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天使のみなさま、祝福はリモートにて願います 上

天歌(あまうた)市は人口20万の地方都市。落ち着いた旧十万石の城下町で、高校生活を送ったヒロインたちのお話「天歌(あまうた)シリーズ」です。
ゲームの専門学校で出会った彼女は、勉強ができて、ドラムスができて、プログラミングができる才女。同じ会社で働くことになったボク、はそんな彼女の、そのかわいい寝顔を見るのが好き。人生の岐路に立ち、彼女の家族に会いに行った彼女とボクを、天使たちが集って祝福してくれました。


1.「眠りの天才」

 彼女の、そのかわいい寝顔を初めて見たのは、4年前の3月初めの土曜日のことだった。

 ゲームの専門学校の2年生の終わり。ボクたちは卒業制作の追い込みのため、授業のない土曜日の教室に詰めていた。開発機のディスプレイを睨んで格闘しているボク。ふと右横に座っている彼女のほうを見ると、疲れていたのだろう、デスクの上に組んだ腕にちょこんと乗せた顔をボクのほうに向けて、スヤスヤと寝息を立てていた。
 しばらく見とれていたボクは、彼女がいつだったか、こう言っていたのを思い出した。
「眠ってるときが、人生で一番幸せだよ」
 その言葉のとおり幸せそうな、かわいい寝顔だった。

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 2月最後の土曜日、彼女とボクは、東京駅を10時過ぎに出る新幹線に乗り込んだ。
 勤務先が運営するオンラインゲームで、前の日の深夜に深刻なバグが発覚し、プログラム修正作業の応援に彼女は呼び出された。部屋に戻ってきたのは早朝5時頃。数時間仮眠をとっただけの彼女は、二列シートの窓側の座席に着くと、ほどなく眠り始めた。
 彼女の向こうに見える窓の外を、どんどん後ろに飛んでいく風景。新幹線に乗るのは高校の修学旅行以来のボクの目には、新鮮に映った。そして4年前から変わらない彼女のかわいい寝顔は、ボクの隣の席に乗っかったまま新幹線で運ばれていく。

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 彼女の寝顔をボクが初めて間近に見たのは、3年半ほど前。彼女がボクの同僚になってから半年ほどした9月のことだった。
 深夜の彼女の部屋。シャワーから出てきたボクの前で、彼女はベッドに横向きになってすやすやと寝ていた。いたいけなくて、無防備な、そしてなんともかわいいその寝顔。触れた途端に壊れてしまいそうな儚さを感じたボクは、そのまま何もせずにベッドから下りた。

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 高校までの彼女は「眠りの天才」だった。もちろん本人がそう言ったんじゃなくて、ボクが彼女の話を聞いて得た印象だ。

 彼女がゲームに本格的にのめり込んだのは、中学生になってから。中学では吹部、高校では軽音部のバンドに加入してドラムスをやっていた。家で過ごす時間はもっぱらゲームプレイとドラムスの練習。それでいて睡眠時間は毎日8時間を絶対に下回らなかった。
 さぞや勉強は...と思ったら、地元のお嬢様学校の最難関校受験クラスに高校から入り、一般クラスも含めて200人以上いる同学年の中で、上位10番台を常にキープしていた。
「いつ勉強してたの?」あるときボクは彼女に尋ねた。
「もちろん授業中。そのための授業じゃね?」
「でも宿題とか」
「授業聞きながら、宿題になりそうな問題解いてた」

 ボクは、小学校低学年からゲームを始めた。母子家庭で一人で過ごすことの多かったボクは、母親が買い与えてくれたゲーム機に熱中した。中学に入るとタブレットを買ってもらい、自分でゲームキャラクターを描くようになった。ボクが彼女と違って天才ではなかったのは、学校の勉強がさっぱりだったこと。年が明けてからやっつけで準備して、どうにか近所の公立高校に滑り込んだ。
 転機が訪れたのは、高校1年のときに応募したキャラクターデザインのコンテストで、佳作に入ったときのこと。中堅ゲームディベロッパーのAGL株式会社から「入選作を制作中のゲームのキャラクターの一人に使いたい」という話をいただいた。それがきっかけで、高校に通いながら放課後にAGLでアルバイトを始めた。

 高校を出た彼女は、東京の名門私大SH大学の理工学部に通いながら、専門学校の夜間部でゲームプログラミングを学んだ。
 ボクは高校を出ると、AGLでフルタイムのアルバイトとして働きながら、彼女と同じ専門学校の夜間部で3DCGの制作を学んだ。AGLはボクの2年間の学費のうち半額を負担し、残りは貸与という形でサポートしてくれた。

 二人が出会ったのは、入学後1ヶ月間の導入教育のクラスで机を並べたとき。ボクはクラスメイトから彼女のことを聞いて、「どうせ資産家のお嬢様のお遊びだろう」と思っていた。その彼女は、ボクのことを「ひ弱なゲームオタク」と思っていたらしい。彼女のボクについての印象は「当たらずとも遠からず」だが、ボクの彼女についての印象は的外れだったことが後にわかった。

 1年半プログラミングコースと3DCGコースに分かれて学んだ後、2年の後半はチームを組んでゲーム制作実習。それぞれのコースでトップの成績だったボクと彼女はチームを組むことになった。しばらくしてボクは彼女のプログラミングのセンスに圧倒された。そしてゲームに対する純粋な情熱に、最初の印象を取り下げることとなった。あとで聞いたところでは、彼女も同じ頃に、ボクのキャラクターデザインのセンスとゲームに対する情熱を認めてくれるようになったらしい。

 専門学校卒業時点で、ボクはAGLの正社員になることが決まっていた。
 大学と専門学校の掛け持ちで平均睡眠時間が一日に6時間を下回るようになっていた彼女。大学に専念して元の8時間睡眠に戻るのかと思ったら、ボクにこんな相談をしてきた。
「制作現場に入って経験するために、ゲーム会社で長期インターンをしたい」
「大学は休学するの?」
「うん。なので、キミの勤め先を紹介してくれないかな」
 ボクは所属していたグループのディレクターに相談し、技術統括の副社長とディレクターが彼女を面接した。その結果、彼女はAGLでフルタイムで働くこととなった。アルバイト待遇で、とりあえず半年の契約。

 ちょうど世界的なパンデミックが波及した時期に働き始めた彼女は、一時期出社もままならない状況だったけれど、次第に頭角を現していった。ボクと同じグループのプログラミングチームに配属され、半年後1回目の契約更改の頃には一人前のプログラマーに育っていた。大学に籍を置くインターンということを、チームのだれもが忘れるほどだった。

 ショートヘアでボーイッシュな彼女。AGLのオフィスでの服装もデニムのパンツスタイルがほとんどで、女の子という雰囲気はほとんど感じられなかった。ボクも専門学校の同期生として、普段は性別を意識することなく付き合った。チームが違うので、彼女と仕事で直接言葉を交わすことは少なかったけれど、ランチを一緒にし、夜食のコンビニ弁当を一緒に食べた。
 ただ、仮眠している彼女の寝顔を見ると、改めて女の子であることを意識させられた。

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 新幹線に乗車して30分くらい経った頃、ボクは手洗いに行ったついでに、自販機でコーヒーを2本買ってから席に戻った。小柄な体で座席にちょこんと収まった彼女。かわいい寝顔はそのままにして、自分の分のコーヒーに口をつける。

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 彼女がAGLに入ってからほぼ半年経った9月半ばの金曜日。ボクらが所属するグループが担当するタイトルの制作が佳境に入り、ボクや彼女も含めて多くのメンバーが徹夜、休日出勤続きになっていた。社長命令でその日は全員定時で退社し、リフレッシュのため週末の出勤は禁止となった。

 ボクは彼女から、オフィスの近くのよく行く洋食屋に誘われた。食事を終えると彼女が言った。
「今日、ウチに寄ってかね?」
「寄ってくって、方向正反対なんだけど」とボク。
「じゃあ、泊まってく?」
 ボーイッシュな彼女の、その言葉の意味をよく考えずにボクは答えた。
「うん。じゃ、せっかくだから」
 母親に「会社の人のところに泊まる」と連絡。泊まり込みも慣れたものなので、とやかく言われない。

 彼女の部屋に向かう電車の中、「緊急停止します」というアナウンスと同時に、非常ブレーキがかかった。強烈な減速Gに体勢を崩した彼女。その胸元がボクの腕に押し付けられる形になった。
 細身のボディに、いつもゆったりとした着こなしの彼女の外見からは、思いもつかない柔らかな膨らみの感触が伝わってきた。
「大人の女性の部屋に泊まる」ということが何を意味するのか、ようやく気付かされることとなった。

2.当直明けの見習い天使

 独り暮らしには少し広めかな、と思わせる1DKの部屋。白を基調にしたシンプルなインテリアで、机の周りの一角以外はそんなに物も置いていない。机の上にはノートPCとゲーム機がいくつか。乱雑気味にソフトパッケージが積み上がっている。書棚に並んでいるのは主に大学のテキストだろう。横にゲーム誌がこれも積み上げられている。

 ダイニングのテーブルに座って、彼女の淹れてくれたコーヒーのご馳走になる。
 しばらく他愛のない話をした後、彼女が改まったようにして言った。
「明日はわたしの誕生日なんだ」
 今日オフィスで、1日早いプレゼントの贈呈式が行われていたのを思い出した。
「21になるんだよね」
「だから、二十歳(はたち)のうちに...経験しておきたい」
 彼女のその言葉に一瞬気後れした。
「ひょっとして?」
「うん」
 次の言葉をなかなか言い出せなかった。
「実は...ボクも」
「そう...それはそれで、嬉しいかも」

 しばらく沈黙が流れた。コーヒーを啜る音。テーブルの端のデジタル時計が9時になっていた。
 おずおずとボクが切り出す。
「ほんとにボクで、いいの?」
「なんとなくキミだと思っていた。一緒に卒業制作やってた頃から」
「でも...ごめん、こういう展開予想できてなくて...コンビニ行って来ようか?」
「大丈夫」
 そう言うと彼女は立ち上がって、チェストの上段から小ぶりの箱を持ってきた。
「独り暮らし始めるときに、母親が渡してくれた。『遅かれ早かれ必要になるだろうから』って」
 渡してくれた箱はシュリンク包装がかかったままで、正真正銘の未使用だった。

 着替えを持っていないボクに、彼女はちょうど洗濯したてのゆったりめのバスローブを貸してくれた。念入りにシャワーを浴びて、念入りに髪を拭いて、そして念入りに口をすすいだ。

「お先」と言いながら出てきたボクが目にしたのは、ベッドに横向きになって眠っている彼女。身につけているのは白のTシャツと白のショーツだけ。彼女の白い肌に溶け込んで、ショートヘアの髪の毛の黒以外は全身白一色だった。両腕を胸元にたたみこんで、両膝を曲げたこぢんまりとした体勢。

 当直明けで休んでいる見習いの天使がいるとしたら、たぶんこんなふうだろうと思った。

 ベッドに上がって、彼女の顔に自分の顔を近づける。いたいけなくて、無防備で、そしてなんともかわいいその寝顔。「Fragile」と言うのだろうか、触れた途端にすべてが壊れてしまいそうな儚さを感じたボクは、そのまま何もせずにベッドから下りた。彼女の上に春秋物の薄手の布団を掛けると、ボクは置いてあったタオルケットをかぶって、フローリングの上に身を横たえた。

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 シャワーの音に目が覚めた。上半身を起こして、ベッドサイドの古風な目覚まし時計を見ると、6時少し前。ベッドの上は藻抜けの空だ。ボクは起き上がると、タオルケットを畳んでベッドの端に腰をかける。
 喉の渇きを感じ、ダイニングに行き昨晩コーヒーを飲んだカップに水を注いで飲む。ついでに念入りに口をすすぐ。シャワーの音が止まった。
 ベッドに戻り再び腰をかける。「箱」に手を伸ばして、シュリンク包装を破いて使用方法に目を通す。しばらく待っていると、バスタオルを体に巻きつけただけの彼女が出てきた。ダイニングで水を一口飲むと、ボクの横に腰を下ろす。

 ゆっくりと彼女が話し始める。
「ごめんね。自分から言っといて眠っちゃった。それに...隣に寝てくれたらよかったのに」
「いや...なんか、その」
「...体、痛くなかった?」
「オフィスの仮眠で慣れてるから」
「それもそうだね」

 二人はしばらく、黙ってダイニングのほうを見ていた。
 どちらからともなく向き合う。ボクが顔を近づける。それに合わせて彼女も顔を近づける。
 目を閉じて、唇と唇をそっと重ね合わせる。彼女の体から漂うボディーローションの仄かな香り。

 重ねた唇を離し、至近距離で向き合う。
「21になっちゃったね」
「そうだね。でも、キミが最初のヒトになることのほうが大事」
 バスタオルをそっと外す。白い肌が露になる。ボクの掌にすっぽりと納まってしまいそうな、それでいて自らの存在をしっかりと主張する彼女の胸の膨らみ。
 バスローブを脱ぐ。もう一度彼女と唇を重ね、そのまま倒れ込んでベッドの上に身を横たえる。

 その瞬間、ボクを見上げる彼女の顔に浮かんだ苦痛の表情。やさしく、ゆっくりと動く。やがて彼女の口から洩れ出す、喘ぎ声と言うにはあまりにも微かな息遣い。
 そんなに長い時間ではなかったと思う。けれど永遠のように感じた。終わって、やさしくキスをして、しばらくすると眠りこむ彼女。その寝顔をしばらく眺めて、ボクも眠りにつく。

 二人が目覚めたときは、もう昼頃になっていた。最初に彼女が起き上がって、Tシャツにインディゴブルーのデニムを身に付けた。ボクも起き上がると、昨日着ていた衣装で身を包む。
「お昼食べに出かけようか」と彼女。
「そうだね。コンビニかどこかで下着買いたいし」
「それに...シーツ洗いにランドリーにも行かなくちゃ」

 ボクたちはそのまま「半同棲状態」になった。毎週末、ボクは彼女の部屋で過ごす。母子家庭で、小さいころからボクを構うことができなかった母親は、いまさらとやかく言わなかった。けれど1ヶ月ほど経った頃、こう言った。
「たまにはこちらにお連れしなさい。ご馳走してあげたいから」

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 彼女の故郷、天歌(あまうた)市は、東京から新幹線で1時間ほどの十海(とおみ)県にある。二人の乗った列車は、県庁所在地の十海駅に近付きつつあった。減速し始めるとすぐに車内放送のチャイムが鳴り、まもなく到着することが告げられた。

「もうすぐだよ」とボクは彼女に声をかける。
 なかなか目覚めようとしない彼女に、声のトーンを上げてもう一度言う。
「起きなくちゃ。乗り過ごしちゃうよ」
 彼女の体が微かに動きはじめ、ゆっくりと目を開ける。体を起こすと腕を上にあげて伸びをする。

「おはよう。タエコ」と、ボクは彼女、内田多恵子(うちだ たえこ)に挨拶する。
「おはよう。ツバサ」と、彼女はボク、城之内翼(じょうのうち つばさ)に挨拶する。

3.タエコの決断

 十海(とおみ)駅の新幹線ホームに降り立ったボクたち。普段と変わらないカジュアルな装いのタエコは、明日着るためのセミフォーマルのワンピースを、キャリーバッグに入れている。ボクは、慣れないスーツ上下に薄手のコートを羽織っている。着替えのシャツと下着、寝間着代わりのジャージ上下は、肩掛けのビジネスケースの中。もちろん二人ともノートPCを携行している。
 県庁所在地だけあって降りる人も多く、少し列ができた新幹線の改札を通り、天歌(あまうた)方面の在来線のホームに行く。11時10分発の列車はちょうど出たところで、次は11時25分発。
「懐かしい?」とボクがタエコに聞く。
「そこそこ。たいていの用は天歌で足りたから。家族に連れられて買い物に来たり、たまに大きなゲーム店を覗きに来たくらいかな」
 4両編成の列車が入ってきた。乗り込んでボックス席に並んで腰かける。新幹線の車内でボクが買ったコーヒーの蓋を開けて、タエコが飲み始めた。

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 タエコは、2年間をアルバイト待遇のインターンで過ごしたのち、3年目には契約社員待遇になっていた。
 ボクの正社員としてのキャリアも順調だった。1年目にメインキャラクターのデザインを任され、作品はヒットした。2年目はグラフィックデザインのサブリーダー、そして3年目に企画職と兼任でグラフィックデザインのリーダーになっていた。
 そして4年目、タエコはプログラミングのサブリーダーに任命された。契約社員待遇のインターンとしては異例の抜擢だったが、職場のだれからも異論は出なかった。

 タエコは、決断しなければならない時期に差し掛かっていた。
 大学の休学期限は4年。学士号を取るなら翌年度に学校に戻らなければならない。単位は2年間で目一杯取っていたし成績も良かったので、最短あと1年で卒業できる。けれどもそれまでの間、会社で働くならパートタイムのアルバイト。そして卒業後については、改めて正社員採用されるけれど、ゲーム制作グループではなく事業開発グループに配属されることになる。そのように技術担当の副社長から言い渡されていた。
 このままゲーム制作を続ければ、正社員登用のうえ、ゆくゆくはプログラミングリーダーへの昇格も見込まれる。ただし、大学のほうは中退しなければならない。

 タエコの出した結論は、大学を中退してこのままゲーム制作の現場に留まることだった。
「本当にそれでいいの?」
「今はゲーム作りのほうに専念したい。大学は復学の制度があるし、他にも3年次編入とか、あとから学位をとる方法はあるから」

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 こうして彼女の故郷、天歌市へと向かっているのは、彼女の家族、とりわけおじいさまのお許しを得るためだった。
 ひとつは、彼女が大学を中退してAGLで働き続けること。
 そしてもうひとつは、タエコとボクが入籍すること。

 ゆったりと流れる大きな川を渡ると天歌市に入る。
 新幹線は当初の計画では、天歌駅に乗り入れることになっていた。しかし、旧天歌藩十万石の城下町の落ち着いた佇まいが損なわれる、との強い反対論が出て、市の北部をトンネルで通り過ぎることになった。
 開業後「やはり市内に新幹線の駅を」と言う声が上がり、十海駅を出て川を渡って天歌市に入ってすぐ、トンネルに入る手前のところに、新天歌駅が作られた。

 今回タエコは、新幹線の駅を使わずに、わざわざ在来線に乗り換えて天歌駅に降り立つことにした。ランチをともにしてくれる懐かしい面々のお出迎えを、懐かしい地元の駅で受けたかったからだという。しかもランチのお店が天歌駅前商店街にあり、歩いて行ける距離。

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「懐かしい面々」と言えば、ちょうど一週間前に、東京にいるタエコの高校時代の仲間とそのゆかりの人と食事をした。集まったのはタエコとボクを入れて全部で6人。SH大の近くのカジュアルなイタリアンのお店で7時からの約束だったけれど、肝心なボクたちがなかなか仕事を抜けられなくて1時間遅刻。駆けつけたときには、他の4人はすっかりいい感じにできあがっていた。

 タエコがボクに4人を紹介する。

 最初は、マイこと坂上麻衣(さかうえ まい)さん。タエコが私立ルミナス女子高校、通称「ルミ女(るみじょ)」時代にドラムスで加入していたバンド「ミクッツ」のリーダーでギタープレイヤー。SH大と並ぶ私学の雄のM大で図書館情報学を学び、修士号を取って4月からは首都圏のB市に司書職として勤務することが決まっている。
 次は、マイさんのパートナーでタイこと円城寺太(えんじょうじ たい)さん。マイさんの3つ年上でM大の修士を出て、今は国立国会図書館の職員。
 マイさんとタイさんは去年入籍した。
「図書館カップルですね」とボク。
「そんな小説があったね。シチュエーションは違うけど」とタイさん。

 その次は、ミクこと鷹司 紅(たかつかさ みく)さん。ミクッツの初代ベーシスト兼メインボーカル。名門私大の教育学部を出て、今は系列校で音楽の先生をしている。
「でね、私は転校の身の上になって2年の夏に脱退したんだけど、後任がとんでもない逸材で、それがなんと...」と喋り出したら止まらなそうなミクさんを、マイさんが制して言う。
「来週天歌で現物見るんだから、それくらいでいいんじゃない?」
「そうそう、忘れてた」と言うと、握った右手をおでこの斜め上に当てて「エヘ」とミクさん。

 そして最後に、リツコこと富山律子(とみやま りつこ)さん。ルミ女時代のミクさんのクラスメイトで、マイさんやタエコとは東京に出てきてから懇意になった。名門女子大卒で英語が堪能。十海市に本社がある商社に就職し、今年から再び東京に出てきて貿易関係の仕事をしている。

「それにしてもみなさん、学歴が半端ないですね。専門学校卒の自分には、眩し過ぎて」と言うボクの腕を手の甲でノックしながら、タエコが言う。
「心配無用。わたしも『最終学歴専門学校卒』の予定だから。とりあえず」

4.城之内のジョー

 列車は12時少し前に天歌(あまうた)駅に着いた。改札で12時の待ち合わせにちょうど間に合った。
「お疲れさま」と言ってタエコとボクを迎えてくれたのは4人。
「あれ、少なくね? マーちゃんたちは土曜講習あるから遅れてくるって言ってたけれど」とタエコ。
「うん。いろいろあって、さらに3人、遅れてくると連絡があった」とタエコのお兄さま。
「まあ、とりあえず行こう」とお兄さまに先導される形で、6人でランチのお店に向かった。

「JUJU」というハンバーガーショップについては、タエコから何度も話を聞いていた。ミクッツの御用達で、バンドの練習やステージの後は、ほぼいつもこのお店で反省会や打ち上げをやっていたという。
 タエコによれば、食欲旺盛な腹ペコさんにはクラシックバーガーのセットが、そうでない人には野菜たっぷりのベジタブルバーガーのセットがおすすめとのことで、ボクは、食欲旺盛とは言えないけれどクラシックバーガーセットに挑戦することにした。
「わたしはもちろん、クラシックバーガーセット」とタエコ。
「相変わらず『たらふくプリンセス』だね、タエコは」と言った女性は、ミカさん。

 カウンターで6人分の注文をすると、予約席として押さえてあった6人掛けのテーブル2つのうちの一つに着席する。
「忙しい?」とタエコに、ボブカットでつぶらな瞳の女性が聞く。彼女はヨッシーさん。
「今はそんなでもないけれど、昨日の晩に別のグループのトラブル対応に駆り出されちゃって、部屋に戻ったのは朝5時」とタエコが答える。
「大変だね。眠くない?」とミカさん。1000人中999人が文句なく認めるであろう美人。
「うん。新幹線の中でずっと寝てきたし。今は大丈夫」
「しかし、毎日必ず8時間以上は寝ていたタエコが、様変わりだね」とお兄さま。
「人生の最初に十分『寝溜め』してきたってとこかな」

 お店のオーナーらしき男性が、アルバイトの女性2人を従えて6人分のセットを運んできた。
「タエコちゃん。こちらが、フィアンセの方?」
「はじめまして。城之内翼です」
「こちら、JUJUのオーナーの半澤さん」とタエコ。
「店長って呼ばれてるけどね」と半澤さん。
「店長には高校のときからお世話になりっぱなし。ヨッシーは今でもバイトに入ってるんだよね」
「うん。週に2回か3回」

「あの...」とバイトの女性の一人がボクに向かって言った。
「ジョー・ツバサさんですよね」
「え、ええ。そうですけど」
「私、『SLデビルズ』の大ファンなんです。あとで...サインいただいてもいいですか!?」
「あ、はい。よかったら、どうぞ」
「じゃあ、1時になったらシフト明けるんで、そのあとよろしいですか?」
「いいですよ」

 バイトの女性2人がカウンターに戻って行った。
「ごめんね、プライベートのところ。悪い子じゃないから大目に見てやってね」と半澤さん。
「あの子と私、仲が良くって。『高校の仲間にAGLの人がいる』って言ったら、話に食いついてきて白状させられちゃったの。悪いのは私だから」とヨッシーさん。
「気にしないでください。ファンサービスも大事な仕事のうちですから」とボク。
「じゃあ、どうぞごゆっくり」と言って半澤さんも戻って行った。

 運ばれてきたバーガーに、みんな一斉にとりかかる。ひとくち口にして思わず「おいしい」の言葉がボクの口から洩れた。
「バーガーも絶品だけれど、ポテトもただものじゃないよ。食べて、食べて」とミカさんの隣の男性。タイシさん。
 ボクは夢中で一気に食べて、10分くらいで完食した。
「ツバサにしては珍しい。よほどおいしかったんだね」とタエコがニッコリ。

「ところで『ジョー』は、城之内のジョー?」とお兄さま。
「ええ。『ジョーノウチ』は長ったらしいので」
「私もやったよ、SLデビルズ。ゲームはほとんどやらないけど、面白かった」とヨッシー。
「私は...ごめんなさい。やってみたけれど、やっぱりゲームは苦手で」とミカさん。
「いいんです。そういう方にも楽しんでいただけるような仕掛けを作るのが、ボクたちの使命ですから」
「正式タイトルは『スケアリー・ラブリー・デビルズ』だよね。『ラブリー』が先でもよかったんじゃない?」とお兄さま。
「ええ。そういう案もありました。けれど、イニシャルが...」
「そうか。『LSD』じゃ禁止薬物になっちゃうよね」とタイシさん。

 頃合いを見計らっていたように、タエコが口を開く。
「じゃあ。ひとまずここにいる面々から紹介するね」

 最初に、ミカこと森宮美香(もりみや みか)さん。ルミ女のミクッツの二代目ベーシスト兼メインボーカル。市立中学時代のクラスメイトだったノエルさんという男性が、闘病生活の末に亡くなったことをきっかけに医師になることを志し、一浪して国立天歌大学、通称「天大(あまだい)」の医学部医学科に進んだ。今は5年生で臨床実習中。
 その隣に座っているのが、タイシこと中村大志(なかむら たいし)さん。県立天歌高校時代のノエルさんの親友。ノエルさんの最後の日々にミカさんと知り合った。お父さまが医師で、天大医学部に現役で進学。今は6年生で、2月初めに受けた医師国家試験の合格発表待ち。

 タイシさんの隣が、ヨッシーこと吉野未来(よしの みく)さん。ミクッツではキーボード兼サイドボーカル。高校2年のときに知り合ったタエコのお兄さまの影響で弁護士を目指し、お兄さまのカテキョーを受けて天大法学部に合格した。今は天大の法科大学院の2年生。来年はいよいよ司法試験に挑戦する。
 ヨッシーさんの向かい、タエコの隣に座っているのがタエコのお兄さま、内田恵一(うちだ けいいち)さん。タエコの2歳年上で、天大法学部4年のときに司法試験予備試験に合格。翌年の司法試験は不合格だったけれど、その次の年に合格。1年間の司法修習の後、今年から十海(とおみ)市の法律事務所に勤務している。お兄さまのことをタエコはふだん「アニキ」と呼び、ヨッシーさんは「ケイさん」と呼ぶ。

 ミカさんとタイシさん、ヨッシーさんとお兄さまは、去年の秋、ちょうど同じ頃に婚約した。ミカさんとタイシさんは、ミカさんが卒業するタイミングで結婚する予定。ヨッシーさんとお兄さまは時期未定。「お兄さまが弁護士として独り立ちしたら」とのこと。

5.パートナーのかたち

 12時40分頃に、小柄な男女の二人連れが店に入ってきた。ボクたちの席のほうへとやってくる。コトネさんとカケル君だ。
「すみません。夜勤明けで仮眠をとって、目が覚めたら12時ちょっと前。あわててミカさんに連絡して、支度して来たので遅くなっちゃいました」とコトネさん。
「実は僕も、うたた寝してて寝過ごしました」とカケルくん。
 二人がカウンターへ注文しに行っている間に、お兄さまとヨッシーさんが隣のテーブルに移る。

 戻ってきて席に着いた二人を、ミカさんがボクらに紹介する。

 女性のほうが、コトネこと永山琴音(ながやま ことね)さん。県立天歌(あまうた)高校のタイシさんの1年後輩にあたる。中学・高校と走り幅跳びの選手だった。高校の陸上部の先輩だったノエルさんの縁でミカさん、タイシさんと知り合いになった。天大(あまだい)医学部看護学科を卒業し、今年から付属病院で看護師として働いている。
 男性は、カケルこと宮内翔(みやうち かける)くん。コトネさんと同学年で短距離の選手、同じく高校の陸上部でノエルさんの後輩だった。卒業後は天大経済学部に進み、今は天歌市の栄優食品流通に勤務している。
 中学時代からのつき合いだった二人は、今年晴れて入籍したとのこと。

「本部長には、いつもかわいがっていただいています」とカケル君がタエコに言った。
 彼が勤める栄優食品流通グループは、タエコのおじいさまが創業し、天歌市で最大手の企業グループに育て上げた会社。タエコの上のお兄さまが、SH大を卒業して入社し、今は営業本部長をされている。
「病院の夜勤は大変でしょう」とタエコがコトネさんに言う。
「そうですね。最近やっとサイクルに慣れてきました。でもゲーム制作のお仕事こそ、夜昼無しなしですよね」
「普段はそうでもないけれど、リリースが近くなったりトラブルが起こるとね」

 1時を回った頃、さっきのバイトの子が色紙とマジックを持ってやってきた。名前を聞いて色紙にサインをしようとしかけて止める。
「こちら、SLデビルズのプログラマーだけれど、彼女のサインもいかがですか」とタエコを指して聞く。
「わあ、嬉しいです。是非、お願いします!」
 ボクが宛名とタイトル名、自分のサインを慣れた手つきで書いて、タエコに色紙を渡す。たしかタエコはサインは初めてのはず。緊張気味に自分の名前を書いて、その子に色紙を渡す。
「ありがとうございます!」とお礼を言う彼女。
「これからも『こわカワイイ』路線でいかれるのですか?」
「そうですね。まあ、いろいろと考えてますので、楽しみにしてください」
 彼女は色紙を大事そうに抱えて立ち去った。

 入れ替わるように、背が高くて髪の長い女性がやってきた。ルカさんだ。
「ごめん、ごめん。クライアントとの打ち合わせが長引いちゃって」
 タイシさんが隣のテーブルに移り、注文を終えたルカさんが席に着く。

 タエコが紹介する。

 ルカこと浅山輝佳(あさやま てるか)さんは、ルミ女でタエコたちの2年上の先輩。系列のルミナス女子大学在学中に、司法試験受験サークルでお兄さまとヨッシーさんと知り合った。同学年のお兄さまと同じタイミングで予備試験に受かり、翌年に本試験に受かった。今はお兄さまと同じ事務所の先輩弁護士。
「東京でミクに会ったとき、もうすぐ結婚するって聞いたよね」とルカさん。
「はい。5月とか」とボク。
「そうすると、私は晴れて彼女の年上の妹になる」
「じゃあ、お相手は」
「そう、私の兄。それでヨッシーは私の妹分だから、いずれ君はミクの義理の弟分になるということさ」
 家系図のようなものを頭に描いて、やっとボクは合点がいった。

 話が弾んで30分ほど経ったところで、スーツ姿の女性の二人連れがやってきた。ルミ女の先生をしているマーちゃんとクーちゃん。ルカさんとコトネさん、カケル君が隣のテーブルに移り、カウンターで注文した二人が席に着くと、隣のテーブルからヨッシーさんがやってきた。

 タエコが二人のことを紹介する。

 マーちゃんこと早川纏衣(はやかわ まとい)さん。タエコと同じくドラマーで、ルミ女軽音部の代々続く看板バンド「ルミッコ」のリーダーだった。ミクッツとのコラボセッションはいまでも伝説になっているという。地元の県立十海(とおみ)大学で物理学を専攻し、卒業後は母校のルミ女で理科の教諭として勤めている。
 そして、クーちゃんこと羽根田空良(はねだ そら)さん。ルミ女でタエコたちの1年後輩。文芸部の部長で、文科系の部活の部長会でマーちゃんと知り合い、仲良くなった。マーちゃんを追うように県立十海大学で物理学を学び、卒業後ルミ女の数学の教諭となった。

「このお店はね、私とクーちゃんの思い出の店でもあるんだよ。ねえ」とマーちゃん。
「ええ。節目々々をこのお店で」とクーちゃん。
 十海市では、天歌市より2年遅れて、去年の4月から同性パートナーシップ宣誓制度が始まった。二人はその適用第1号。
「それを決めたのも、このお店なんだよ」とマーちゃん
「でも、お嬢様学校の先生だと、いろいろと言われるんじゃないんですか?」とボク。
「理事長も学校長もリベラルな考えの方で、二人とも祝福してくださった。理事長は『多様性を認める社会のよい実例となってください』と、校長は『変に言われると貴女方が損をするから、学内での振る舞いには気をつけて』とおっしゃった」

 マーちゃん、というか早川先生とは、ボクは何度かWeb会議で話をしたことがある。AGLの事業開発グループが参画している教育ゲーミフィケーションプロジェクトで、生徒たちにプレイしてもらう教育用ゲームのキャラクターデザインをボクが担当している。県立十海大学と十海市のITベンチャーが中心となって立ち上げた企画で、ルミナス女子大、天大、そして早川先生からタエコを通じて紹介されたAGLがJVパートナー。実証実験がこの秋にもルミ女で実施される予定で、キャラクターのイメージについてボクは早川先生と打ち合わせをした。

 2時を回った頃に、店長の半澤さんがアルバイトの女性を連れて、トレーに載せたスウィーツを運んできた。
「はい。これは店からの差し入れ」
「わあ。ミニチョコレートサンデー」とミクッツメンバーから声が上がる。
「ライブの後とか、ご褒美でいただいていたのさ」とタエコがボクに説明する。
「これからもJUJUを、どうぞご贔屓に願いますね」と半澤さん。

<つづく>

#創作大賞2023 #恋愛小説部門


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