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[エッセイ]漂いながら生きること

最近、ふと、私ずーっとふらふらしてるなぁと過去数年を振り返って思った。

と、言うのも。

私は高二から一年アメリカに留学しており、帰ってきて半年後に日本の高校を卒業して、またアメリカに戻り大学に通い、更に今年の秋からはフランスの大学に編入する。

17歳から今までの四年間、4ヶ所に住んでおり、2年以上定住した場所がないのだ。

更に旅行で休みの度にふらっと色々な場所に行く。今年の夏も日本に居たものの日本の中で西へ東へふらふらしていた。

こうも色々なところに行ってるとよっぽどの旅行好きかと思われるかもしれないが、それもちょっと自分の中でしっくりこないのだ。

勿論、旅行は好きで行っている。だけど、何か本質的に違うなぁ、そもそも私は何で旅行が好きなのか。と。

そして、もしかしたら自分は居場所を探しているのかもしれない、と思った。

なぜ、一つの場所に定住しないのか。行く場所行く場所で、その都度大事な人たちや、好きなことを見つけ、楽しんでいる。

でも、たぶん、まだ、ここだ!絶対にここに居たい!と思う場所に出会っていない。

もしかしたら、ただただ自分が貪欲なだけで、もっと自分に合う場所があるはず、という考えを捨てられないだけなのかもしれないけれど。

そう考え始めたら、こうもふらふらしていていいものかと少し葛藤が生まれた。

そこで、この夏出会った友人の一人に、
「なんか、ずっとふらふらしてるんだよね。」
と、笑いながら話してみた。そうすると、
「なんかいいね、漂うって。」
と返ってきた。そして、
「来年の書初めで「漂う」っていいかも。」と。

「漂う」
なんか、いい響きだなぁ。うん、ふらふらよりずっといい。と、なんだか自分の中で腑に落ちた。

そんなに考え込まなくても、数年もすれば私は何処かに居場所を見つけて暮らしてるのかも。或いは、新しい場所に行きたいと思いながら何処かに定住しているかもしれないし、まだ漂い続けているかもしれない。

どれもいい。居場所が見つからないなら居心地のいい場所を探し続ければいいし、定住してしまえば、案外そこが居場所になってしまうのかもしれない。

とりあえず漂える内に漂っておこうと。案外学生だからこそできることだったりするんだから。行き着く場所が何処であろうと結局は私の選択なのだ。

夏がもうすぐ終わって、秋にはパンとコーヒーの国にいる。なんてわくわくするんだろう。

そこが私にとって世界一居心地のいい場所だったらいいんだけど、なんて。


#エッセイ #旅#留学#大学生

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