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364 喜の章(18) 5月1日から2日

61日目:2020年5月1日(金)
全国の感染者数 282人
十海県の感染者数  1人

「クシュン」
 ボクの隣でくしゃみの音が聞こえた。
 彼女の人となりを表すようなそのくしゃみは、美しく、可憐で、それでいて力強かった。

 5月最初の日は朝から暖かい。裸でベッドに横たわっていても、それほど苦にならない。それでもボクは、フローリングに落ちていた掛け布団を引き上げると、再び仰向けに横になりながらボクたちの上にかけた。

 布団伝いに彼女の体温を感じながら、ボクはその人、狩野希(かのう・のぞみ)に問いかける。
 ねえ、起きてる?
「うん...どうにか」
 聞きたいことがあるんだ。
「なあに?...ブラのカップなら...」
 それは前に聞いた。
「じゃあ、なに?」
 さっき、ボクが...入れた瞬間に、「ケネクティ」って言ったよね。あれはどういう意味?
「ああ、あれね」
 顔をぼくのほうに向けて続ける。
「スマホのイヤフォンは、ワイヤレス使ってるよね?」
 うん。
「両耳に装着すると、女の人の声で『ケネクティ』って言うでしょ」
 なるほど...そうか。
「あれって、『繋がった』っていう意味だよね」
 うん。
「だから、『キミとわたしが繋がった』という意味で言ってみたの」
 キミの言う「ケネクティ」をあえてジャパニーズ・イングリッシュで言うと「コネクティッド」。コネクターとかコネクションとかと仲間のコトバだよ。
「たしかにそう言われると、『コネクティッド』だね」
 でも、「ケネクティ」って響き、悪くないと思う。
「気に入った?」
 うん。
「じゃあ、これからも使っていい?」
 いいよ。

 しばらくまどろんでいると、股間のあたりに彼女の指の動きを感じる。刺激に対して正直なそれは、ほどなく反応する。掛け布団を無造作にフローリングに落とし、ボクのトランクスを脱がすと、彼女はすっかり硬くなったそれに、手慣れた動きでゴムを装着する。ショーツを脱いだ彼女が、仰向けのボクの腰のあたりにまたがる。自分の腰をゆっくりと落とし終えると、彼女の口から、少し恥じらいを帯びたコトバがこぼれる。
「ケネクティ」...

「キミは、24時間で何回、ケネクティしたことがあるの?」
 トーストの上でバターが溶けるのを見ながら、彼女がボクに聞く。
 ブランチというより、ほとんどランチの頃合いになっていた。お皿に落とした玉子をラップをかけてレンジでチンしただけの目玉焼きもどき、粉末のコーンポタージュスープ、果汁ミックスの野菜ジュース、そしてバタートーストという、調理の手間をセーブしたメニュー。
 バターナイフで表面にバターを広げ終わったボクは、トーストを一口齧ってから答える。
 そうだね...ふだんは1回か2回だったね。
「ルミ女出身のカノジョ?」
 うん。
「最高で何回?」
 うーん、思い出せないけど、たぶん3回じゃないかなと思う。
「ふうん」
 そう言うと、彼女は、自分のトーストの上で自然にとけたバターを、ゆっくり回すようにして、トースト全面に広げた。

「で、キミは、わたしに聞かないの?」
 なにを?
「ケネクティの回数」
 ええと...そういうことを男性から女性に聞くのって、失礼にあたらないのかな?
「前にも言ったけど、男だから、女だからっていうの、わたし、好きじゃないんだよね」
 そうだったね。
「そういうのが失礼にあたるかどうかは、二人の間の、なんていうのかな...関係性? その問題じゃないかなと思うの」
 たしかにそうだ。
「キミとボクの関係性は、それが失礼にあたるようなものだっけ」
 わかった。じゃあ聞くね。24時間での最大ケネクティ回数は?
「5回かな。記憶が正しければ」
 キミの場合...
「そう、複数の人。乱交ではないけどね」
 バスルームからアラーム音。彼女の洗濯物が乾燥まで済んだようだ。

「ねえ、せっかく5日間ずっとこの部屋で一緒にいれるんだから、なにかひとつくらい、有意義なことしない?」
 有意義なことって、なにを?
「24時間ケネクティ回数の個人記録を更新するの」
 彼女の提案が有意義かどうかは疑問。いや、それより...
 でも、正直言ってボクは、そんな自信ないし。
「こんなこともあるかと思って、買い込んどいたよ」
 そう言うと彼女は、ダイニングの端に積まれた栄養ドリンクのパックを指さした。
「それにご心配なく。ゴムの買い置きも大丈夫だよ、チャレンジャーの光崎歩(みつさき・あゆむ)さん」

 彼女とボクはその後、午後に1回、夜に1回、ケネクティした。24時間で合計4回。ボクの記録だった3回を上回った。

 ニュースは、昨日成立したコロナ対策の補正予算について、盛んに伝えている。定額給付金、中小企業・小規模事業者に最大200万円の持続化給付金、無利子・無担保元本返済5年据え置きの融資、税・社会保険料猶予...

 チャレンジ初日に更新されたボクのケネクティ個人記録については、報道される由もない。

62日目:2020年5月2日(土)
全国の感染者数 288人
十海県の感染者数  0人

 朝起きてすぐに本日1回目のケネクティ。

 終わって、しばらくまどろむと、彼女は起き上がりシャワーを浴びる。
 スキンケアをすますとバスローブのまま掃除機をかける。「そうしよう」のふしで「そうじしよう、そうじしよう」と歌いながら。

 ベッドに横たわったままで、この1か月の間に小さな部屋で彼女と交わしたコトバの数々を思い出す。
「そうしよう」の歌。
「紳士」。
「ご主人様」と「ペット」。
「ククク」という笑い声。ふだんより1オクターブ音域が高くなる。
 突き出した人差し指を左右に揺らしながら彼女が言う「う・そ・で・す・よ」。
 胎児姿勢で横になる彼女の後ろに、同じ格好でピッタリとボクがくっつく。数学が好きだった彼女が「相似形~」と言う。それからボクが彼女の胸元に腕を回して、2つの膨らみを包み込むように手のひらを置く。彼女が「定位置」と言う。
 そして「ケネクティ」...
 ずっと前に読んだ小説の前文にあったフレーズ。「密(ひそ)やかな谷間(たにあい)の地に住む人々はかれら独特のアクセントを生み、ついで方言を、しまいには独特の言語を作り出す」(*)。
 まだ知り合って2ヶ月だけど、ボクたちの間にもそんな「独特の言語」が、長い時間をかけて作り出されていくのだろうか。

 開け放った窓から入ってくる南風。照り付ける日光の熱が加わって、ぐんぐんと気温が上昇する。2日連続の夏日で、今年最高の気温になるらしい。
 テレビを見ながら遅めの朝ご飯。国内のコロナ死者数が500人を超え、巷では「自粛警察」が営業している飲食店に嫌がらせを行っているらしい。
「なんかピンとこないね、この部屋に二人でいると」
 そうだね。
 何も見なかったことにするように、ボクたちは本日2回目のケネクティを実行する。

 昼ご飯は、彼女が茹でたスパゲッティにレトルトのミートソース。
「頑張ってね。よろしく!」
 そう言いながら彼女は、ボクの皿の横に栄養ドリンクを2本置く。
 食後一息つくと、本日3回目のケネクティ。夏日の暖気が、窓越しに部屋の中に忍び込んでくる。彼女の肌にうっすらと汗が滲む。ボクの額にも汗が浮かぶ。

 まどろむ彼女をベッドに残し、ボクはシャワーを浴びる。バスタオルで体を拭い、濡れた髪を軽く拭くと、彼女の横に体を横たえ、浅い眠りにつく。
 目を覚ました彼女がボクの股間に刺激を与え、4回目のケネクティ。お昼の栄養ドリンクの効果があったかどうかは、定かではない。

 夕飯は、彼女が炊いたご飯にレトルトと缶詰のおかず。
 腰のあたりにたまった疲労感を打ち消すように、本日5回目のケネクティ。ボクは2日連続の記録更新。彼女はタイ記録。

<つづく>

*ジョン・アップダイク「メイプル夫妻の物語」(岩元 厳訳 新潮文庫)より


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