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明日の種をまく 065_20231114

親の振り見て我が振り直せ

実家の両親と過ごした濃厚な4日間の余韻がまだ残っている。
生活は元に戻ったが、気持ちだけが置いてけぼりとなっている。

noteの記事も切り替えようかどうか迷ったが、もう1日だけお付き合いいただきたい。

うちの両親は、他人さんが見ればどういうものか、私は子どもだから分からない。
外に出して恥ずかしいような恥ずかしくないような。

こういう言い方をするとまた、うちの母から「お前は親をなんと心得るっ!」と怒りの言葉が飛んできそうである。

うちの母は他人のことをとやかく言う人である。
あの人のここはどうだ、とか、この人のここはどうだ、とか。
決して、悪口ばかりを言う人ではない。
賞賛の言葉も多いクチである。
とにかく、よくしゃべる。
人をたくさん観察し(分析まではしていないように思う)、いろいろと評価する。

私は・・・似ているような、似ていないような。

父は全く正反対の性格で、他人のことに全く関心を示さないので、記憶もしないし、話すこともない。父が他人さんの悪口を言っているところを聞いたことがない。

「他人」をあえて「他人さん」と書いているのは、方言だと捉えていただいて構わない。なんだろ、実家の両親とたくさん話をしたせいか、標準語を忘れ、実家の方言が強くなってしまった。もちろん書く記事も雰囲気を出したいので、方言っぽい文章になってしまっている。お許しいただきたい。

文章がもともと下手なのに、方言を使い、ますます日本語を正しく使えていない

結局、私は父と母のハーフ&ハーフなので、どれだけ母似であるとは言っても、母よりも多少薄めの性格になるのである。

私は夫の家の人間なので、実家の両親と言えどもお客さん。私は迎え入れる方だった。
とは言え、夫や義母よりも両親のことを熟知している私は、両親が義母と夫にどう振る舞うのかが気が気でなかった。
「頼むよ~、とおちゃん、かあちゃん、塩梅よくやってくれよ~。くれぐれも粗相のないように~」

うちの母は小っちゃくて、ちょこちょこしているから、小さい頃から「ちょんこ」というあだ名をつけられていたようだ。
誰にでもすぐに声をかけ、お店の人ともすぐに仲良くなってしまう。人との距離が異常に近い。

そのせいか、隣にいる人に声をかけると案外、奇妙な縁でつながっているみたいなことが次々に起こり、世間は狭いものね~となる。
初めて会った人がどこかしら必然的にご縁があったかもと思わせてしまう母は、周囲をぱぁっと明るくさせ、たちまちマイワールドに人を引き込んでしまう、そんな魅力をもっているのだ。

父はそんな母を陰でひっそりと支えながら、決して目立つことなく、いい仕事をする。

私はこの両親からどの部分をいただいたのだろう。
いいところ、わるいところ。

両親を見ていれば、自ずと自分とかぶる部分を探してしまう。
これだけは絶対に真似たくない部分も出てくる。

若い頃はそれを「反抗」と呼んだのであろう。
今は両親を非難する気持ちは薄れてきた。
自分も歳をとり、自分を変えることが難しくなってきたからだ。

昔はいろんな人を見て、自分と比較し、真似たり、修正したりしながら、自分という人格をつくってきた。
人からどう見られているか、を気にしていた時代もあった。
今は「これが自分」と堂々と生きている。それはいいことでもあるが、一方で「悪いところも直せない、気づけない」成長を止めたということでもある。

「こういうところ直した方がいいよ」と言ってくれる人もいなくなってきた。
年下には注意ができても、私自身は誰からも注意を受ける環境にない。もう若くないということだ。仮にアドバイスをいただくことがあっても素直に受け入れられないかもしれない。
あー頑固人間!!

結局、自分が自分の悪いところに気がつけるのは、親と兄弟しかないような気がしてきた。
自分と似ている人たち。
その人たちを見て、気づくことがあれば、直したい。
いいと思えば、喜びたい。

親に感謝だな。
結局「親とはありがたい存在である」ということだ。
私は夫と義母に両親を堂々と自慢した。誇らしかった。
いつまでも自慢の両親でいてほしい。私の見本でいてほしい。
私もできるだけ両親の良い部分を自分の中にこのまま残していきたいと思っている。

「親の言うことと茄子の花は千に一つも仇はない」
とおちゃん、かあちゃん、長生きしてな。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。



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