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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第44章 ミヤマ・マモルの言葉

~ミシェル・イーの手記より 1~

10月9日 水曜日
 現地時間早朝4時くらいまで眠れず、PITにDLしておいたマンガを見ていた。少しうとうとしたかと思うと、7時には目が覚めてしまった。ハバシュ副操縦士と明後日相部屋になる予定の、二人部屋。シャワーをゆっくりと使い、身支度をして8時半頃に食堂に行く。私と同じく寝不足模様のアーウィン部長が、コーヒーを飲んでいる。昨晩出迎えてくれたアシスタントがやってきたので、私もとりあえずコーヒーを頼んだ。
 9時までには5人全員が食堂に揃った。朝食の希望をアシスタントが聞いて回る。私を除く4人が西洋式を頼み、私は中国式を頼んだ。お粥に包子など四品。出されたものは残すことのない私だが、時差の影響だろうか、どうにも食べきれずにお粥を残してしまった。
 食後の茶を飲みながら予定について確認。今日は比較的軽めの予定。とはいえ、上海総書記の話には大いに興味がある。
 10時頃、いったん各自の部屋に戻り、10時45分にまた食堂に集合。11時5分前に周光立が迎えに来た。彼に従って周光来の屋敷を後にする。
 昨日と同じ4台の車。昼間に警務隊の車を前後に4台の車列になると目立つので、2手に分かれることとする。昨日と同じくオビンナ団長と私は周光立の車に乗る。高儷が同乗している。警務隊の車のうち1台が先導し、左に曲がって東西に走る大通りを東に向かう。
 昨夜の雨は上がったが、すっきりとしない曇り空が広がる。
 建物はすべて、レフュージ収容前に作られた仮設住居が使われているので、同じような景色が続く。ときどき広い駐車場や空き地があるが、その下には第四次大戦の際に作られたシェルターを改造したオフィスなどがあるという。
 …(中略)…
 13時過ぎ、周光来の屋敷に戻る。主人はどこにいるのだろう。相当の高齢らしいが。
 卵とネギのシンプルなチャーハンに、野菜がたっぷりはいったスープの昼食。あっさりとして、時差にやられた胃にやさしく、完食した。食後は各自部屋に戻って休む。
 14時半、アシスタントが部屋をノックし周光立が来たと告げる。鏡で身なりを確認し、また食堂へといく。5人が揃い周光立に連れられて同じ車列へ。同乗者も同じく、警務隊の車の先導で、総書記のいる第2自経団第6支団へと向かう。アーウィン部長らの乗った楊大地の一行は、時間差で少し遅れてついてくる。
 14時45分、第6支団オフィスへ到着。地下シェルターを改造したもの。20人くらいは入りそうな会議室に通される。5分ほどしてアーウィン組が到着。周光立はじめ4名も揃い、各自の席に蓋つきの茶碗が置かれる。
 15時ほぼ定刻、総書記が女性一人を従えて入ってきた。心なしか周光立が緊張したように見えた。上海総書記艾巧玉ことアザヤ・ツォクト・オチル。50代半ばくらいのモンゴル人女性。自己紹介すると、もう一人を紹介した。副総書記兼第3自経団書記の蒋霞子。女性で、40代だろうか。
 用意していた上海の自経団に関する質問事項については、収録してあるので省く。
 その場で思いついて私がした質問と、その受け答えについて記しておく。
 私:[上海には中国人以外にもいろいろな人種、民族の住民がいるかと
   思いますが、平等に扱われているのでしょうか]
 艾:[上海の人口のうち漢族は4分の3ほどで、残りの4分の1は様々な
   人種、民族の者です。過去に中国と戦ったことのあるニッポン人や
   インド人なども多数います。歴史的な経緯もあるので、民族感情の
   問題がないとは言えません。自経団の精神を表す言葉として「互相
   幇助」があります。「互相幇助」の精神のもと人種・民族を超えて
   隣人同士が助け合う精神が自経団員には浸透していると私は思い
   ます。もちろん、制度的にはどのような人種・民族の者も自経団員と
   してみな平等に扱われています]
 私:[艾総書記ご自身がモンゴル人ですが、何かそのことで嫌な思いを
   されたことは、ありませんでしょうか] 
 艾:[どうでしょう…私は、どちらかというと鈍感なほうで、他人が
   とやかく言うことは気にならない性質ですので。こんな私が総書記を
   務めていられることが、少数民族といえども平等に扱われていること
   の、証にはなりませんでしょうか]
 私:[たしかにおっしゃる通りです。ただウイグル族とかチベット族
   とか、非常に複雑な歴史的経緯を抱えている民族もいます。彼らは
   いかがでしょうか]
 艾:[最初に申しました通り、民族感情の問題にはどうにもならない
   部分はあります。とはいえ、彼らも実力や適性に応じて上海社会を
   支える人材として活躍しています。ウイグル族やチベット族の者です
   と、副総書記以上になった例は記憶にありませんが、自経団副書記・
   支団書記クラスの役職を務めた者は何人もいます]
 会見の最後に艾総書記が若いころの思い出話をされた。
 かれこれ40年ほど前、まだ10代の少女だったアザヤ・ツォクト・オチルは、自経団職員に任用されたものの、「右も左もわからない」状態でバタバタしていた。自経団創始者の一人、楊守ことニッポン人ミヤマ・マモルが、ときどき上海にやってくる。駆け出しの自経団職員にとって、「雲の上の人」だった楊守が、彼女に声をかけてくれた。
 あるとき彼女が一人で昼食をとっていると、楊守がやってきて彼女の横に座った。
[忙しいかい?」と楊守が聞くので、彼女はこっくりと頭を振った。
[それはいいことであるし、よくないことでもある。わかるかい?]
 彼女は首を振った。
[自経団の「経」は世の中を治めるという意味。じゃあ「自」は誰かと言うと、住民のみんなが[自」なのだよ。きみたち職員の仕事は、住民が自分たちで治めようとすることのお手伝いをすることなんだ。だから、きみたちが忙しくしなくてもよくなれば、自然と上海はうまく治められるようになるはずなんだ。きみたちが頑張るのは決して悪いことではない。けれど自経団の「自」が誰のことであるか、このことはいつも忘れないようにしてほしい]
 キャリアを積んで、次第に責任ある立場へと上っていく中で、艾総書記は、ことあるごとに楊守ことニッポン人ミヤマ・マモルのこの言葉を思い起こしてやってきた、という。
 その孫であるミヤマ・ダイチもミヤマ・ヒカリも、この話は初めて聞いたようだった。
 会見は17時で終了。車で15分ほど行ったところにある、重慶苑という火鍋の料理店で艾総書記主催の歓迎の宴。上海の食料製造設備では、代用肉と代用魚しか生産できないとのことだが、いただいた鍋料理は十分納得のいくおいしさだった。しかし辛い。辛いのが苦手なアーウィン部長は、その分ビールがふだんより進み、かなり酔っ払った様子。同じく酔っ払った周光立と意気投合、くだらない話で大笑いしていた。
      
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 翌10日木曜日の朝8時頃。ハバシュ副操縦士の操縦する20人乗りのミニプレインが、周光来宅の裏手の空き地に垂直降下した。料理人が用意した5人分のサンドウィッチとコーヒーを携えたヒカリが、乗降口のドアを上り機内に入る。続いてアーウィン、マルティネス、ダイチが乗り込むと、ハバシュが総員揃ったことを確認し、ドアを上げる。浮揚エンジンが起動し機体が浮かび上がったのち、メインエンジンの推進力で一路武漢へと向かう。
 1時間弱のフライトの後、武昌街区の外れの空き地に着陸する。晴れ上がった空が広がる。漢陽書記の孫強が自分のエアカーでお出迎え。漢陽支団警務隊の車が随行する。孫強の車に6人乗るのは窮屈だ、とダイチが乗った警務隊の車を先導に、武昌の街区を長江のほうへと向かう。上海と同様の街並みをコンパクトにしただけ、といえばそうなる。それでも武漢長江大橋を渡るときは、雄大な長江の眺めにアーウィンとマルティネスが声をあげる。
[帰りに車を止めて、橋の上からの眺めを満喫していただきましょう]と孫強が言う。
【実は孫書記は、つい最近まで武昌支団の公安局局長だったのです。漢陽を立て直すために漢陽の書記として活躍されているのです】とヒカリ。
【ほう。漢陽はそんなに問題だったのかね】とアーウィン。
[前任の書記がひどい奴で、贈収賄や詐欺、賭博がはびこっていました。腐敗した分子の中心人物たちを一掃して、やっとどうにか形がついてきたところです]
 孫強の話にマルティネスもハバシュも興味深げに聞き入る。
 車は漢陽を回ったのち漢口にはいり、ぐるりと一周すると再び武漢長江大橋へ。橋の途中で車をとめて、眺望を楽しむ。
 10時半頃、一行は武昌支団オフィスの駐車場に着いた。今日1日警備の任に当たる漢陽の2人の警務隊員も合わせて、8人がエレベーターでオフィスフロアへと下りる。
 オフィスの入り口には二人の副書記、グエンとカオル。
[ようこそ武昌へいらっしゃいました]とグエン。
 重いスライドドアを開けて8人を招じ入れる。2人の警務隊員は武昌支団警務隊のデスクのほうへ向かう。カオルが先導する形で最高幹部用の会議室へ案内する。
 グエンとカオルが自己紹介し、ヒカリが連邦側の3人の紹介をする。
[失礼します]と言ってボーイッシュな張子涵と、対照的に乙女風の陳春鈴が盆に茶をのせて運んでくる。
【彼女たちも、武昌の幹部職員なんですよ】
【君のこちらでのお仲間なんだね】とアーウィン。
【ちなみにグエンさんは、今のわたしの上司です】
【そうですか。グエンさん、ヒカリ君は私の部下のようなものでした】
[それはそれは、お互い部下に恵まれていますこと]
 お茶を出したあと、会議室を出たところで陳春鈴が小さな声で、けれど大袈裟に騒ぐ。
[西洋人だ。西洋人だよ、張子涵]
[何を言ってんだい、陳春鈴]
[だって西洋人がいるんだよ]
[わかった。あとの会合でまた顔合わせるんだから、それまでには気を落ちつけてくれよ]
[だって…西洋人が3人もいるんだもん…]
 陳春鈴にとってはアラブ人のハバシュも「西洋人」になるようだ。

(つづく)


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