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雪鍋

食べることと読むことが大好きな人間ならば、誰しも「生涯のバイブル」として心に掲げている名著があるのではないだろうか。

かくいう私にもそういうお気に入りが何冊かあるのだけれど、その中の一冊に、神吉拓郎さんの『たべもの芳名録』がある。元々は父が大好きだった本で、薦められるままに私も読んでみて、たちまち虜になった。



手触り……あいや、読み触りが大変に心地よい文体でもって、おいしそうな料理の数々が綴られた一冊だ。各所に軽妙で洒脱なユーモアも光っていて、何度読み返してもほおっとため息をつかずにはいられない。もちろん、お料理の描写は言わずもがな、本当に素晴らしい。読んでいると決まってよだれが出てくる。

その中に「大根と寒風」という一篇がある。


これは、大久保さんが、法隆寺の老師に御馳走になるというかたちで書かれている。土の七輪の上に土鍋がのっていて、そのなかは真っ白な大根おろしばかり。
やがて、その大根おろしが、音を立てて煮えてくると、老師は、傍の豆腐を杓子ですくっては鍋に入れ、煮えている大根おろしをかぶせる。そして、ほどよい頃を見計らって、
「さあ、おあがり」
と、おっしゃる。
散り蓮華を使って、小皿に豆腐と大根おろしをすくい取って食べるのだが、これが、雪鍋というものなのだそうである。豆腐の白、大根おろしの白、そして立ちのぼる湯気の白と、まさに白一色、雪鍋の名にふさわしい料理ではないか。


今夜は、この雪鍋を作ってみることにした。が、ここで問題がひとつ……。この鍋、どうやら大量の大根おろしが必要らしいのだ。

神吉氏によれば、鍋いっぱいの大根おろしで豆腐を煮るのが本来の姿らしいのだけれど、土鍋がいっぱいになるまで大根をおろすなどというガッツがめんどく星人にあるはずもない。よって昆布出汁も併用して作ることにした。


今朝出かける前に、土鍋に昆布を投げ入れ、昆布がひたひたになる程度の水を注いで下準備をしておいた。これを火にかけ、ぐらっと煮立ったところで昆布を引き上げて火を止めておく。大根1/2本は皮をむいてすりおろし、これを土鍋に投入したら再び加熱する。

大根おろしが煮立ってきたところで、料理酒と白だしごく少量、味の素、塩で味つけする。味が決まったら絹ごし豆腐を入れ、大根おろしをその上にかぶせる。あとは浮いてきたアクをすくい取りつつ、しばらく煮込むだけ。仕上げに長ねぎの白いところを刻んであしらったらできあがり。


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おおー。いいんではないの?

清廉な雪のごとき白さ……とまでは行かないけれど、白一色の鍋ってのもなかなか悪くない。大根と豆腐とねぎだけの鍋、いかにもお寺の精進料理だ。故人を偲ぶ夜にふさわしいメニューではないかしら。


はい、そんなわけで(?)本日は母の命日です。

この静謐な一品のみで呑むことも考えたのだけれど、そうすると故人から夢枕にて「肉魚肉魚肉魚肉魚肉魚……」とものすごい圧をかけられる可能性が非常に高かったので、


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昨夜仕込んでおいたぶりの昆布締めも並べて、献盃することにした。「ビール=生命の泉」がモットーだった母にはもちろんビール。私はビールが呑めないので、これも母の大好きだった焼酎ロックで。


その白さが売りの雪鍋なので、味つけは塩をベースにしてごくシンプルに整えてみたのだけれど、これがなかなかどうして、すっごくおいしい!ホワホワの大根おろしの甘みに、昆布の上品なうまみがよく効いている。豆腐もふっくらとやわらかく仕上がっているし、なんだかいつもより甘く感じるな。大根おろしジルの効果だろうか?シンプルな塩味なので、ねぎの辛みもいっそう引き立っている。豆腐とねぎなんて、普段の鍋ものだとわりと脇役的印象が強いのだけれど、こんな風に仕立ててみると、それぞれの持ち味がぐっと存在感を増してくるなー。あっさりしているからスルスルいける。なんかいくらでも食べられそうだな。焼酎との相性もよきよき。

途中でちょっと悪戯心が芽生えて、鍋の中にブリの昆布締めをさっとくぐらせてから食べてみたのだけれど、これがまた……。かすかに火を通すことで、ブリの味がぐっと引き立つ。昆布締めに昆布出汁だから、相性も抜群だ。ミディアム・レアとも言うべき歯ごたえも素晴らしい!これはー、焼酎おかわりせざるを得ないわねー!(イソイソ

そして、こんなにも静かな気配の鍋にも関わらず、食べていると汗が出てくるほど体が暖まってくるのにびっくり。みぞれ鍋ってほとんど食べた記憶がないのだけれど、こんなにもあったまるとは思わなかった。お腹の中からぐんぐん体温を上げてくれる。風邪の時に大根おろしとはちみつ混ぜたやつ飲むといいって聞くけれど、あれ喉にだけじゃなくて、保温効果もあるものなのかな。

鍋の中の雪景色をきれいに胃に納める頃には、全身ぬくぬくのポッカポカになった。大満足!ごちそうさまでした。



母が亡くなって今日で丸10年だ。

もう居ないことが辛くて苦しくて辛抱たまらず、早く私も連れて行ってくれと真剣に願っていた罰当たり期間を経て(母が聞いたらノーモーションで横っ面を張り飛ばしに来るな。怖)、今つくづく思うことは、居ないんだけど居るんだなあということ。

毎日の生活の中の、ふとした瞬間に蘇ってくる懐かしい姿に、声に、幾度となく励まされ、支えられてきた。きっとこの先もそうなのだろうし、ひとりで居る時に母に話しかけることはやめられないだろうな。


お母さん、今夜もおいしく呑んでくれてる?


……あ、次は日本酒をご所望ですか。肴もですか。はいはい。はいはい直ちに(イソイソ

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