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もはや決別に近いもの

父親に積年の想いを伝えてみた。

父親のせいでいじめにあったことがあること、最近父親の生活音や物言いで家には居づらいこと、父親とはもっとしっかり話をしたいということ。

父はただ、

「わしは何も悪いことをしていない」

「お前の言っていることはわからない。」

「親に何偉そうなこと言っている。」

と、私にキレた。


私の祖父(母方の祖父)は、話をよく聞いてくれる人で、私が上記のことで悩んでいると「それはつらいな」、「でもしっかり父親と話するんだよ。」と諭してくれた。

祖父と父も仲が良く、私の嫌いな父にも理解のある祖父だった。

そんな祖父がいる場で話をすれば、私の話も少しは聞いてくれだろうと思っていたが、甘かった。

お酒の場であったが、そんなことはおそらく問題ではなかった。父は元から自分は何も悪くないと常に言う人だった。

父は亡くなった自分の父のことをいまだに嫌っている。そんな父のような人間にはならないともよく言う。しかし上記の言葉は私も聞いたことのある祖父(父方の祖父)と同じ言葉だった。

父は自分の父と親子関係をうまく築けなかったと言う。そんな父はだれを手本に父親になろうとしたのだろう。

*****

次の日、私が落涙しながら伝えた想いには、だれも触れなかった。

テレビを見ながら笑いこける父を見て、食べた昼食をもどしそうになった。

「何が辛かったのか教えてくれ。」

そう言われてることを期待したが、そんな言葉はあり得なかった。わかり切っていた。


母が私を産んで初めて父親になって、父親になった瞬間から私の父親であることからは逃れられないのに。

自分が父親とうまく関係を築くことができなかったのに、父からは自分の父親のようにはなるまいという意思、行動が見られない。

父は、母が私を産んだ瞬間から完璧な父になったつもりでいるのだろう。嫌だけどそういうプライドが高く、高飛車な父であることはよくわかっている。


母と祖父(母方の祖父)に告げた。

「もうあの家にはいられない。精神衛生上良くない」と。

2人は静かによく頑張ったと言った。

もはや決別に近いものかも知れない。祖父(母方の祖父)がある場所が最後の話し合いの場であったことは疑いようもない。


父が自分の父とそうだったように。

私も父を嫌うしかない道しか残されていないのが、とてつもなく歯痒い。