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対話ってなんだ?

病気が治る対話があることを知って欲しい②

このガーゲンの本には「対話の力ー明日を創る試み」とあります。

よく、会話と対話の違いが話題になる時があります。周りには色々な対話があって、どれも間違いではなく、正解もないのかもしれません。

そんな中、フィンランドには「統合失調症」が治る「対話」があるといいます。「オープンダイアローグ」と呼ばれ、治るのは本当のようです。様々な対話の中にも「病気が治る」対話があるということです。

そんな対話を私達の普段の生活の中、仕事の中の会話でも使うことが出来たら「明日を創る試み」はどのような世界を魅せてくれるでしょう。

対話を考えていくと福祉に出会う

当初私は、対話を通して弁証法的にイノベーションが起こったり、社内のコミュニケーションがよくなって生産性があがったりと、ビジネスのシーンでも可能性が広がるなあと思っていました。

対話ってなんだ?と考えていくうちに、自然と「福祉」に出会い、次第に「福祉とは」と考えるようになってきました。

ドラマ・心の傷を癒すということ

先日NHKで、阪神淡路大震災の際、自分に何が出来るかを模索し続けた精神科医のドラマが放映されました。第二話で、幸いにも助かった方の診察シーンがあり、躁鬱が表現されていました。

周りはみんな燃えて、自分だけは無事で助かった。
良かったけれど、申し訳ない。もう何も見たくない。

目の前で誰かが財布をぶちまけたら思わず拾ってあげる。困っている人がいたら助けてあげる。人間としての自然な姿なんだろうと思います。

周りの家が燃えて人が死んでしまった中、
自分だけがよければいいということに耐えきれない。

しかしビジネスとなると、その逆のようです。内部経済化をすすめるあまり、外部不経済が見えなくなる。自分さえ良ければ、自分さえ儲かれば。施設や組織の中で「人間」がモノ化されていくと『皆の幸せが私の幸せ』とは思えなくなり、組織もブラック化するようです。

米びつのお米が死を誘う

またドラマの中で、避難所になった学校の校長先生が、一人住まいの仮設住宅で自殺を図るシーンがあります。米びつにお米がなくなり、奥さんの遺影が映り、思い詰め、カミソリが映されたその瞬間に「トントン」とお隣さんが声をかけます。

お隣さん:「イカナゴ炊いたのでおすそわけ」
校長先生(
一人イカナゴを見つめて):「米買いに行こ」

お隣さんとのつながりで、校長先生の命がつながった瞬間です。

対話を考えていくと人権と出会う

映画「むかしMattoの町があった」

イタリアでの精神病院改革の映画のラストシーン
車いすのMattoな「ランポ」が港で仲間を見送り、一人きりになる。
海面をみつめ.....思い詰め、車いすごと海へ!!

その寸前、「ボリス(15年間も精神病棟の中でベットに縛り付けられ、バザーリア改革で人間性を取り戻した友達)」がバイクで現れ、車いすとランポを後ろに乗せて、二人乗りで愉快に去って行く。

ボリスとのつながりで、ランポの命がつながった瞬間です。

病院ラジオ「依存症治療病院編」

アルコール依存症で、退院された方が出ておられました。
退院後、仕事柄毎日お酒の席だそうですが、今日一日、今日一日、断酒の繰り返しだと話してられます。「担当の看護師さんとのつながりのお陰と言っておられました。 お酒への依存から人間関係への依存へ。

私は、知り合いから「実際に依存症から解放された人はいくらでもいる」という話を聞いたことがあります。「またか!」という報道で、依存症はどうしようもないという風に流布されているようにも受け取れます。

再び社会へ戻ってきたときに、薬やアルコール以上の「信頼できる人との関係性」がないと、簡単に元に戻るのかもしれません。これはご本人だけではなく社会側にも問題があるようです。

依存症が治らないと言うなら、
この際みんなで「幸せ依存症」になれればと思います。

映画・ボヘミアン・ラプソディ

馬鹿騒ぎパーティーが終わったシーンでの、ジム・ハットンとの語り。

ジム・ハットン:「友達はみな帰った?」
フレディ・マーキュリー:「あいつらは友達じゃない。」
ジム・ハットン:「君には本当の友達が必要だ。」

フレディ・マーキュリーは後にジム・ハットンと本当の友達になります。また元メンバーや元彼女が家族であることに気付き、彼らとのつながりの中で人間性を取り戻していきます。

死にゆくフレディ・マーキュリーに、つながりが命を与えた感じです。

全て人間・つながりが絶えると命も絶える

躁鬱にある人も人間。自傷他害にある人も人間。社員も人間。生徒も人間。国民も人間。塀の中にいる人も人間。アルコールや薬に依存する人も人間。全て人間。対話というつながりを通してお互いに開かれて一人の人間になることができれば、人に優しい、平和な人生、公共幸福社会がおとずれるのではないかと思います。

対話とは明日を創る試み

命とはつながりである
みんなでおこなう会話を通した平和な活動

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