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比江島が好きだと叫びたいし、世界が終わるまではファンでいたい 6年間の思いが成就したバスケワールドカップin沖縄

比江島が好きだと叫びたい。そんな気持ちが沖縄のワールドカップから止まらない。

私こんなこと呟いたっけ?と思ったら井上先生だった。5万いいねがついてるから、少なくとも5万人は私と同じ気持ちでいると思う。むしろ、ベネズエラ戦を見た1000万人が比江島に惚れたに違いない。

比江島慎を応援してきた約6年間の思いが成就した、そんなワールドカップだった。そして沖縄から帰ってきてからずっと、比江島との思い出が走馬灯のごとく頭の中を駆け巡っている。


レア度星1つの知らない人だった比江島を、どうして好きになったのか

私と比江島の出会いはB.LEAGUEのカードゲームアプリ。何となくインストールし、何となくガチャを引いたら、レア度が低い星1つのカードとして出てきたのが比江島だった。友人に「星1つの比江島って人が出たんだけど、だれ?」と聞いたら「比江島だよ!!知らないの!?」と言われた。友人は古参の比江島ファンだった。でも私は比江島のプレーを観るチャンスがなく、比江島のことを忘れていった。

そんな比江島を好きになったきっかけは、2017年11月の「FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区1次予選」の開幕戦だった。比江島は途中出場だったけど得意のドライブで得点を量産、チームハイの20点をあげた。残念ながらチームは負けてしまったが、「あの人すごくない!?」とかの友人に話しかけたら「あれが星1つの比江島だよ」と返された。これは「お前が星1つ呼ばわりした比江島はこんなに凄いんだぞ」という意味である(星1つはあくまでカードのレア度の話で、比江島には関係なかったんだけど)。

そうして私は比江島を好きになった。でもそこから約6年間、上海も含めたほとんどの代表(※)戦に足を運ぶほど好きでいるとは思ってもみなかった。今の私にとっての比江島は、星1000万です。

比江島にとって波乱万丈の6年間

この6年間、比江島にはたくさんの試練があった。それでも比江島は前に進んできた。

「FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区1次予選」のWindow1,2で、日本は4連敗。2019年に開かれる上海ワールドカップへの切符は絶望的かと思われた。エースだった比江島へのプレッシャーは計り知れなかっただろう。でも2018年6月、千葉ポートアリーナでオーストラリアに勝つという奇跡を起こしたあの日。勝利を確信した瞬間、私は生まれてはじめて会場の見知らぬ人たちとハイタッチを交わし合った。それから試合終了のブザー直後にすっ転んでにこにこしていた比江島を見て、思わず笑ってしまった。そこから日本代表は8連勝で、ワールドカップへの切符を勝ち取った。

(1:59:14~、すっ転んで赤ちゃんの飛行機ポーズみたいになってしまう比江島)

その後、2018年には比江島はご母堂を亡くし、涙を堪えながらプレーした日々もあった。「『ご飯作っておくね』というLINEが来ていたのに、帰ったら息もしていなかった」という比江島の言葉を思い出すと、今でも胸が締め付けられる。それでもその年、シーホース三河の選手としてシーズンMVPに選ばれて涙を流しながら母への感謝を伝える比江島を見て、もらい泣きした。

そして、比江島は宇都宮ブレックスに移籍、それからすぐにオーストラリアのプロバスケットボールリーグ「NBL」のブリスベン・ブレッツに移籍することになる。このオーストラリアでの挑戦も難しくて、比江島はほとんど試合に出ることがないまま帰ってきた。私は世界で輝く比江島をもっと見てみたかったのでとても残念だった。でもそれはコミュニケーションの問題も大きかったのだという話を聞いて、なんだか比江島らしいな、なんて思ってしまった。

そうして比江島は宇都宮ブレックスに正式に入団することになるが、再びエースとしての重圧がのしかかる。2021年に宇都宮ブレックスがファイナルで負けた時、メディアから「一番自分が足りなかった所は?」と心無い言葉をかけられ、言葉に詰まる様は見ていられなかった。でもその次の年、ブレックスが優勝を決定づけた試合。私はコート上で比江島が吠えたのを初めて見た。それから悲願の優勝が決まり涙する比江島に、大きな拍手を送った。

こんな風に比江島には多くの試練が降りかかった。乗り越えられたこともあるし、もしかしたらまだ乗り越えられていないこともあるかもしれない。でも、比江島の辛い顔だけじゃなくて笑顔や嬉し泣きも見られたことが、ファンとしては嬉しかった。

トム・ホーバスとの出会いと、比江島に与えられた新たな試練

比江島にとってここ最近の試練といえば、トム・ホーバスが男子代表コーチになったことだと思う。

男子代表は世界で全く勝てていなかった。上海で開かれたワールドカップでは5戦5敗。比江島自身も八村やファジーカスといった得点源となる選手がチームに加わったことで、自分の役割を見失い、全く活躍できない大会になってしまった。それから東京オリンピック。比江島は持ち味であるペイントアタックが世界に通用することを見せてくれたけれど、スペイン、スロベニア、アルゼンチンといった強豪相手に3戦3敗。世界とのチーム力の差を感じさせられた。

上海ワールドカップ、
そもそもアメリカと同じグループに入っちゃったのは運無さすぎん!?という意見もある

そして男子代表の強化のため、女子代表コーチを銀メダルに導いたトム・ホーバスがヘッドコーチに就任した。これが比江島にとって試練となった。

トムさんのことを悪く言うつもりはなくて、私は女子代表も男子代表と同じくらい応援してきたし、女子代表と一緒に銀メダルというすばらしい結果を残してくれたトムさんのことが大好きだ。でもラマスさんからトムさんにコーチが変わり、比江島に求められることが大きく変わったのは間違いない。そしてこの変化に対応するのに、比江島は苦労していた。

比江島に新しく求められるようになったのは、「思い切りの良い3P」と、「リーダーシップ」だ。

トムさんは男子代表の3本柱として「粘り強いディフェンス」「3Pシュート」「ハイスピード」を掲げた。比江島も含めた2番ポジションには特に、「3Pシュート」が求められた。持った瞬間空いていたらすぐリリースする、そのくらい思い切りの良い3P。東京オリンピックの5人制バスケ女子代表でいえば、林咲希が担った役割だ。

でも、私は比江島の一番の良さはドライブで、3Pはセカンドオプションだと思っていた。それに、比江島はドライブ・3ポイント・パスといった多彩なOFパターンを使い分けることができるけれど、判断をしながら思い切りよく3Pを打つのはとても難しい。なので、私は「トムさんのやりたいバスケと比江島は合わない」とずっと思っていた。

また、ベテランになった比江島にはリーダーシップが求められたけど、これも結構無理があるなと思っていた。私はシャイで内気で仲良しの先輩にいじられてニヤニヤしている比江島が好きだ。でもそれは、皆の先頭に立って声を出して周りを巻き込むリーダー像とは程遠い。比江島は比江島なりにリーダーシップを発揮しようと頑張っていたけれど、トムさんの求めるレベルにはなかなか到達できずにいた。

トム・ホーバス体制になって、シュート力を強みとする選手が評価を上げた。比江島以外のベテラン選手がベンチやコートで声を出してチームをひっぱり、それをトムさんが評価しているのも分かった。比江島のプレータイムは目に見えて減った。私の心は「比江島はもう代表から外されるかもしれない」という気持ちと「でも外すんだったらとっくに外してるよ」という気持ちの間で揺れ続けた。比江島が代表に選ばれるか選ばれないか客観的な意見が欲しくて、試合が終わるごとに「比江島」でパブサしたりもした。

私が沖縄で開かれるワールドカップのチケットを買ったのは2022年2月で、比江島が選ばれるかどうかなんてその時には全く分からなかった。代表全員を応援しているけど、やっぱり比江島を応援したい。私にできることは毎晩トムさんの夢枕に立って「比江島を使え」「比江島を選べ」と囁くことだけだった。

そしてメンバー選考を兼ねた「国際強化試合2023 太田大会」の2試合目、比江島は自分の力を証明した。2本の3Pも含めて、チームハイの12点を記録。それでもトムさんには「もっと3P打つチャンスはあった」と言われていたけれど。

この試合から10日後、比江島のワールドカップメンバー入りが決まった。私はメンバー発表を見て、帰宅途中の電車で泣いた。

思いが成就した沖縄ワールドカップ、ベネズエラ戦の7分間

とはいえ、メンバー入りが決まった後も私の心は落ち着かなかった。有明での国際強化試合を総合すれば、比江島のタイムはそれほど多くはなかった。もう少し得点も欲しかったというのが正直な思いだ。最後の一枠、ギリギリで残ったのかも。ワールドカップでも試合にはあんまり出してもらえないのかも。でもたとえ少ない時間でも比江島を応援しよう。そう思って沖縄に飛んだ。

初戦のドイツ。日本はとにかくドイツに勝つことを目標にやってきたけれど、完敗した。開幕直前のパワーランキング2位は伊達じゃない。比江島のプレータイムも8分台とふるわなかった。また上海や東京と同じことになってしまうんだろうか。やっぱり比江島は出してもらえないんだろうか。

でも、続くフィンランド戦が日本の運命を変えた。NBAオールスターにも選ばれたマルカネンもいる格上相手に、最大18点差を引っくり返しての逆転勝利。ドラマみたいだった。比江島はコートに入ってすぐさま4点プレーを繰り出し、ドライブで得点を重ねて苦しい時間を繋いだ。この繋ぎが無かったら、後半の大逆転劇は生まれなかった。私は日本が勝ったこと、その勝利に比江島が貢献したことが、とても嬉しかった。

そう思ったのに、オーストラリア戦ではジョシュ・グリーンをはじめとするNBAのディフェンダーを目の前に、比江島は2得点、3ターンオーバーに終わってしまった。日本は敗れ、こうして1勝2敗で予選リーグを終えた。

でも、全体としては上出来の結果だったとも言える。死のグループと言われながらも1勝をもぎとったのだ。そもそも、順位決定戦で2勝するだけでもアジア1位になれる可能性もあると思っていた。とにかく残る2戦で、確実に勝つことが大事だった。

そして絶対に勝ちたいベネズエラ戦。ワールドカップで一番苦しいスタートだった。審判の笛は重く、ここまで獅子奮迅の活躍を見せたジョシュ・ホーキンソンのアタックは得点に繋がらず、タイムアウトの時にはトムさんの”What are you doing!?”という怒りの声がベンチに響き渡った。重苦しい雰囲気のまま勝負の第4クォーター。

比江島が試合を決めた。この試合を、この4Qを、この7分間を見るために、今日この日まで比江島を応援してきたんだと思った。

比江島は6/7で3Pシュートを決め、4Qだけで17得点をマーク。最大15点ビハインドを背負った試合を逆転勝利に導いた。ついに比江島が、トムさんに求められた「思い切りの良い3P」を打ち切った試合だった。

私は4Qの残り7分ずっと泣いていたし、試合終了後に、選手が代わる代わる比江島の所に抱きつきに行くのをみてまた泣いた。私が比江島を応援していることを知っている友達から、たくさんの「おめでとう」メッセージが届いた。道行く人も、私の持っているうちわを見て「凄かったですね!」と声をかけてくれた。

チームを救うためにトムさんが僕をメンバーに残してくれたと思うので、勝利に貢献できてうれしいです

http://www.japanbasketball.jp/japan/71528 より

という比江島のコメントは、私の墓に刻んでおいてほしい。

そしてカーボベルデ戦。これに勝てば確実にパリ五輪が決まる。試合が始まる前「なんでもいいから勝ってくれ!」と祈った(でも試合が終わった後「なんでもいいとは言ったけど、こんなにハラハラさせなくてもいいじゃん…」とも思った 笑)

とにもかくにも日本が勝利し、無事にパリ五輪への切符を掴むことができた。これ以上ないワールドカップだった。選手の皆がお互いをたたえ合い、ファンは皆で「第ゼロ感」を歌う。そして選手たちが最後にコートを一周する時、比江島がミカル・ブリッジズのセレブレーションをして周りからいじられ、「も~やめやめ!」といった風に笑って誤魔化すのを見て、私は心の録画ボタンを押した。

沖縄で見た比江島の成長と、変わらぬ比江島らしさ

比江島はトムさんに求められた「思い切りの良い3P」を打ち切り、沖縄で大きく進化した。「トムさんのやりたいバスケと比江島は合わない」という私の考えは良い意味で裏切られたし、私はトムさんや比江島に謝らないといけない。

一方、「リーダーシップ」はどうだったんだろうか。最初にトムさんが求めた形でのリーダーシップは発揮できなくて、シャイでいじられキャラの最年長のままだった気がする。でも、そんな彼をチームの皆が愛してくれたのが、SNSやインタビューからひしひしと伝わってきた。こういうチームのまとめ方だってあるよな、と私は思う。

トムさんも、比江島と一緒の時間を過ごす中で、だんだんと比江島のことが分かったんじゃないだろうか。

「比江島をコーチし始めたとき、彼は物静かでほとんど話しませんでした。そんな彼を見て、どうでもいいと思っているように感じたのです」

「かっこつけているように見えました。でも実際にはそうではなく、本当にこのチームに入りたいと思っていたし、本当に勝ちたいと思っていたのです」

「正直言ってやめるかもしれないと思っていました。でもその後、彼と話をして、彼のことを知るようになり、内側には熱い思いがあることがわかりました。今では彼のことはとても気に入っています」

https://number.bunshun.jp/premier/articles/16687 より

トムさんが比江島についてこんな風に言ってくれたのも、すごく嬉しかった。

世界が終わるまでは比江島のファンでいたい

比江島は、悩んだり苦しんだりしながら、比江島らしさを失わずに、でも成長してきた。その軌跡をファンとしてここまで見ることができて、そして沖縄ワールドカップを、ベネズエラ戦を応援できて、本当に幸せな6年間だった。

パリ五輪も絶対に比江島を応援したい。そして比江島が代表を引退するまで、選手から引退するまで、世界が終わるまでは、比江島のファンでいたい。

(※)比江島の話をする都合上、今回の記事で代表という時は原則として、5人制の、車いすでない、男子バスケ日本代表を指します。

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