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信仰によって、聖霊によって ②


――
“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
――


まただからこそ、

わたしはこれまで、やはりいくどとなく「文字の聖書よりも、自分の人生という聖書を」というような言葉遣いをもし続けて来た。

このわたしの言葉の、「文字は殺すが霊は生かす」という聖書の言葉とけっして矛盾せず、むしろ呼応し合い、共鳴し合っているという事実など、ここにあらためて断るまでもない。

それも、同じわたしがただたんに口先や筆先においてのみ、そのようにうそぶいてみせているのではなく、これまでのおよそ40年の日月をば、信仰によって、そうでない時には聖霊によって、生きて、生きて、生きて来たからである。


これも、以下のような事実によって立証せられる。

すなわち、

わたしはおよそ2年以前はっきりと、「たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され、いつまでも残るように」というような強く、したたかな思いをば胸に抱きつつ、あるいは二千年前の今日この頃、山上のイエスが満たされたものと同類の生き生きとした”霊”に満たされながら、極めて断定的にこう言挙げしてみせた、

すなわち、

「かつて、死にゆくモーセがピスガの山頂でその目をもって見つめたものとは、ヨルダンの向こう側の乳と蜜の流れる土地や、美しいレバノン山なんかではなかった。彼が見つめたのは、真の約束の地であった」――

また、

「ただ一人、どこまでも孤独に死にゆくモーセに与えられた、神の最後の憐れみとは、永遠の命だった」――と。

加えて、

「だからモーセは、『やっぱりお前もヨルダンの向こう側へ連れていってやろうか』というイエスの言葉について、きっぱりと、『いいえ』と答え、断った。なぜというに、彼は自分の今この時の、この祈りのためにこそ生まれ、生かされ、生かされつづけて来たことを悟ったからだ」――

「モーセは祈った。かつてシナイ山のふもとで、まつろわぬ民のために命をかけて神の怒りをなだめようとしたように、イエス・キリストの憐れみの山の頂で、自分と、死んでしまったすべての民のために、とりなしを祈り求めた」――

「そして、そのようなモーセの祈りは、父なる神に受け入れられた。なぜとなれば、それを聞き入れた父なる神は、イエスの永遠の微笑をもって、彼の最後の祈りに応えてみせたからだ」――と。



以上のことは、先述のようにおよそ2年以前、『わたしは主である』という文章において書き綴ったものからの抜粋である。

その時わたしは40歳になっていた。

わたしはモーセなど知らない。その男のいかな美しい面立ちと、神の御心に適った心の傾向とを携えて生まれ落ちたのか、この目で見たこともなければ、そんな彼の言葉を耳にしたことも、この星の片隅の「種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもない、こんなひどい所」にあって、共にはてしのないような旅を続けたなどいう実績もありはしない。

わたしはただひたぶるに、「自分の人生を生きて来た」ばかりである。

この時代の、この世界の片隅の、名もなき小市民としての我が人生、我が荒野、我が”生”という聖書をば、読んで、読んで、読んで来たばかりである――信仰によって、しからずんば、”霊”によって

だからわたしは、モーセの最後の日々をば「共に生き、共に死に、共に永遠に生きる」ことを得た。

彼が彼の「登れ」と促されたネボ山の頂にあって何を見て、何を思い、何を感じ、何を悟り、何に打たれ、何に慰め励ませられ、しかして、いかな祈りを捧げる至り、いかな返答の言葉をば賜ったのか、すべてなべておしなべて、この”目”もってあやまたず見つめ澄まし、この”耳”でをもってもらさず聞き及んだ。

それが、わたしの『わたしは主である』という文章であり、

それが、「わたしの人生という聖書」の一端であり、

それが、イエスを、父なる神を、”霊”なる神の御心を喜ばせ、喜ばせ、喜ばせた生き様であり、死に様であったのであった。


――と、わたしはこの世の誰を前にしても、そのように確言、揚言、断言していささかも恐れず、いささかもはばからず、いささかも良心に恥じることがない。

「神」を御前にしてもまったく同じように言挙げできる人間が、どうして自分とまったく変わり映えもしないたかが「人」ごときを前にして、おじけづいたりすることがあろうぞ。

だからよりいっそうはっきりと、こうも言っておく、

わたしの『わたしは主である』という文章によって神の心にもたらされた喜びとは、劈頭のステファノやパウロによるモーセについての記述なんかよりも、はるかにはるかに、はるかにイエスと、父なる神と、聖霊の心をば感動させ得た――さながら「海の歌」を踊り歌ったかつての先祖たちのごとく、わたしたちを賛美と感謝と感動の涙によって、笑い、笑い、笑わせたのである、と。

どうして――?

「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。…
…イスラエルには再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、 彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、 また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。」

これが、こんにちモーセ五書として知られる最後の一章『申命記』の、しめくくりの一文である。

すなわち、モーセ五書の、旧約聖書の、またそして「聖書」の中の文字であり、それ以上でも以下でも以外でもない。

そのような文字をば、信仰と聖霊によって読み解いて、

「モーセが最後に見つめたものとは、イエスの憐れみと、父なる神の慈しみの、永遠の微笑だった

というふうに言挙げしてみせたのはだれか――?

ステファノか――? パウロか――?

ダビデか――? エゼキエルか――?

あるいは、

どこぞの”ユダヤ人国家”をば造り上げたるお金持ちサマか――? どこぞの市国において君臨せし法王サマか――? どこぞの軍事大国にて世界でもっとも多くの人間に福音を告げ知らせた者だなどとされたる大伝道師サマか――?(ちゃんちゃらおかしい…!) 

わたしは知らない。

古今東西において、わたしはこのわたし一己以外の誰をも知らない。

モーセの最後の一日と、イエスの最後にして永遠の微笑とを物語り、歌い上げ、踊りあかしてみせたわたし以上の躍々たる筆致と、喜びと賛美に満たされたる口上とを、こんにちただ今に至るまで知らず、この終わりの時代のたれからも、いっかな知らされたということもない。



最後にちょっと付言しておくものであるが、

モーセの「登れ」と言われ辿り着きしピスガの山頂こそが、わたしのいつもいつも言うところの「不可視の教会」である。

そして、この不可視の教会ただそこだけが、「イエスの再来、キリストの再臨の地」なのである。

であるからして、

モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました

と、ステファノはステファノ自身を叫び上げ、

キリストのゆえに受けるあざけりを、エジプトの財宝よりまさる富と考えました

と、パウロはパウロ自身を告白し、

この世の、地上の、此岸のヨルダンを渡りません。わたしは命の限り、ここイエス・キリストの憐れみの山にこそとどまります

と、わたしはわたし自身を歌ったのは、

すべてなべておしなべて、

可視の教会がためよりも、不可視の教会がための信仰告白であり、

可視の教会の宗派教義神学の、歴史伝統慣習に則った儀式礼拝祝祭の守株がためではなく、今この時を生きるイエス・キリストの信仰と、天地開闢以前から永遠に生き続けるキリスト・イエスの霊に満たされながら書き上げた生ける聖書であり、

キリストゆえに失ったすべて糞土のごとき、もとい、失ったことこそ恵みに相違なかった、偽りと欺きと血塗られた富と繁栄をば取り戻すがためでなく、真実と感動の、わたしの主イエス・キリストの声をば虚心坦懐に聞き分けてわたし一己のための秘密の、またそして森羅万象のための赦しと救いと祝福の、キリスト・イエスの名をば不撓不屈に語り継げるがために歌い上げた新しい、永遠の讃美歌であったのだった。
……





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