早すぎる!!
3連休は妹と弟の家族も合流し10人で大騒ぎだった。
午後、嵐のようにそれぞれの家に帰っていったあと、大きな家にぽつんと残る両親と私の3人。しばらく放心状態。両親は疲労困憊で、早く休ませてあげたかった。
タイミングよく親友から連絡が入り「今日は店が休みだから飯食いに行こう!」と言う。すぐにOK!
夜は幼馴染との時間を楽しんだ。

この親友、noteの昔の記事に出てきた男。中学3年生の時に同じクラスになった不良少年である。当時学級委員だった私はこの不良少年から「しきり」だの「ヒトラー」だの変なあだ名をつけられ、ぶつかった。
なんとなく学級委員と不良少年という組み合わせは、1年間全く接点がないか、「いじめ」につながりそうな構図になりそうだが、あいにくこの学級委員は真面目ではなかったし、この不良少年は優しかったので、互いの「正義感」という価値観で妙に気が合い、一緒にクラスをまとめることとなった。

この不良少年はこの地域で有名な中華料理店の息子で、みんな家族連れで食べに行っていたし、もしかしたら学校の勉強が嫌いという理由で浮いていただけかもしれない。悪いこと?本人は相当やんちゃをしたと言っているから悪いことはしたかもしれない。でもどこか(精神的に)大人びた雰囲気が私の興味を引いた。こいつは悪い奴ではない。直感だった。

勉強が嫌いな彼は高校1年で中退してしまった。そこで、彼の学歴は中卒となるわけだが、最後の学校は彼にとって大事な思い出であり、その最後のクラスや中学の友だちは大切なものになったのであろう。その中学校の学年責任者となった私は「同窓会」の主催者となり、彼の幼馴染の一人となった。
進学校に進学した私と高校を中退してあちこちさまよっていた彼とどうやって接点を維持していていたかの記憶がない(昨日も互いに確認したがやはりあいまいだ)

彼は物心ついた時から包丁を握り、料理が好きで、料理だけは誰にも負けないという自負があった。やんちゃな不良少年が大きな料理店を構えるまでのストーリーは容易に想像がつく。「料理」という「自尊心」が彼を立派な大人に導いた。いくらふらふらと放浪しても食うには困らなかった。あちこち店を探して会いに行けば、彼は厨房にたち美味しい料理を提供してくれた。
そんなこんなで「つくる」「食べる」の関係でここまで接点を維持してきたのであろう。

3年ぶりにあった私たちは彼の現在の行きつけのこ洒落た居酒屋に行き、3時間ほど思い出話に花を咲かせた。店長に「こいつ、俺の親友と呼べる4人のうちの1人」と紹介してくれた。
そうそう!彼は(想像どおり?)めっちゃ男前である。昔から相当モテた。どれだけの女を泣かせてきたのであろう。常に綺麗なお姉さんが隣にいた。だから普通の女を連れて店に入ってきたものだから店主が???となったようだ。「こいつ、俺が唯一手を出さなかった女!」「どもー、手を出してもらえなかった女です!」と漫才が始まった。

酒が飲めない私はカルピスウォーターを3杯も飲んで笑われながら、美味しい肴をたくさんご馳走になった。途中、心配して電話をかけてきた母(私もう50前!)とも電話を代わり「おかあちゃん、久しぶり!うぉんのすけを少しの間借りてますわ。黒豆と干し柿、ごちそうさん。おかあちゃんが作った黒豆はやっぱりおいしいわ」と母も電話で参加した。
「また帰ってきたら電話せーや」「おう!」
そういって束の間の親友との時間を楽しんだ。これぞ帰省!あーやっぱいいぞ地元!

ちなみに・・・
夫にもちゃんと紹介済である。毎年、果物や鮮魚のやりとりをしておいしくいただいている。
4人の親友と呼ばれているあとの3人であるが、2人は夫婦(私はこの夫婦の結婚式の司会を引き受けた)。残念ながら今回はインフルエンザのため欠席となり会えなかった。もう1人は現在音信不通ということだが、仕事を頑張ってるだろうとのこと。店という拠点があるため、そのうち仕事が落ち着いたら寄ってくれるに違いないと心配していない様子。そして私はまた数年後に会うことになるだろう。
親友(幼馴染)、ありがたい存在。


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