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364 喜の章(20) 5月7日から8日

67日目:2020年5月7日(木)
全国の感染者数 107人
十海県の感染者数  0人

 朝から晴れ。

 先に彼女がシャワーを浴び、続けて浴びたボクが出てくると、彼女は二人分のハムエッグを作っていた。

 食後のコーヒーをゆっくり味わう。今日の彼女はバイトも予定も無し。ボクの分の洗濯が終わり、例によってベランダに干す。昨日と同じくらいの暖かさ。少し風が出てきたようなので、しっかりと留める。
 彼女の分の洗濯は、これも例によって乾燥機にかける。

 彼女が調理した、タンメン風のインスタントラーメンの昼食。

「昨日はどこまで話、したっけ?」
 食後のコーヒーを飲みながら彼女が言う。
 大家さんの布団の話。
「そうそう、そうだった」
 彼女が続きを話し始める。

「住むところが決まったので、次は収入の確保ね。ルミ女のときにバイトをしてたコンビニのオーナーに連絡すると、ちょうど卒業した天大生の代わりを探しておられた。朝7時から夕方4時まで、お昼休憩を挟んで1日8時間のシフトに、土日を含む週5日入ることになった。手取りで12万少し切るくらい。どうにか最低限を確保したってところね」

「1ヶ月コンビニバイトで過ごして慣れてくると、もう少し稼ぎたくなってきた。夜の仕事となると飲食だけど、きつそうな割りには時給がいまいちなんだよね。そんな話をコンビニの同僚の子にしたら、ガールズバーとかどう?って言われた。同じ立ち仕事でも、一般の飲食よりは時給がいいらしい。天歌にあるかな? たぶんないと思う。やはり十海だね。少し躊躇したけど、こういうのを「背に腹は代えられない」というんだよね。検索して一番最初にヒットしたところにエントリーしたら、すぐに返信がきて2日後に履歴書持って面接に行った」

「キミも知ってのとおり、十海市一番の繁華街、長者町にあるそのお店の仕事の内容は、カウンター越しにドリンクを渡して、会話に付き合うだけ。水割りとか簡単なドリンクは自分で作るけれど、カクテルとかは男性のスタッフが作るのを渡すだけ。それ以上の接客は無し。サイトに書かれていた時給はコンビニの2割増くらいだったけど、ルミ女出身だから1割上乗せするけれど、どう?と言われた。ルミ女ブランドが金銭的価値を持つことを始めて実感した。翌日から、夜7時からとりあえず10時までシフトに入ることになった」

 夜のお仕事デビューだね。

「そうだね。最初は水割りを作るのさえぎこちなくて、どうやって会話をつなげればいいかもわからない状態だったけど、だんだんと、お客さんがそういうのを喜ぶことがわかって、自然体でやっていくようになった。リクエストで、カクテルの材料だけシェイカーにいれてもらったのを、お客さんの目の前でわたしが見様見真似のシェイクをして、カクテルグラスに注いでお出しすることもあったな。わたしが茶髪にしたのは、このお店で働いていたとき」

「わたしの初体験の相手は、そのお店のお客さんだったんだよ。だから19歳のとき」
 それって、どちらかというとオクテなほうなんじゃない?
「いまのわたしからは、信じられないかもしれないけどね」

「その人が初めて来たのは、働き始めて2ヶ月くらいして、わたし目当てのお客さんも増えて来た頃だった。背が高くて、ルックスも頭脳もスマートな、わたしより5つ年上の人。最初は会社の人と一緒だったけど、その次の土曜日の早い時間に一人でやってきた。東京の名門私立大学を出た、大手金融機関のエリート社員。とにかく話が面白くて、気がついたらお店が休みの日曜の夜にデートすることになったの」

「2つのバイト先とも制服だから、大した服を持っていない。一張羅っていうのかな、なんとかデートに着てってもおかしくない服を着て、待ち合わせの場所に行った。十海で一番の高級ホテルでお食事をして、そのまま彼が予約した部屋に行った。「恋人でなきゃヤダ」とか「カレシの部屋でなきゃ」とか、初体験に対する思い入れは特になかった。彼は慣れたあしらいで、わたしが「初めてだ」と白状すると、本当に優しくリードしてくれたよ。それから彼とは3回くらい会った。彼が勤め先の人事異動で東京に転勤になって、そのまま二人の関係は終わったというわけ」

 気がつくと風がさらに強くなってきた。ふだんより早めに、ボクは洗濯物を取り込んだ。

68日目:2020年5月8日(金)
全国の感染者数  88人
十海県の感染者数  0人

「夜の仕事だったこともあって、いわゆる風俗のスカウトを受けたこともあったよ。シフトを上がると、終電が近いから急いで駅へ向かう。そんなわたしに、ねえ、稼げる仕事紹介するよ、って声かける男性がいた。毎日のごとく声をかけてきて、一度話だけでも聞かない? と言うの。無視したかったんだけど、終電間近につきまとわれる鬱陶しさから逃れたくて、翌々日のシフトに入る2時間前に店の前で待ち合わせの約束をしてしまったんだ」

 昼間からディープな話だね。
 彼女のバイト明けのコンビニ弁当の昼食を終えて、コーヒーを飲みながらボクが言う。
「そうだね。夜にしようか?」
 いや、いいよ。続けて。

「まずいなと思って、次の日、一緒にシフトに入っている人に相談したの。ルミ女からルミ大に進んだ一つ上の人。お父様がリストラに遭って学資を稼ぐために夜の仕事を始めたって言ってた。よかったら私が同席してあげようか? そのほうが安心でしょ、と言ってくれたので、ご好意に甘えることにした」

「翌日、改めて会ったスカウトの人は、きちんとスーツを着こなした真面目そうな人。話し方も誠実で、車とか保険のセールスマンと言われたら信じちゃいそうな感じだった。聞くと天大の4年生。家の事情で仕送りが無くなって、生活費を稼ぐためにスカウトをやっているのだと言った。身につまされるっていうのかな、同席だけのはずだった彼女が、どんどん話にのめり込んでいったんだ」

 ミイラ取りがミイラになる、みたいな?
「へえ、そういう言い方するんだ」
 彼女が続ける。

「職種とどれくらい稼げるかの説明。本番無しだとデリヘルなど。時給換算で今の3倍以上。本番OKだとソープ。頑張れば5倍以上も夢じゃない。とりあえず1日だけ体験入店もできるとの話。わたしは、不特定多数の人と本番はもちろん、そういう行為をするのにどうしても抵抗感があって、踏み出すことはできなかった。ところが同席の彼女のほうがさらに乗り気になって、デリヘルの体験入店を決めてしまった。そしてスカウトの人の話を聞いた3日後だったと思う。彼女が、今日でこの店を辞めるって言った。体験入店したお店で正式に働き始めることになったって」

「彼女とは、それからしばらくLINEで繋がっていたよ。本番無しのはずのデリヘルで、何度も『本強』、つまり本番強要されて、強姦まがいの目にまで遭ったらしい。それなら割り切ってもっと稼いだ方がまし、と時給の高いソープに移った。風俗始めて1年くらい経った頃に親に知られて、家を飛び出したことまで聞いていたけれど、その後は音信不通。ルミ大を卒業できたかも含めて、どうなったかはまったくわからないんだ」

 気になるよね。
「うん。きっかけ作ったのわたしだし、責任感じちゃうよね」
 さらに続ける。

「初体験の人のあとに、店の外で会ったお客さんは3人か4人かな。肉体関係は無し。最後に会った人に、以前風俗のスカウトに時給がいいからと誘われたことを話したら、風俗じゃなくてお金を稼ぎたいなら、君の場合、キャバクラへ転職するのがいい、と勧めてくれた。きっと今の何倍も稼げるよ。その人が言った十海で二番目に大きなお店の求人を探したら、見つかったので応募した」

 今日もおおむね晴れ。昨日と同じくらいの暖かさ。

<つづく>


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