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「価値の優先順位」をつけることの重要性。



問題に振り回される。
情報に振り回される。
環境に振り回される。



ザコスケほど、外部要因によってメンタルがゆらぎまくり
疲弊し、精神をすり減らす。




そう。



かつての我である。




"ザコスケ"と表現したが、もっと正確にいうならば
「いい人」のことだ。




他人のいろんな価値観を受け入れられる
「いい人」ほどメンタルが乱れやすい。




なぜなら「いい人」ほど他人の価値観を否定しないよう
尊重し過ぎてしまうからだ。

「あんな生き方がしたい」
「あいつの生き方もいいな」
「やっぱ大企業の福利厚生はいい」
「個人で稼いでるやつはかっこいいな」
「家族との時間って最高」
「大切にすべきは家族」
「恋人を大切にしたい」
「挑戦してる人間はかっこいい」
「安定の中にもドラマはある」
「結局は金が大事」
「お金よりも大切なことがある」


どの意見も尊重できる。



しかし、多様な意見を価値観を尊重しすぎてしまうあまり
メンタルの問題が生じてしまうのだ。




なぜ多様な価値観を尊重した結果
メンタルが疲弊するのだろうか?





問題が生じた時に、起こっていることは何か?
物事を注意深く観察し分解すると




起こっている問題のほとんどは
「価値観と価値観」の衝突である。




例えば。

会社から転勤を命じられた。
この会社でキャリアを積み、なりたい自分の姿がある。
一方で、転勤となると大切な恋人と遠距離になってしまう。




「理想の自分」「キャリア」vs「恋人」との対立構造。


自身の尊敬するメンターからマルチの誘いを受ける。「友人たちを片っ端から誘うことで数十万円の不労所得が見込める」とのこと。一緒にマルチをすることでメンターとの関係も厚くなり、経済的にも豊かになる可能性がある一方で大切な友人との縁も切れてしまうかもしれない。




「経済的自由」「メンター」vs「友人」

複数の女の子と関係を持っている。夢を追う自分のために、お金を工面してくれるという。そのためには風俗で働くこともいとわないという女性も。




「夢」「金」「自己実現」vs「道徳・倫理」



全ては価値観と価値観の対立なのである。



価値の優先順位が明確な人間であれば
葛藤に精神を削られることなく即決即断ができる。



そして価値観の優先順位に従って行った決断は
後悔もしなければメンタルも病むこともない。




(あれを取ったらこれが無くなる・・・)
(これを捨てたらあれが得られる・・・)
(どうしよう・・・何が正解なんだ・・・)




この葛藤により人の精神はジリジリと消耗していく。
答えの出ない問いが脳を占拠する。



全てのことに同じように価値を置くから人は悩むのだ。
心が消耗していくのだ。



メンタルが動じないための〇〇


物事に動じないためのメンタルに必要なこと。





メンタルが動じないための〇〇




それは

価値の優先順位

である。



価値の優先順位があれば人は迷わない。
優先順位がないから人生に疲弊する。







優先順位をつけない姿勢というのは
「全てが欲しいです」というあまりにも強欲な姿勢なのだ。




「あれもこれも素晴らしい!」
「あれもこれも手に入れたい!!」



他人の価値観を幅広く受け入れられると思われていた「いい人」は実は、全ての価値観を優先する「強欲な人」なのだ。



価値の優先順位をつけれない人間は必ず滅ぶ。
困難が差し迫った際に、何も選ぶことができない。
決断することができない。できたとしても遅すぎる判断になるだろう。
そして下した判断によって捨てた未来を永遠と後悔しながら過ごすことになる。



進撃の巨人より引用




価値観に優先順位をつけると見える世界



自分の大切にする価値観に優先順位をつけると
問題が発生した際にメンタルが動じなくなる。




自分がどういう生き方がしたいか?
己の「かっこいい」という価値観が明確で
「男としてのかっこよさ」が価値の優先順位で上位に来るのであれば
不純なことに心を動かされることはない。


マルチの勧誘など、メンターが誰だろうと秒で断るべきだし
女に貢がせるなんていう生き方は選びたくない



倫理と道徳と資本主義の狭間で
精神をすり減らす必要もなくなる。


我の過去




かつて我が独立を経験した時
最もメンタルが疲弊した。



「安定」「会社の名前」「分厚い福利厚生」
これらを手放して個人で生きる道を選んだ。



20代前半までは「安定」という価値観に必死に抵抗していた。
しかし歳を重ねるにつれ"現実"を見るようになり、今の自分を正当するかの如くあれだけ嫌っていた「安定」に対しても価値を置くようになってしまった。




それが良くも悪くも、



いまだに大切にしている
「挑戦」という価値観とバッティングしてしまう。



一度決めた「独立」の道であったが
経済的に不安になったり、体調不良に陥ったりすると
安定した労働にまた心のよりどころを求めてしまう瞬間が何度もあった。



腹を括ったはずなのにだ。




思わず求人サイトで仕事を探しそうになる。





それは「価値の序列」が明確になっておらず
仕事を辞めた後でさえも「安定」と「挑戦」の両方に価値を置いていたからだ。




独立を選んだ時点で安定に中指立てて
「クソ喰らえ。俺は一生労働はしない」と吐き捨てるべきだったのだ。




中途半端にいい顔をして、安定を選ぶ人間に寄り添い過ぎた結果、
安定と挑戦の狭間でメンタルを疲弊させてしまうのだった。




「挑戦・自由・自己実現」



価値観の優先度を上げるのであれば
当然ながら反対の概念である「安定」の価値観は捨てなければならない。




大切だからもう一度言う。

捨てなければならない



捨てることで自由になれる。
今まで価値に縛られていたことに気づく。



捨てたことによって我はもう歩いて来た道を振り返ることは無くなった。
自分のやりたいことで、やりたい事業で金を稼ぎ、なりたい自分になるために時間を使うことを決め切れた。



ちなみにホリエモンは「家族」という価値観を完全に消している。
「家族」を持つことを全く良く思っていない。


「家族」という価値を人生から切り離したことにより、あそこまで自分のやりたいことを追求できているといえるだろう。

(我は家族を大切にしたい)


その時期だけでも捨てろ




仕事を優先する。
恋人を優先する。
友人を優先する。
家族を優先する。
自分を優先する。


何度も言うが優先順位をつけろ。


それぞれに優先順位をつけることができないから
SNSで見るあらゆる光景にメンタルが疲弊する。



「今は仕事を優先する!!」



と宣言して確固たる優先順位を設けて、その価値観に従っていれば
友人や家族と海外旅行に行くきらびやかな投稿に注意の多くを持っていかれることはなくなる。





世間が夏休みの中、真夏に汗を流して仕事をしているときに
SNSで水着美女と海で戯れているような光景を見ても


「今の俺の優先順位ではない」


と、それらの投稿を一蹴できてしまう。




また反対に、これらの優先順位なしに中途半端に友人や恋人と余暇を楽しむから
「仕事で成果を上げました!!出世しました!給料上がりました!!」
なんていうSNSの承認欲求投稿に過剰に反応し、休暇中に心臓を突き刺されてしまうのだ。たとえ目の前が青く輝く透明な海だとしても。



休む時は全力で休むと決める。
「仕事よりも友人」「仕事よりも恋人」とその期間だけでもいいから
優先順位を変更し、必要のない価値観はあえて捨てることで精神は健全に保たれる。

まとめ

進撃の巨人より引用

画像の格言の通りである。

「健康」「経済」「人間関係」「仕事」「キャリア」
「趣味」「自己実現」「恋愛」「家族」

人生において大切な価値観は多数同時に存在するが
我々は「優先順位」を決めなければならない。

価値の優先順位が明確であるからこそ
何が起きても動じずにやるべきことに対処することができる。

大きな決断を迫られたとしても、
何を捨てるかを素早く判断し、後ろを振り返らずに
歩むべき道に自信を持って足を踏み出すことができる。


もちろん必ず1つを捨てろと言っているわけではない。
同時に2つの大切な価値観を守ることだってできる。

(副業で収入を上げれば遠距離の彼女とも頻繁に会うこともできるだろう。)


ただ2つの価値を同時に満たそうなんていう強欲には代償が伴う。
圧倒的努力という代償が。




飲み会も断って机に向かう勉強が必要かもしれない。



我にもその時期があった。そしてこれからもある。


なぜなら大切にしたい価値観が複数同時にあるからだ。


優先順位はつけながらも欲しいものは手にいれる。


その方法を必死に模索し、不可能を可能にさせる。


ともに精進しようぞ🐺



読んでくれてありがとう。

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