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美しく生きる為に、美しさを定義する。

美しくありたいと願う心は、誰にでもあると思う。

それは容姿であったり、心の在り方であったり。
人それぞれ目指すものは違えど、同じ"美しい"という概念で語られる。

では、美しいとはどういった状態なのだろう?
これまた人それぞれ解釈が分かれる問いである。

容姿を例に挙げると、
ある人は若い人の整った容姿を美しいと言い、
ある人は皺の増えた老人の顔を美しいと言う。
ある人は背の高い人を美しいと思い、
ある人は小さな子供を美しいと思う。

観測する人によって解釈が分かれ、大昔から未だ定説は見つかっていない。

では、美しく生きるにはどうすれば良いのか?
 
簡単な話である。
自分の中に基準を作り、それに照らして判断すれば良い。

思考、言葉、行動など自らが意識してコントロールできることに対しては、明確な基準を設ける。
それに照らして自らの行いを観察して判断する。
もし基準から逸脱する様なら修正し、合致するなら同じ反応ができる様覚えておく。

その様こそが哲学であり美学たりえる。

しかし、その基準はどの様にして作るのかが問題となる。
哲学においてその始まりの頃から、延々と繰り返し問われて来た難問である。
多くの偉人たちがこの難問に対して、さまざまな解を提示している。
しかし、時代の変遷や人々の生活環境の変化により定説化出来なかったのである。

ではどうするか?
自らが感じた美醜の感覚を洗練し、最も深い感情を剥き出しにする。
無駄なものは削ぎ、装飾を捨て、より少ない言葉で表す。
そこに残った物こそ、自分だけの美たりえるのだ。


他人の意見など気にせずに、これこそ自分だけの美であると言えるものを発見して欲しい。

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