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364 喜の章(14) 4月17日から19日

47日目:2020年4月17日(金)
全国の感染者数 572人
十海県の感染者数  1人

 コンビニのバイトから帰ってきた彼女が、目薬を注すのに苦労している。
「わたし、昔から本当に目薬は苦手なんだ」
 毎年花粉症シーズンの終わり頃に、症状が出るのだそうだ。ボクはもう症状のピークは過ぎた。

 有り合わせで昼食を済ませたあと、窓を開けて空を見る。朝方晴れていたのが曇ってきた。昨日より少し気温は低いけれど、季節相応に暖かい。

 電話で話をしていた彼女。終わるとボクに言った。
「今日からしばらく、夜のお仕事はお休み」
 水曜と金曜に勤めているスナックが休業を決めたという。
 いつまで?
「とりあえず緊急事態宣言が終わるまでは休んで、いつ再開するかは、それから考えるって」
 先月あたりからお客は減っていた。宣言が出て、協力金を貰えるならそのほうがマシ、という状況になっていたらしい。
「とにかく手持ちのキャッシュが心許ないので、休業手当は、助成金を貰えるようになるまで待って欲しいって」
 どれくらいの収入減になるの?
「1回1万円だったから月に8万から9万くらいかな」
 結構大きいね。
「オーナーにはお世話になってたから、お店が続けられるかのほうが心配。それと一緒に入ってた子、貯金とかしてるタイプじゃなかったようだけど、大丈夫かな」

 夕方6時から、首相記者会見。キッチンのテーブルで二人揃って見る。
 アベちゃんのこと、苦手なんじゃないの?
「これでも日本国民だからね。我慢して見なくちゃ」

 30分ほどで中継が終わる。
「感想は?」
 うん、いろいろと今の時点で言っておかなければならないことを言っていたと思う。でも、全然響いてこなかった。キミは?
「コンロを掃除したくなった」
 ははは、その気持ちわかる。

「冗談は置いといて、人との接触を7割8割削減しろって、簡単に言わないでほしいよ」
 いつになく厳しい口調で彼女が言う。
「正規雇用のサラリーマンだったら、リモートワークもできるし有休休暇もある。会社が休ませたら、休業補償の助成金もある」
 たしかにそうだ。
「でもわたしみたいなのは、お金をゲットしようと思ったら、人と接触することが必須。接触しないように家でじっとしてたら、なにが貰えるの? いつ届くかわからない10万円と、やっと配布が始まった布マスク2枚だけ?」
 まあ、行政に相談すれば...
「昔の仲間からLINEで悲鳴が来ている。ただでさえ『いっぱいいっぱい』だったのが、コロナで全然稼げなくなった。緊急事態宣言は、とどめのようなもの。蓄えのない子から、食べることもできないようになっている」
 一呼吸おいて彼女が続ける。
「今月に入って、5人から借金を頼まれた」
 どうしたの?
「もちろん全部断った。貸したって間違いなく返ってこない。わたしはそれなりな蓄えはあるけれど、入ってくるものがなくなったら、2年もつかどうかってレベルだからね。とても慈善事業できるようなご身分じゃないよ」

 そのあと彼女は、無口になった。スパゲッティを茹でてミートソースを温める間も、夕飯を食べている間も、つけっぱなしにしていたテレビを見ている間も、ずっと無口だった。
 無口なままシャワーを浴び、スキンケアをして、ひとこと「おやすみ」と言うとベッドに向かった。

48日目:2020年4月18日(土)
全国の感染者数 577人
十海県の感染者数  0人

 朝のテレビのローカルニュースで、この時期にしては強い雨が降ったと報じていた。ちょうど彼女がコンビニへバイトに出かける時間あたりだ。

 戻った彼女は相変わらず無口。二人黙々とコンビニ弁当を食べる。
 いつもなら仮眠をとる彼女が、そのままテレビを見るでは無しに見ている。ボクも一緒に、黙って見る。
 3時になっても支度をしない。今日の夜の「用事」はなくなったみたいだ。雨の中を出かけることがなくなってよかったのかなと思いつつも、彼女の胸の内はわからない。

 コンビニで買ってきた細切れ肉で彼女が作った肉じゃがの夕飯。食べながら見たテレビの、国内感染者1万人超え、死者数200人超え、のニュースにも、彼女は反応しなかった。

 彼女が再び話し始めたとき、夜10時になっていた。
「昨日は興奮して、喋り過ぎちゃったみたい...ごめんね」
 ボクこそ、話を聞いてあげることしかできなくて...
「すっかりわたしの素性を明かしちゃったね」
 そんな...
「とっくに気付いてたんだろうけど」
 関係ないよ。キミはボクの命の恩人。そして...
「...そして?」
 ご主人様。
「じゃあ、お利口にしてるご褒美に『おやすみのキス』をあげるね」
 そう言ってクククと笑うと、彼女は立ち上がってボクのおでこにキスをした。

 窓越しに聞こえていた雨の音が、止まったようだ。
 

49日目:2020年4月19日(日)
全国の感染者数 377人
十海県の感染者数  2人

 彼女が朝帰りのとき以外では珍しく、ボクのほうが先に起きた。インスタントコーヒーをいれてテレビをつける。今日は今年一番の暖かさになるようだ。
 洗濯機を回し、外に干そうと窓を開けたときに彼女が目覚めた。
 ごめん。起こした?
 時計を見て彼女が答える。
「そろそろ起きなくちゃだね」

 ボクが洗濯物を干している間に、彼女は身支度を整える。
「『隠れ家』のモーニングを食べに行こうよ」
 営業してるかな?
「近くだし、ダメもとで」
 5分ほど歩いて店に着くと、通常通り朝7時から夜9時までの営業。
 ブレンドコーヒーのモーニングを2セット注文する。店内には、ボクたちの他に、新聞を読んでいる年配の男性が一人だけ。
 バターたっぷりの厚切りトーストに、半熟のゆで玉子と小さなサラダ。ブレンドコーヒーはお代わり自由。
 お代わりを持ってきてくれたマスターに、彼女が聞く。
「コロナで大変なんじゃないですか?」
 そうですね。観光客がまったくいなくなって、学生さんもほとんど来ない。ここ2ヶ月近く、正直さっぱりです。
「営業は続けられるのですか?」
 緊急事態宣言で、市から休業協力金が出るという話があります。正式に決まったら休業しようと思っています。

 お洗濯をするという彼女に従って、いったん部屋に戻る。ベランダのボクの洗濯物は、陽射しを浴びてかなり乾いている。彼女は乾燥機を使う。
 掃除機をかける彼女。そんなに広くない部屋の隅々まで、きれいになる。彼女の洗濯物が乾いて仕舞い始める頃には、ボクの洗濯物も乾いたので取り込む。それぞれに収納が終わると、彼女の「お仕事」用のドレスを出しに、クリーニング店に向かう。ボクも冬用のジャケットを出すことにする。
 部屋から南へ歩いて5分、国道沿いのクリーニング店は通常営業。彼女のドレスとボクのジャケットを出して代金を払い、先週彼女が出して仕上がったものを受け取る。

 部屋に戻るともうお昼。インスタント味噌汁と昨日の残りの肉じゃがをおかずに、お昼ご飯を食べる。
 一息つくと彼女が言う。
「ねえ。街の様子を見に行かない?」
 そうだね。いろんなお店がどうなっているか、ボクも確認しておきたい。
 今日の彼女は、コンビニバイト以外では珍しいパンツルック。この前一緒に買ったブラウスの上に薄手のカーディガンを羽織り、下はスリムのデニムジーンズ。ボクは相変わらずコットンのシャツにストレートのデニム。せっかく買った春物のジャケットは、今日は不要のようだ。

 まずは文教地区を通り抜けて、そのまま城下町エリアへ。人通りが絶えてお店も閉まっている光景を、以前にも見たことがある。けれどそれは、仕事で徹夜明けの早朝に立ち寄ったときのこと。真昼の陽光が燦燦と降り注ぐ中で、こんな光景を目にするのは初めてだ。
「お食事処もお土産屋さんも、みんな閉まってるね」
 うん。この状態だと開けている意味がない。いずれにしても大打撃だね。
 少し北へ行って城址図書館。長い時間お世話になった閲覧コーナーは閉鎖。明日から緊急事態宣言終了まで、全館閉鎖となるらしい。
 正門から城址公園に入る。花の時期にお散歩に来たときよりも、さらに閑散としている。広い敷地が一層広々と見える。
 ここも日曜の昼間にこれだけ人影が少ないのは、初めて見るような気がする。
「十海(とおみ)県自体には外出自粛要請は出ていないよね」
 東京が自粛だと、右にならえ的になるんだろうね。

 南に向かう。駅前のファミレスは夜8時閉店。
 駅前通りを西に向かって左に折れると商店街。
 コンビニやドラッグ、日用品や食料品のお店の他は、ほとんどのお店が閉店している。飲食店もテイクアウトのみに営業を限定しているところが多い。
 植田さんの雑貨店は休業。当分の間お休みします、と書いた貼り紙を掲示している。
「オーナー大丈夫かな」
 連絡先は?
「メアドだけ聞いてる。あとでメールしてみる」
 ハンバーガーの「JUJU」は、ランチは通常営業で、それ以外の時間帯はテイクアウトのみ。
 にしんそばのお蕎麦屋さんは、休業の貼り紙。

 いったん駅前通りに戻って、少し西へ行くとAUショッピングモール。
 テナントエリアは完全に閉店。この前服を買ったファストファッションの店も、ホームセンターも全部まとめて閉店している。
 食料品のフロアは、やはりテナント出店の部分は閉店。スーパーマーケットとドラッグのコーナーだけ営業しているけれども、閉店時間が2時間繰り上がって夜8時となっている。
 ボクが時々お世話になったフードコートも閉鎖。

 ショッピングモールからさらに少し西に行った、ボクがずっと泊まっていたネカフェに行く。思った通り閉店している。
 やはり、とは思ったけれど...
「本当にいいタイミングで、SOS出せたんだよね」

 天歌(あまうた)駅に戻る。改札で入場証をもらって駅ナカへ。ドラッグ以外の販売店舗は軒並み閉店。飲食もほとんどが時短営業。
 全国チェーンのカフェに入って、アイスコーヒーを飲む。ここも閉店時間が夜8時に繰り上がっている。
「夕飯食べてから帰ろうかと思ったけれど、この状態だと、ウチに帰って食べるのがいいみたいだね」
 国道を東に進んで、スーパーに寄る。食料品の補充を少しと見切り品のお弁当を2つ買う。ここも通常夜9時閉店が8時に繰り上がり。
「『夜8時閉店』ばかりだね、開いているところも」

<つづく>


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