かんがえている
電車に乗っているとき、煙草を吸っているとき、珈琲を飲んでいるとき、
職場で、家で、喫茶店で、
作業をしながら、人と話しながら、
考える。
悩むのではなく、考える。
これまでも、ずっと考えてきた。
自分の選択は正しかったか。
目の前に転がっている大量の選択肢の中に、見逃している宝石があるのではないか。
もちろん、自分が下した決断に間違いはない。自信がある。
僕には決断する能力があるのだと、そう信じる。
無恥だと、不遜だと言われようと、これだけは揺るがない。
決断した上で責任を取る覚悟がある。
しかし、言い訳をしてBESTな選択肢を取れていないのではないかという疑問が頭から離れない。
だから、正しくはない。
自分が納得できていないものが、自分にとって正しい訳がない。
ネガティブになっているのではない。
「事実」を見て見ぬふりはできないのだ。
自らの行いを理屈っぽく正当化して、自分に言い聞かせているだけではないか?
自分が成長していないという事を環境にかこつけて、逃げ回っているだけではないか?
「事実」が現実を突き付けてくる。
悩みを打ち明け、相談に乗ってもらおうと、不満を解消してもらおうとする人をよく見る。
人は、思ったより優しいので、相談をすれば真摯に答えてくれることが多い。
皆、知識や経験を元にアドバイスをしてくれる。新たな知見も得られる。
しかし、そこに答えはない。今までそれで納得できた事はない。
馬鹿みたいな話だが、漫画よろしく自分の中にしか答えはない。
考えて考えた結果、再び、過去の自分を正当化させるかの如く動き出す。
またひとつ、偏った方向へと自ら足を進める。
自覚はあるが止められない。誰も止めてくれない。
本当の意味で自分の過ちに気づく時までは、歩み続けるしかないのかも知れない。