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364 喜の章(17) 4月27日から30日

57日目:2020年4月27日(月)
全国の感染者数 182人
十海県の感染者数  1人

 朝の換気で窓を開ける。曇っているが寒くはない。このあと晴れて、一日暖かくなるとのこと。

「紳士」がないので、今日も一日一緒に過ごす。

 二人黙っていても、ボクは気まずい感じはしない。
 彼女はどうだろう。普段は穏やか。けれど、あの最中に見せる不安な表情が気にかかる。
 こんな時代に不安にならないほうがおかしいのかもしれない。特にボクたちのように、安定した環境にない人間は。ボクは二月ほど前に、自らアンカーを断ち切って漂い始めた。彼女は? 詳しくは聞いてないけど、安定した環境へのチケットを放棄して家を出てから、たぶんずっとそんな境遇だったのだろう。

「どうしたの?」
 え?
「さっきからずっと、わたしを見てるよ」
 いや、その...
「さては、惚れ直したな」
 彼女がクククと笑う。

58日目:2020年4月28日(火)
全国の感染者数 279人
十海県の感染者数  2人

 窓越しの冷気に目を覚ます。早朝の気温は相当下がっているようだ。

 特製の具沢山のお味噌汁で朝食。
 彼女の淹れたコーヒーを飲んでしばらくすると、暖かくなってきたようなので、二人で散歩に出かける。
 文教地区を過ぎて、城址公園の東門へ向かう。途中寄り道して「隠れ家」の喫茶店の前に行った。モーニングを食べたときのマスターの言葉通り、休業の貼り紙。

 城址公園に入って奥の天満宮へ。祀られている菅原道真公といえば「東風吹かば...」だけれど、今日は西風が吹いている。
 お賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。
 キミは何をお祈りしたの?
「コロナが早く収まりますように。貯金が減りませんように。それから...わたしとペットが元気でいられますように」と言って彼女はクククと笑う。
「キミは?」
 ...無心だったよ、祈っている間。
「へええ」
 たしかに言葉は無かった。ひたすら彼女の顔を思い浮かべていた。

 桜並木を進む。新緑が眩しい。何事も無かったかのように、季節は進む。

 城址公園を出た頃には昼食の時間。ほとんどの店が閉まっている中、駅前で開いていたファミレスを覗くと、満席で順番待ちの人もいる。密を避けるため、スーパーでお弁当を買って帰ることにした。

59日目:2020年4月29日(水)
全国の感染者数 217人
十海県の感染者数  1人

 昭和の日。今日も窓越しの冷気に目が覚め、バイトに行く準備をする彼女の立てる音を朧気に耳にした。

 二度寝して起き上がった頃には、陽光を受けてかなり気温が上昇していた。
 彼女が三つ一緒に作った目玉焼きの二つと、サラダにトーストの朝ご飯。これも彼女が多めに淹れたコーヒーをコンロで温めて、マグカップに注ぐ。

 ニュースを検索する。

 天歌(あまうた)市の休業補償は、協力金として50万円。県内の他の市町村が20万から30万円のところ、金額的には県庁所在地の十海(とおみ)市と並ぶ水準。3密な業種や飲食店など、緊急事態宣言に伴って休業要請の対象となる業種の店舗だけでなく、観光客の激減で休業を余儀なくされた店舗にも、30万円の支援金を支給するらしい。植田さんのお店が支援対象になればいいのだけれど

 コロナで打撃を受けている文化・芸術界への支援の水準が、日本は欧州に比べて遥かに低く、また支援が届くまでの時間が長いとのこと。Too Little, Too Late。全国160以上の大学で、授業料減免を求める署名活動が起こっているとか。学術や文化・芸術の分野にしっかりとサポートのできない国が、先進国を名乗る資格があるのだろうか。

 柄にもないことを考えたためか、眠気に襲われた。横になってうとうとしていると、バイトを終えた彼女が帰ってくる。

「バイトのシフトを学生さんに譲ったよ」
 コンビニ弁当を食べながら彼女が言う。
 いつ?
「今週の金曜と土曜。次のシフトは来週の水曜。5月6日かな?」
 そうすると。
「うん。明日から6日間ずっとお休み」

「6日間外出しないですむように、食料を買い込みに行こう」と言う彼女に従って、駅の向こうのAUショッピングモールへ向かう。晴れて気持ちのいい陽気。
 モールの中でその一角だけ息をしているようなスーパーマーケットを、カート2台にそれぞれバスケットを2つ乗せて回る。
「明日は母親直伝の一品を作るね」
 彼女がバスケットに入れる内容を見ると、なんとなく想像はつくけれど、山芋は何に使うのだろう。

 半分以上はレトルト、缶詰めやインスタント、茹でるだけのスパゲッティなど、調理に手間のかからない食品を購入。レジで会計を済ませて袋に詰めると、大きな袋が4つになった。
「さすがにこれを持って歩いて帰るのはつらいね」
 とりあえずボクが3つ、彼女が1つ、袋を持ってモールの入口へ行く。ちょうど通りがかったタクシーを止めて、乗り込む。

 彼女が行き先を告げ、車は駅前通りを東に向かい、駅の改札のところで左に曲がる。
 夫婦水入らずでゴールデンウィークですか? と運転手さん。
 思わず顔を見合わせる二人。ボクが答える。
 そう、まあ...そんなもんです。

60日目:2020年4月30日(木)
全国の感染者数 202人
十海県の感染者数  2人

 朝の換気で暖かい空気が入ってきた。よく晴れている。外出するわけではないから天気はどうでもいいのだけれど、やはり晴れていると気持ちいい。

 11時半頃、エプロンを着けた彼女は、吊り戸棚からホットプレートを取り出した。
「独り暮らしを始めて、やかんと小さなお鍋の次に買った調理器具が、このホットプレートなんだよ」
 フライパンやオーブントースターじゃなくて?
「うん。その2つで調理するかなりの部分が、ホットプレートでできるんだ」
 なるほど。トーストも焼けるし目玉焼きもできる。
「それで今日の一品は、お好み焼きです! 関西出身の祖母から受け継がれた、本場の味をお楽しみあれ」
 なんとなく想像してたけど、山芋は?
「まあ、見てたらわかるよ」

 最初に彼女は、とんかつソースとケチャップと砂糖を、レンジでチンして混ぜたお手製のお好み焼きソースを作る。それからキャベツと青ネギを細切りに、細切りの紅しょうがをさらに刻んでみじん切りに。
 ここで山芋が登場した。おろし器で大きなボールにすりおろす。その上に水を入れて軽く混ぜると、小麦粉と昆布だしの素を入れて滑らかになるまで混ぜる。
「混ぜ過ぎたら美味しくなくなるんだよ」
 生地ができたところで、ホットプレートのスイッチを入れ、しばらく温まるのを待つ。
「ここからはキミにもお手伝いしてもらうね」
 サラダボウルを2つ出してきて、キャベツと青ネギをいれると、1つをボクのほうに差し出す。
「軽く小麦粉を振って、お匙でかき混ぜるんだよ」
 指示通りにすると、その上に彼女がお玉ですくった生地を投入。
「生地と野菜が馴染むくらいまで混ぜてね」
 言われた通りに混ぜる。
「うん、もう大丈夫」
 彼女が自分の生地を、ホットプレートの上に広げる。彼女が残してくれた半分ほどのスペースに、ボクも自分の生地を広げる。
 匙で広げて平たくなった上に、それぞれ紅しょうがと揚げ玉、豚バラ薄切り2枚をのせ、玉子を割って上に落とす。

 しばらくすると、木べらとフライ返しを出してきた彼女が、裏側の焼き目を確認して言う。
「さあ、そろそろ本日のメインイベントですよ」
 それって...
「大阪の小学校では、家庭科の授業でお好み焼きをうまくひっくり返せないと、卒業できないんだって」
 ほんとに?
「う・そ・で・す・よ」
 彼女はクククと笑う。
「いっけない、冗談言ってると焦げちゃう」
 そう言うと彼女は、木べらとフライ返しで手際よく自分の分をひっくり返した。
「さあ、キミの番。お好み焼きになるか、ハードボイルド・モンジャになるかの分かれ道だよ」
 そんな、プレッシャーかけないでよ。
「木べらとフライ返しを、少し奥のほう、そうねえ...10時10分くらいの方向に差して、全体を少し奥に引っ張ってから手前に向けて返すんだよ」
 彼女の言われた通りにやってみる。たしかに上手く行った。

 豚バラと玉子が焼ける音と匂いが漂ってくる。さらに待つことしばし、竹串を刺して火が通ったのを確認すると、彼女が自分の分とボクの分をさっとひっくり返す。豚バラと玉子が表になったところで特製ソースを大きなスプーンで塗り、青のりと削り節を振って完成。お好み焼きからこぼれ落ちたソースが焦げる、香ばしい匂いが立ち上がる。
「マヨネーズはお好みだよ」と言いながら、彼女は自分の分にマヨネーズをかける。ボクはかけないで食べることとする。
 ホットプレートを低温にして「いただきます」。
 ナイフで切り取って口に運ぶ。
「う~、このハフハフするのがたまらないんだよね」
 ボクもハフハフしながら、夢中で食べる。
 あっという間に二人とも一枚目を片付ける。
「あと一枚分くらい材料あるけれど、焼こうか?」
 うん。もう少し食べたい。
 今度は彼女が手際よく作った一枚を、彼女が四分の一、ボクが四分の三を片付ける。

 二人で手分けして後片付け。
 そういえば、緊急事態宣言が1ヶ月くらい延長されるかもしれないんだって。
「ほんと? さすがにそれは、きついなあ」
 きついね。
「まあ、くよくよしても仕方ない。今日できることをやろう」
 そうだね。
「まずは、お好み焼きに入れた、山芋のとろろの効果を試してみようか」
 はい。ご主人様の思し召しの通り...

<つづく>


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