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奔放であること

奔放な人にみんな憧れる。

奔放な人を嫌う人はいる。でもそれはほとんどの場合が妬みであって、本当は自分もそれになりたくてたまらない。自分ではルールを破る事ができない人の、自由を羨む気持ちはとてつもなく強い。あれらはルールを破ることは、何であれ殺人にも匹敵する悪だと思っているのだ。時に私のことでもある。

門限を破る妹と遵守する姉。そんなよくある物語の中で、モテるのは必ず妹の方。


奔放に振舞える人間こそが、実はルールをきちんと理解しているのではないかと思う。

"知っている"だけではない。そのルールを多少曲げようがはみ出そうが場合によっては全て無視しようが、さしたる問題がない事を、そのルールの重さや性質を、正しく理解している。

だからこそルールを使って遊ぶ事ができる。
並べたり腰掛けたり収まって隠れたりするだけでなく、飛び越えたり弄んだり謎かけしたり出来る。



「ルールは破るためにある」という言葉があるけれど、なるほど確かに。

「崩れたものは色気を放つ」などということを、あの子やあの人、あのキャラクターを思い浮かべながら考えたのでした。

スーツにシャツ、浴衣にまとめ髪、シーツに口紅。
全て、正しい形があるもの。整えられているべきもの。カタチの正解があるもの。色気はその余白に生まれるよなぁ。



掴みどころのない、色気のある人間になりたいものですね。

おやすみ。

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