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常識に気づく、常識を疑う

今日の写真は、どこかの青空から。今日は課題に追われて日中ほとんど外に出られなかった反動のようなものである。

先週課題に週末を忙殺されたので、今週は課題が出た瞬間に片づけることを心がけていて、昨日までの課題が全部終わっていたので、今週はゆとりのある週末を送れるだろうと信じてやまなかった。

それだけに、今日、一番難易度の高い課題が来た時の絶望感といったらなかった。大変に身勝手なことだと承知しているが、勘弁してくれ!というのが本音だ。

今週末も激しい戦いが確定したので、せめて空くらいはこの写真のように晴れ渡ってほしいものである。とってくれた人に感謝。

さて、全国の緊急宣言が解除されて、なんとなく皆さんの生活にも落ち着きが戻り始めただろうか。ここ数日で、外に出ている人の数が増えたような気がする。日常が戻ってくるのはうれしいのだが、この自粛期間の体験はそれ以前の日常を考え直したり、再認識したりするきっかけになりえるものだったと思う。

例えば、日中なのに静かな町というのは、今後もしかしたら経験できない風景かもしれないと、今になって思い起こされる。いつもの町なのに、人がいないだけでまるで別物に見えるのに心から驚いた記憶がある。人がいることも風景の一部、当たり前のことだったということを再認識させられた気分だった。もし人間が急に消えてしまっても、世界はおかまいなしに昼も夜も関係なく、ただあり続けるのだと感じて、少し恐怖に近い感情を持った。それが何に対しての恐怖かはわからないが。 

また、大学の授業でのオンライン導入も強烈に印象に残っている。使い始めの時は、使い方やネット回線のことなど、不安要素しかなかったが、まったくの杞憂だった。この形式はこれを機に定着させてほしいと思うくらいだ。移動の手間が省かれるだけでも使える時間が大幅に増えるのが本当に魅力的だと思う。学校に行くという常識を初めて疑ったかも知れない。

ほかにも様々な体験をこの特殊な期間にできたわけだが、当たり前に気づき、当たり前を疑うという意識を持てたのが一番の収穫だったかもしれない。強制的に日常から切り離されて初めて、今までの生活の中で自分の中に作られたステレオタイプに気づくことができ、その中での新しい体験をとおして、今までの日常を疑うことができた。

今回の一件は、死を意識して初めて命の大切さに気付いたり、病気になって初めて健康の大切さに気づいたりというエピソードと程度の差こそあれ、本質は変わらないのではないか。要は当たり前から引き離されて初めてその当たり前を認識するということだ。少なくとも僕にとってはそうだった。

皆さんにとっても、この一件は、何か考えたり行動したりするきっかけになったのではないだろうか。少なくとも、この経験を全くの無駄にしたくはないものである。






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