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364 喜の章(19) 5月3日から6日

63日目:2020年5月3日(日)
全国の感染者数 195人
十海県の感染者数  0人

 文字通り「朝飯前」にケネクティ2回。放出量が少なくなるのに反比例して、時間がかかるようになる。
 今日は午前中から曇りがちで、昨日ほどは気温が上がらない。夜から雨になるらしい。

「朝飯」がもうランチの時間。ご飯にインスタント味噌汁、レンジでチンの目玉焼きもどき、パックのお漬物。今日は彼女も栄養ドリンクを飲む。
 大学生・専門学校生の2割がコロナ禍で退学を検討している、というニュースをネットで見た。彼女には話さない。

 ランチの後に1回、夕方に1回と、午後は合わせて2回のケネクティ。
 昨日と同様、レトルトと缶詰がおかずの夕鈑。
 食後に1回。そして降り出した雨の音を聞きながら寝る前に1回。

 本日のケネクティは計6回。ついに彼女が記録更新。ボクも3日連続で記録更新。
 異様なまでの高揚感。けれど彼女が「あのとき」に見せる「不安気」な表情はずっと変わらない。

64日目:2020年5月4日(月)
全国の感染者数 181人
十海県の感染者数  0人

 降る雨の音に目覚める。
 ボクは、それの先端のほうに軽い痛みを感じた。それでも彼女に導かれるままにケネクティ。1回終わってしばしまどろむと、今度はボクが主導する形でケネクティ。最初は彼女の提案につき合っているだけだったボクが、次第に本気、というか意地になってきた。

 朝ご飯の頃には、雨は上がっていた。食後一息つくと、本日3回目のケネクティ。ボクの「そのとき」までの時間がかかるようになるにつれ、彼女の発する声は大きくなる。ふだんは無言のボクの口からも、喘ぎ声が漏れるようになってきた。

 昼ご飯の時間になったが、二人とも食欲がない。栄養ドリンクを2本ずつ飲むと、ベッドに倒れ込む。すぐに彼女がキスをし、舌を絡めてくる。その感触に、ボクのそれは反応を示す。ボクが上になってケネクティ。ふだんはやらない体位で攻める。ときどき大声で叫ぶ彼女。大家さんの言いつけを気にしながら、彼女の上でボクは果てる。

 本日5回目のケネクティは、ボクが優しくリードする。いままでよりもゆっくりと、そして長い時間、動きを続ける。彼女の喘ぎ声は、穏やかでいつもより高い音域。やがて同じタイミングで「そのとき」を迎える。しばらく余韻に浸る二人。「今までで一番良かった」と呟く彼女。

 やっとのことで起き出してお湯を沸かすと、カップ麺の夕鈑。
 ニュースでは緊急事態宣言の5月31日までの延長が決まったと報じている。「困ったな」と、か細い声で彼女。
「新しい生活様式」を専門家会議が提言。ボクたちの今の生活様式は? 結果的に、不用の外出を控えているのは確かだ。

 あとはもうほとんど惰性で、2回のケネクティ。ボクのほうは出るものもほとんどなくなり、最後はいつ「そのとき」を迎えたかもわからない状態で萎んでいって終わりとなった。彼女も目を瞑って息を少し荒げるだけだった。
 こうしてボクたちは24時間で7回のケネクティ記録を達成した。
 死んだように眠りを貪る二人。

65日目:2020年5月5日(火)
全国の感染者数 119人
十海県の感染者数  0人

 目覚めると昼近く。
「今日はもう、ケネクティはやめとこうね」と彼女が言う。
「痛くなってきたから」
 ボクも同じだよ。
 かくして彼女とボクの今回のチャレンジは、「24時間で7回」の記録を樹立して終了した。

 窓を開けると、晴れた空のもと「暑い」と言いたくなるほどの空気が入ってくる。今日の最高気温は今年一番になるようだ。
 ゆっくりとシャワーを浴びる彼女。入れ替わりにボクがシャワールームに入る。
 体を拭き終わって出てくると、お味噌のいい香り。彼女が、自慢の具沢山の味噌汁を作ってくれた。ちゃんとフライパンで焼いたハムエッグ。久しぶりにしっかりとした食事をとる。

 黒髪を梳かす彼女。最初に出会った頃から拳1つ分くらい長くなった。
「そろそろ切りに行きたいんだよね」と、ボクの視線に気づいた彼女が言う。
 ボクは今くらいのほうが好きだよ。
「じゃあ、カットは少し延期するね」と言って「ククク」と彼女は笑う。
 染めたことはないの?と聞いてみる。
「家を出て半年くらいした頃から、2年半くらい茶髪だった。地毛で完全に黒に戻るまで、2年くらいかかったかな」
 その間、いろいろなことがあったんだよね。
「そろそろキミに話をしなくちゃ、だね。明日からでいいかな?」
 うん。キミの気持ち次第で、いつでも。

 夕鈑はパスタを茹でて、テーブルガーリックを使った「ペペロンチーノもどき」。
 同じベッドに身を横たえ、何もせずに優しく抱き合って眠る。

66日目:2020年5月6日(水)
全国の感染者数 104人
十海県の感染者数  0人

 昨夜、ボクの隣に確かに感じた温かくて柔らかい感触が、目覚めたときには無くなっていた。早くに起きて久しぶりのコンビニバイトに出かけた彼女。
 起き上って窓を開ける。天気は曇り。昨日と変わらない気温。窓を再び閉めると、この5日間押入れにしまい込んであった布団一式を出して、その上に横になって二度寝する。
 結局、バイトから彼女が戻ってくるまで、まどろんだ状態で横になって過ごした。

 いつものバイト明けと同じように、彼女の買ってきたコンビニ弁当でお昼ご飯。朝は食べずに出かけたの?「食欲無くて。栄養ドリンク1本飲んで出かけた」

 ベッドに身を横たえる彼女。ちゃぶ台の前で胡座をかいてスマホをいじるボク。「ヒゲダン」も少しずつ慣れてきた。良質の音楽をたくさん聴いて育った人たちであることはわかる。

 横になったままで彼女が口を開く。
「お約束のわたしの話、始めようか?」
 うん。
「何日かに分けて話すね」
 一呼吸置いて、彼女が語り始めた。

「一浪してルミ大に合格したあとに受験をやめて家を出た話はしたよね」
 うん。
「なぜそうしたかは、話したっけ?」
 常識について、だったかな。
「そう、そのまま敷かれた道を進むのをやめて、常識から距離を置いた生き方をしてみたかった」

「ルミ女に通ってた頃から、天歌で一人で暮らすのにずっと憧れていたんだ。キミと同じだね。カバン一つに身のまわりのものを詰めて、19歳の誕生日、ルミ大の合格発表から3日後の朝早くに、十海駅から電車に乗った。高校時代に毎日通学で乗っていた30分が、すごく長く感じたよ。最初の一晩は、奮発して駅前のシティホテルに泊まった。夜になって母親から届いたメールは無視した」

「次の日から部屋探し。初日は不動産屋さんで、家賃とかの条件を話して、物件情報を見せてもらうだけで終わった。条件に合うのはなかなかない。特に『保証人不要』がネック。十海ならいくらでもあるんですけどね、と言われたけれど、それは論外だよね。物件を見て回るのは翌日からにして、その日の宿泊先のホテルに向かった。駅から南に少し歩いた、産業道路沿いのビジネスホテル。ちょうど天大受験生のキャンセルが出たらしくて、長期戦に備えて一週間予約した」

 天大の合格発表後だと、部屋探しはもっと大変だったかもしれないね。
「そういう意味では、いいタイミングだったかもしれない」

「翌日3つの物件を見て回った。部屋もロケーションも悪くない。けれど、賃貸管理会社の人がわたしのことを聞くと、突然態度が変わるの。ルミ大に合格してるって言うけど、十海ならなぜ実家から通わないの? なぜ親御さんが一緒に来ないの? 仕送りは? そもそもなぜ親御さんが保証人にならないの? 結局その日はどれも上手く行かずに終わった」

「次の日も3件見て回った。前の日よりロケーションや部屋の条件は悪くなったのに、やはり同じようなやりとりで成約できずだったよ」

 19歳の女の子が、親の付き添い無しで部屋探し、というだけで敬遠されるんだろうね。
「そう。まさにそういう感じ」

「物件を回り始めて3日目。午前の物件がやはり駄目で、もう十海で探すしかないかなと思いながら、駅から少し遠いけど、と言われた物件を見に行った。今まで全部管理代行会社の人が応対していたのが、大家さんが直接会うということで、部屋を見る前に大家さんのご自宅へ伺ったの」

「天大の准教授の奥様だという方。応接間でコーヒーをいただきながら、しばらく世間話。あとから思えばわたしの受け答えから、人物を見極めようとしていたのね。少しじれったくなってきたところで、保証人無しがご希望ね、と仰った。ここもだめか、と思っていたら、いいでしょう、念のため預金通帳があれば見せていただけますか、と言われて残高150万円の通帳を見せると、これはどうやって? コンビニでバイトして貯めました。あらそう。ずいぶんと頑張ったのね」

「その後、お部屋を見せてもらい、ご自宅に戻って、是非こちらに住まわせてください、と言うと、わかりました、いいでしょう。お家賃は当然ですけれど、ご近所に迷惑になることだけは、くれぐれもしないように。もっとも、貴女ならどちらも大丈夫そうですね」

「その日はいったんホテルに戻って、不要になった予約をキャンセル。翌日、駅前の文房具店でハンコを買うと、カバン一つで大家さんの自宅へ向かった。不動産屋さんの担当の人の立会のもと、生まれて始めて契約書に捺印した。お荷物はそれだけ? 夜具が無いとつらいでしょう、と大家さんが布団一式をくださった。それが、いまキミが使っている布団だよ」

 そうか。ボクが布団でお世話になっているのは、大家さんなんだね。
「そういうことだね」

 夕方になって、雨が降り出した。
 夕飯は、買い置きしてあった乾麺の蕎麦を彼女が茹でて、ネギが大盛りのにしんそば。
「スーパーに、珍しく身欠きにしんの煮付けがあったんだよ」

<つづく>


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