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聖書タイム2021年8月:「砂丘に建てられた家」

by 山形優子フットマン

いのちのことば社」翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
「とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
「おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」
ーー マタイによる福音書7章24ー27

私が物心ついた頃、脳卒中に倒れた母方の祖父は湘南海岸沿いにあった辻堂大砂丘の奥の松林の中に家を建て、東京から移り住みました。家からは延々と広がる大砂丘、その先には海と江ノ島が見え、晴れた日には大島も一望できました。東京に住んでいた私は兄と共に夏中、そして春休みも冬休みも祖父の砂丘の家で過ごしました。とに角、砂がたくさんあって、風が吹くと顔や体に当たって痛く、大嵐の次の日は、砂丘が動いたかのように形を変え、その上、風が砂の上に絵を描いたかのように、不思議な文字のような線を残して行きました。

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母のすぐ下の妹、つまり私の叔母は体が弱く、医者だった叔父と結婚した後も、祖父母たちと一緒に、その砂丘の家に住んでいました。叔母は東京のミッション・スクール卒業後、結婚前に結核を煩い、叔父との婚約を一時、破棄して手術を受けました。本物の麻酔がまだ手に入らなかった時代の胸郭整形、片肺摘出手術は、トラウマとして叔母の生涯に影を落としました。その後、療養の末、回復を待っていた叔父と無事結婚。私の記憶にある叔母は、すっかり元気になっていて、シェパード犬のリージーと毎日、砂丘をどんどんと散歩できるほどでした。

叔母は何も言わなかったけれども、死の戸口が見えた青春時代、ミッション・スクールで学んだイエス様を近しく感じるようになったのだと思います。私はこの砂丘の家で、今思うと、叔母からイエス様のことを多く教えてもらいました。ある時、叔母は女学校時代の思い出がたくさん詰まった赤い塗りの箱を開けて見せてくれました。中には、すみれの柄の封筒、友達からの便り、かわいい天使のカード、お祈りの言葉、大きな十字架の文鎮などが入っていて宝箱そのもの。叔母の口癖は「楽しかったから優子も同じ学校へと思ったのよ」でした。

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砂丘の上に建てられた祖父の家はもうありません。祖父も祖母も叔父も叔母も、私の両親も、あの家に出入りしていた懐かしい人たちの面々も、もうこの世にはありません。砂丘はすっかり壊され、祖父が建てた赤い屋根の洋館の跡地は分譲されました。人も地形も跡形も無くなり、砂地に車道が敷かれ、マンションが立ち並び、辻堂に大砂丘があったことなど地図はもとより人々の朧げな記憶からも消え失せてしまったでしょう。

砂上の楼閣で叔母が優しく語ってくれた神様の言葉だけが残りました。叔父と叔母は子供がいなかったので、私が彼らの戸籍に入りいわゆる養女となりました。叔父は亡くなる10日前、叔母と共に夫婦揃って洗礼を受けクリスチャンになりました。砂の上に建てられた人間の幸せの一時(いっとき)はもろく、跡形もありませんが、こうして神の言葉は永遠に立ったのです。

「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉は永遠に立つ」
ーー 旧約聖書イザヤ書40章7-8

神様は旧約聖書創世記22章17節で「信仰の父」と呼ばれたアブラハムに「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」と語られました。アブラハムの人生は決して彼の思い通りのものではありませんでしたが、彼は神様のその約束の前に、ただただ平伏し喜びに震えました。その素直な感動を神様は愛されました。子供の頃、私が砂丘から教えられたことは今、思うと本当に大きな神様からの贈り物でした。あるがままに、みるみる姿を変える、言ってみればアメーバーのような大砂丘。それは周囲の変化や荒波に揉まれ、形を変えることを余儀なくされていった自分自身の様相に重なります。けれども、神様の愛と祝福は人間の思いを、はるかに超えるほど豊かということも知りました。

「手の平にすくって海を量り
手の幅を持って天を測る者があろうか。
地の塵を秤(はかり)にかけ
丘を天秤にかける者があろうか」

ーー 旧約聖書イザヤ書40章12節

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今、辻堂海岸に行くと相変わらず太平洋がキラキラと輝き、烏帽子(えぼし)の格好をした烏帽子岩が見え、視界の左側には江ノ島が。近代化の力にすっかりと支配され、浜の区域は縮小されてしまいましたが、言ってみれば何も変わっていません。昔からあるのは砂と海と光。そして私の魂は、私が生まれる前から主のものでした。この神様は初めであり(アルファ)終わり(オメガ)であり、永遠という「時」の鍵を握る唯一の方です。

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「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」
ーー ヨハネの黙示録1章8節