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364 喜の章(12) 4月14日

44日目:2020年4月14日(火)
全国の感染者数 446人
十海県の感染者数  1人

 彼女が帰ってきたのは、朝9時半。
「朝ご飯食べた?」
 うん。ご飯とインスタント味噌汁と目玉焼き。
「今日はこのあと、用事はないから」
 夜まで?
「うん。明日朝のコンビニのバイトまで。ペットとゆっくり過ごす時間だよ」
 じゃあボクは、キャンキャン鳴いて喜んだらいいのかな?
「お願いだからそれはやめて。キモいし、ご近所にも迷惑だし」

 そうそう、今朝食べた1つで卵がなくなった。
「そろそろ本気で食料調達に行かないと、お米もあと少しだし、買い置きが底をつきそう」
 ボクは春物の服を買いたい。
「キミの服を収納するケースもいるね。クローゼットの下に置けるように。あとキミが座るクッションも」
 AUショッピングモールに行く? だとしたら、かなりの荷物になるから、どうやって運ぼうか?
「キミは、運転は?」
 仕事で時々運転してた。
「じゃあ、いっそのこと駅前でレンタカー借りるとか」
 ペットが運転してもよろしいでしょうか?
「ご主人様の言い付けには従いなさい」

 風は強めだけれど、よく晴れて暖かい。ボクたちは駅前のレンタカーの営業所で、軽のワゴンを借りた。12時間で5500円。営業時間が夜11時までなので、それまでに返すことになる。
 ボクの運転でショッピングモールへ向かう。
 もっといい車じゃなくてよかったの?
「見栄張ったってしかたないからね。キミも小回りが効くほうがいいでしょう」

 まずは全国チェーンのファストファッションの店に行き、ボクは春物のジャケットとデニム、シャツと靴下を買った。彼女もシャツとブラウスを買った。
 キミもこういうところで服を買うんだ。
「意外だった? わたしにも普段着の日常があるんだよ」
 靴が一足で心もとないので、もう一足買うことにする。彼女の見立てで、レザーのウォーキングシューズ。
 ここまででかなりの荷物になったので、いったん駐車場に行き、ワゴンの荷台に載せる。
 フードコートでボクはきつねうどん、彼女はクレープでお昼ご飯。

「モールの外のお店に行きたいんだけと、いいかな?」
 任せるよ。
 歩いていく彼女について、少し駅のほうへ戻る。向かったのは、商店街の「JUJU」の手前にある小さな雑貨のお店。
「時々ここに来て、気に入ったグッズを買うんだよ」
 お店の奥に、オーナーだろうか、感じのいい初老の女性がいる。彼女に気付くと、声をかける。
 あら、希(のぞみ)ちゃん。珍しくお友達とご一緒?
「こんにちは、植田さん。ちょっとご無沙汰しちゃいました」
 今日は、なにかお探し?
「はい。この人が座るクッションを探しています」
 詮索するでもなく、オーナーの植田さんは立ち上がり、陳列されている商品のあいだを通っていく。二人揃ってついていく。並べられている品々。ボクの目にも、センスのいい商品がセレクトされていることがわかる。
 これはどうかしら。前に希ちゃんが買ってくれたクッションと並べると、引き立つと思うけど。
「わあ~。いいですね」
 彼女は勧められたクッションを手にとる。
「キミはどう思う?」
 綺麗な柄だね。いいと思う。
「じゃあ、これください」

 入口のレジでスタッフの人がクッションを紙袋に入れる。お会計をすませて、彼女がボクに袋を渡す。
「最近、お店どうですか?」と彼女が植田さんに聞く。
 そうねえ。ここ2ヶ月くらい、お店の前の人通りが減って寂しくなったわ。今のところ、売上は半分くらいに減ったかな。冷やかしのお客さんは本当に少なくなった。
「緊急事態宣言が出そうですね」
 そうしたら、うちなんかはやはり、休業要請の対象になるのかしら。
「早く世の中、普通に戻ってくれるといいですね」
 そう。それまでの辛抱で頑張らなくちゃ。

 ショッピングモールに戻ると、ホームセンターでボクの衣装ケースを探す。クローゼットのサイズに収まるのを確認し、半透明の引き出し式のを買う。
「ペットフードは要らない?」と言ってクククと笑う彼女。
 ご主人様と同じものを食しますゆえ、とボク。
 衣装ケースを抱えて駐車場に行き、ワゴンの荷台へ。

 さあ、いよいよ食料品の調達。ショッピングカートにとりあえずバスケットを2つ載せて、売り場へ。
 ジャガイモ、人参、玉ねぎを2袋ずつ。キャベツ1玉、キュウリ3本、トマト...野菜だけでバスケット1つが一杯になる。3パックセットの豆腐。鮮魚コーナーは眺めるだけで精肉コーナーへ。カレー用の牛角切り肉を見つめる彼女。手前にカレールーが並べてある。
「そうだ。今夜カレーを作ろう。そうしよう」
「そうしよう」「そうしよう」と歌いながら、彼女は牛肉200グラムくらいとカレールーをカートに入れ、少し戻って漬物のコーナーで福神漬けをゲット。途中に並んでいた卵を2パック。
 精肉コーナーへ戻って、ロースハムの4パックセット。デイリーコーナーで牛乳1パックとスライスチーズにバター。ここまでで2つめのバスケットが一杯になった。
 ボクが入口に戻って、もう1台のショッピングカートにバスケット2つを載せて持ってくる。
「さあ、いよいよ主食系だよ」
 まずはお米。彼女が選んだ5kgの袋をボクがバスケットに入れる。次はスパゲッティ。お徳用の大きな袋をカートへ。レトルトのミートソースを4袋。
「カップ麺はあったよね」
 インスタントの袋麺の5食パックをひとつ。素麵とおそばの乾麺。インスタント味噌汁を1パック。
 調味料はオリーブオイルとワインビネガー。味噌とめんつゆを1本。
「そうだ。これがあればペペロンチーノもどきが強力になる」
 そう言ってテーブルガーリックの瓶を、彼女はカートに入れる。
 コーヒーはレギュラーを2袋とインスタントを1袋。
「キミは、お酒は飲むの?」
 家ではあまり飲まない。
「じゃあ、缶ビール少しだけ買うね」と言って6本入りの箱をバスケットに入れる。
 最後に食パン。
「8枚切りでいい? それとも厚切りが好き?」
 8枚切り。サンドウィッチにもできるし。

 袋に詰めた食料品をそのままショッピングカートに載せて駐車場へ。ワゴンの荷台へ詰め込んで、本日のお買い物は完了。
「卵が割れないように、慎重に運転してね」という彼女の声を助手席に聞きながら、駐車場を出て、一路、彼女の部屋へ。

 マンションの前の道に、ワゴンを邪魔にならないように駐車。3回に分けて部屋に運び込むと、食料品を定位置に収めてクッションをちゃぶ台の前に置き、衣装ケースは明日ボクがセットすることにして一休み。彼女の淹れたコーヒーを飲んで一息つくと、4時を過ぎていた。
「じゃあ、カレーを作るね」
 ちょっと疲れたから横になるね。
「うん。ごゆっくり」
 ベッドルームで寝転がっていると、野菜を切る音。牛肉を炒める音。お肉のいい香り...
 居眠りから覚めると、お鍋がコトコトと煮えている。
「今度はわたしが横になるね。5分くらいしたら火を止めて、しばらく冷ましてね。それからご飯炊くの頼んでいいかな?」
 了解。

 ご飯が炊きあがった頃には6時。彼女が起きてきて、買ってきたトマトとキュウリのサラダ。塩、コショウにオリーブオイルとワインビネガー。冷ましていたカレーをもう一度温め直して、お皿によそった炊き立てのご飯にかけて出来上がり。
 彼女がビールを1本開ける。
「そうか。キミは運転があるから飲めないね」
 じゃあ、乾杯に一口だけもらうよ。
 コップにツーフィンガーくらい注いでもらい、乾杯。
 角切り肉一人前100グラムでボリューム感たっぷりのカレーと、オイルとビネガーで楽しむシンプルなサラダ。二人夢中になって食べた。

 食後に彼女が淹れたアップルティーを楽しんでいると、7時半になった。
 車を返しに行かなくちゃね。
「まだ時間があるから、少しドライブしない?」
 いいね。そうしよう。
 軽く準備をして、マンションの前に駐車した軽ワゴンへ。
 運転席に乗り込み、彼女が助手席でシートベルトを装着したことを確かめて、発進。
 どこに行こうか。
「とりあえず高速に乗らない?」
 天歌(あまうた)駅前を南に向けて、天歌ICへ向かう。
 どっちへ向かう?
「じゃあ、十海(とおみ)のほうへ」
 上り線の料金所を通って、本線へ。制限速度の100キロまで加速する。軽だと、さすがに少ししんどい。
 次から次へと追い越されるのを気にせずに、走行車線をキープする。
 天歌川を渡って、東天歌町を通り抜けると、ボクたちの生まれ故郷である十海市に入る。左手前に市街の明かりが見えてくる。最近できた高層ビルやマンションのスカイライン。
「さすがに天歌よりも大きな街だね」
 人口20万の天歌市に対して、県庁所在地の十海市の人口は60万。

 十海の中心部の市街を左斜め後ろに見る頃に、サービスエリアに入る。
 駐車場に止めて、まずはお手洗いへと向かう。
 彼女が出てくるのを待って、ショップのほうへ。
「ああ、お腹減ってたら食べるんだけどなあ」と彼女。
 サービスエリアといえば、やはりアメリカンドッグだよね。
「うん。小さい頃は口の周りをケチャップだらけにして、笑われた」
 レストランに入ってコーヒーを注文する。
「ドライブはほんと、久しぶり」
 紳士とは行かないの?
「うん。免許は持っているみたいだけど、自分で運転する立場の人じゃないから」
 ボクも、女性を助手席に乗せて運転するのは久しぶりの気がする。
「それって、大学のときのカノジョ?」
 うん。社会人になってからは、オッサンの上司ばかり。

 コーヒーを飲み終わると9時近くになっていた。
 これからどうしよう。
「天歌に戻って、城山から夜景を見ない?」
 いいねえ。そうしよう。
「そうしよう。そうしよう」とボクの言葉を受けて歌う彼女。
 駐車場から再びワゴンに乗り込む。
 本線に入って、しばらく行くと十海東IC。いったんここで下りて、下り線の料金所に向かい、再び高速上に。
 今度は右手に十海市街のスカイラインを見ながら進む。
 十海中央IC、十海上田(じょうでん)IC、十海西IC、東天歌ICを過ぎて天歌川を渡るとほどなく、天歌ICで高速を下りる。
 駅前を過ぎて右に折れて国道を少し進む。左に曲がって城山の展望台へ登る道に入る。

 城山の名前の由来は、戦国時代にあった山城。山裾に天歌城が建造されたのは、豊臣秀吉の治世になってから。
 駐車場に車を停めて展望台へと向かう。少し冷えてきたので、彼女がカーディガンを羽織る。
 誰もいない展望台の端へ行く。標高100メートルくらいだけれど、天歌市全域が一望できる。
 正面手前の天歌城址の先に、駅を中心とした市街地の灯りが広がる。鉄道とその南にさっき乗った高速道路が東西に走る。左手に流れる天歌川を辿っていくと、海が広がる。黒い海面のところどころに、船の灯りが見える。
「こうやって見ていると、いろいろと忘れちゃうね」
 うん。
「コロナのこととか。生活のこととか」
 そうだね。パンデミックとか、ウソのようだね。

「好きだよ」
 えっ?
「...二度言わせないで」
 それって、ペットとしてってこと?
「バカ」
 そう言うと彼女は目をつぶって、ボクのほうにその美しい顔を向けた。
 ボクも彼女のほうに顔を近づけた。
 唇を重ねる。

<つづく>


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