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ドラマ「何曜日に生まれたの」主題歌、ザ・ホリーズの「バス・ストップ」のこと

 遂に完結したABCテレビ・テレビ朝日系全国ネットドラマ「何曜日に生まれたの」、ご覧になりましたか?野島伸司さんの脚本ということで注目を集め、案の定のスリリングな展開や巧妙な伏線等々、楽しませてくれました。

ABCテレビ・テレビ朝日系全国ネットドラマ「何曜日に生まれたの」

 そしてこのドラマのストーリーやキャストと並んで話題となったのが主題歌。絶妙なタイミングで鳴らされる、ギターのイントロとドラマとのマッチ具合は、さすがと唸らされました。

 それではこの主題歌を歌うザ・ホリーズと、「バス・ストップ」という楽曲について、ちょっと掘り下げていこうと思います。


「ザ・ホリーズ」ってどんなバンド?

 ザ・ホリーズは、ビートルズがレコード・デビューし、ローリング・ストーンズが結成された1962年に、イギリス、マンチェスターで5人組バンドとして生まれました。中心人物は当時ハタチのアラン・クラークグラハム・ナッシュ。グラハム・ナッシュはこの6年後、ロサンジェルスでクロスビー・スティルス・ナッシュを結成、ニール・ヤングも加わり大成功を果たすわけです。

結成からデビューまで1年未満!

 彼らは結成からわずか数か月で、パーロフォンレコードのオーディションに合格、1963年5月にデビュー・シングル「(Ain't That) Just Like Me」をリリースします。63年と言えば、ビートルズが「プリーズ・プリーズ・ミー」で初の全英No.1を獲得、以降破竹の快進撃を開始した年。ビートルズと同じレーベルからデビューしたザ・ホリーズも、第2のビートルズとなる大きな期待がかけられていたに違いありません。

 その期待に応えるように、早くもサード・シングル「STAY」が1964年1/16付け全英チャートでトップ10入りを果たします。この勢いに乗り、ファースト・アルバム『STAY WITH THE HOLLIES』を2月にリリース。するとビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』、『プリーズ・プリーズ・ミー』、そして映画「ウエスト・サイド物語」のサントラと、4つどもえの熾烈な首位争いを繰り広げ、『ステイ・ウィズ・ザ・ホリーズ』はリリースからおよそ2か月後、4/19付けチャートで2位を獲得するに至ります(この時のTOP4は、1位『ウィズ・ザ・ビートルズ』、3位『「ウエスト・サイド物語」OST』、4位『プリーズ・プリーズ・ミー』。初登場7位にローリング・ストーンズのファースト・アルバムがランクインしています)。

初期のレパートリーはロックンロールのカバー

 彼らのサウンドは、50年代のアメリカに勃興したチャック・ベリーやリトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーといったロックンロールを基調としたもので、「ホリーズ」とは1959年に22歳という若さで飛行機事故で急逝したロック・スター、バディ・ホリーが由来とされています。

 初期のアルバムはほとんどがロックンロールのカバーで構成されており、全曲オリジナル楽曲のアルバムは、1966年に発表した通算5作目のアルバム、『For Certain Because』が初となります。それまでのオリジナル曲でも片鱗を見せていたコーラスワークの美しさが際立つ作品や、カントリー調の作品やサーカス風のユーモラスな楽曲など、音楽的な幅を大きく広げています。

おススメアルバムはこの2枚!

 続く1967年のアルバム『Evolution』では大胆にサイケデリアを取り入れながら短時間で制作されましたが、持ち前の美しいコーラスや音楽的な引出しの多さで、破綻なく新たなザ・ホリーズを表現。おそらく90年代あたりのUKロック・シーンにも影響を与えた作品となっていると思われます。

 そして同年、『Evolution』と対をなす形でアルバム『Butterfly』をリリース。この作品ではポップを突き詰めた楽曲が並んでいます。いずれもイギリスではシングルカットされた楽曲は収録されていませんが、ザ・ホリーズを聴くのにどこから聴けばいいか迷ったなら、この2枚から聴くことをお勧めします。

グラハム・ナッシュ脱退、そして・・・今も現役でツアー中!

 アルバム『Butterfly』を最後に、グラハム・ナッシュはザ・ホリーズを離れ渡米、クロスビー・スティルス・ナッシュのメンバーとなります。残されたザ・ホリーズもアラン・クラークの脱退などメンバー・チェンジはありながらも、80年代初頭までコンスタントにアルバムをリリース。そして今も、準オリジナル・メンバーであるトニー・ヒックス(g)とボビー・エリオット(ds)を中心に、イギリス国内をツアー中です。


「バス・ストップ」ってどんな曲?

1966年にリリース、当時19歳の若者が作詞作曲を手掛けた。

 1962年に結成し、1963年にデビューしたザ・ホリーズですが、「バス・ストップ」は1966年にリリースされました。ロックンロールのカバーが初期のザ・ホリーズのレパートリーでしたが、バンドのアラン・クラーク、グラハム・ナッシュ、トニー・ヒックスによるチームでの曲作りも行い、64年には「We're Through」を自作曲として初めて全英チャート7位に送り込んでいます。

その男の名はグレアム・グールドマン

 その一方、外部ソングライターの力も借りていました。そんな外部ライターの一人が、同郷マンチェスターのグレアム・グールドマンです。彼は1972年に10ccを結成し成功を収めますが、その6年前、彼が「新進気鋭の若手ライター」だったころのこと。

ヤードバーズ「For Your Love」のヒットがきっかけ

 彼は10代後半からプロのバンドを渡り歩き、やがて自分のバンドでレコードデビューを果たすのですが、ヒットには恵まれませんでした。あるとき、彼が自分のバンドのデビュー曲にと提案したもののレコード会社により却下された曲、「For Your Love」ヤードバーズにより、イギリスで1位、アメリカでも6位となるヒットを記録。このヒット曲を生んだライターとして評価を得て、昼間は紳士服店で働いて、夜になるとバンドで演奏しながら曲づくり、という生活が始まり、ヒット曲を量産するようになりました。「バス・ストップ」はその中の1曲として、グレアム・グールドマンが19歳のときに作った曲なのです。

日本のアーティストもカバーしたヒット曲

 かくして誕生したザ・ホリーズ「バス・ストップ」は、1966年の6月17日(金)にリリースされると、全英シングルチャートで最高位5位、そして念願の全米チャートで最高位5位を獲得バンドにとって初の全米TOP10ヒットとなります。他の国でも、カナダ、スウェーデンでは1位、オーストラリアで2位など、世界中のヒットチャートを席巻、ザ・ホリーズの名が世界中に広まるきっかけとなりました。日本でも人気があり、独自に日本語詞をつけたカバーがキャンディーズを筆頭に、鈴木慶一さん作詞による野田幹子さんのカバーや、荻野目洋子さんのユーロビート調のカバーなど、多々作られています。

ほぼ同時に「バス・ストップ」をリリースしたバンドもいた!

 実はこの曲、ザ・ホリーズと同郷で、当時ビートルズに匹敵する人気と言われていたバンド、ハーマンズ・ハーミッツも、1966年発表のアルバム『Both Sides Of Herman's Hermits』に採用しています。これは彼らがザ・ホリーズをカバーしたというわけではなく、たまたま同じタイミングでこの2つのバンドがこの1曲を取り上げた、ということ。ただ、シングルにしたのはザ・ホリーズで、これを世界中でヒットさせたことで、「バス・ストップ」はザ・ホリーズの曲、というのが一般化したのでしょう。同じ曲をライバル関係のバンドが同時に取り上げるなんて、現代だったら珍事ですが、かつてはそれほど珍しいことでもなかったようです。


「バス・ストップ」の歌詞の世界

 ドラマのエンドロールで、主演の飯豊まりえさん演ずる黒目すいが、雨でずぶ濡れになりながらバス停に佇むシーンが毎週放映されましたが、この世界観は主題歌となった「バス・ストップ」に共通します。

二人の出会いは雨の日のバス停

 「バス・ストップ」で最初に歌われるのはある雨の日の情景。バス停で雨に打たれながらバスを待つ女性を見かけ、思わず「僕」は「僕の傘に入ってください」と傘を差しだします。やがてバスはやってきますが、彼女はその場にとどまります。そうして、二人の付き合いが始まるのです。

 二人は夏を楽しく過ごし「8月までに彼女は僕のものになった」と綴られています。そして「いつか二人の名前はいっしょになるだろう」とも。これはもう御結婚確定!おめでとう!

 季節は巡り、雪は解け日光が降り注ぎ二人を祝福します。雨の日に傘をシェアしたことをきっかけに幸せになった二人を、「僕」はステキなことと感じています。あの傘が僕らを導いてくれた、もう身を隠さなくていいんだ、と。

ハッピーなラヴソングなんだけどなんだか胸騒ぎがするわけ

 こうしてみると、「バス・ストップ」はとてもハッピーでロマンティックなラヴ・ソングのようです。これがなにやら不穏な雰囲気さえ漂うマイナーコードで歌われることで、ほろ苦い青春の思い出的な共感をリスナーに呼び起こすのかもしれません。

 でも実際には、ほろ苦い青春の思い出どころか、この曲を作った当時のグレアム・グールドマンは、青春真っただ中と言えるハイティーンというのがまた面白いところで、音楽という夢を見ながら紳士服店で働く、鬱々とした日々のなかで思いついたこのストーリーを描くには、このちょっとダークな雰囲気のほうがしっくり来たのかも知れませんね。

「バス・ストップ」の作者とその父親の関係

もう一つのドラマとの共通点?

 このドラマでは、黒目すいを中心に、いろいろな人間模様が描かれていたわけですが、緊迫感のあるストーリ展開の中、唯一ホッとできたのが、黒目すいとその父、陣内孝則さん演ずる黒目丈治とのやり取りではないでしょうか。本当に娘がかわいくて大好きで、だけど必要以上に干渉しないで、娘の自主性を信じている、という感じの父親ですね(こっぴどくすいに怒られるシーンもありましたが)。

「バス・ストップ」の出だしを書いたのはお父さん

 そんな父娘を見ていると、このドラマの主題歌「バス・ストップ」に共通しているところがあることに気がつきます。この曲を作ったのは後に10ccとして成功を収める、若き日のグレアム・グールドマンですが、実は曲の出だしは、彼のお父さんが考えたのだそうです。

 グレアムの父親、ハイメ・グールドマンもライターで、劇作家として活躍していました。ある時、グレアムがハイメに「バス・ストップ」というタイトルを思いついたと告げると、ハイメはすぐに冒頭の歌詞、「バス停、雨の日、彼女はそこに、僕は言った、傘に入りませんかと」の部分を思いついたのだそうです。するとグレアムの頭の中にメロディが浮かび、曲になったということです。

 特にBメロについては、全く苦労することなく突然ひらめいたそうで、2011年にMojo誌に語ったインタビューでこう語っています。『「バス・ストップ」の大半を書いたとき、実はバスの中でミドルエイト(Bメロ)をどうするか考えていたんだ。そうしたら「毎朝バス停に立つ彼女を見た~」からあとの全体が歌詞もメロディも一気に浮かんできて、家に帰って試すのが待ちきれなかったんだ。そういうことが起きると、本当にびっくりする。そんなことはめったにない。たいていは、だらだらとやるしかないんだ』。

父親=熟練の作家の手助けで生まれた曲は他にも。

 当時19歳の駆け出しのライターを、熟練の作家がちょっとだけ手助けしたことで、この名曲がするすると降りてきたというわけです。しかも、ハイメがグレアムをサポートしたのはこの1曲だけではありません。ハーマンズ・ハーミッツの「No Milk Today」、「It's Nice to Be Out in the Morning」、10ccの「Art for Art's Sake」、ザ・ホリーズの「Look Through Any Window」など、クレジットまではされていないものの、父親の手助けもあって完成した楽曲は他にも多々あるようです。

 このころの父親との創作活動を振り返って、グレアムはマンチェスターユナイテッドのインタビューでこんなことを語っています。「作曲はすべて僕だった。でも、歌詞の多くは父のものなんだ。父には本業があり、後に僕との仕事で印税を得ることになるけど、父が本当に情熱を注いでいたのは、(お金ではなく)歌詞を書いたり、物語を書いたり、世の中に関わることなら何でもすることだった。」

ソロ・アルバムで父親へのリスペクトを顕わに

 「バス・ストップ」のヒットから2年後、1968年に、グレアム・ゴールドマンは全曲自作曲による初のソロ・アルバム『The Graham Gouldman Thing』をリリースします。この中に「My Father」という曲があります。「父は、僕がこれから知ること以上のことを知っている/父は、僕がこれからも絶対に行かない場所に行ったことがある」と全面的なリスペクトを顕わにしたところで、自分の両足で、自分だけの世界へ向かうと歌っています。

 実際、1968年を境に、グレアムは転機を迎えます。後に数々の傑作がレコーディングされることとなるストロベリー・スタジオに出資し、そのスタジオのハウス・バンドが発展し10ccが結成され、1972年にデビュー、1975年に名曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」を産み落とすのです。

父親の死と、追悼曲

 父ハイメは1991年に、他界します。そしてグレアムは10ccとして95年にリリースしたアルバム『ミラー・ミラー』で、「Ready to Go Home」という、重厚かつ美しい楽曲を発表しています。この曲は父親の死から4年たち、気持ちの整理ができたところで、死をポジティブに捉え、親子が一緒にやってきたことや、父が残した芸術的遺産の思い出を残そうとした、と後にグレアム自身が語っているそうです。

 グレアム・ゴールドマンの、尊敬できる大きな存在の父親との関係、素晴らしいですね。



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